テーマ:街道

河井継之助の歩いた道4

先日、TV英雄たちの選択「不可能への兆戦~河井継之助の北越戦争」を録画で拝見した。 内容の出来はともかく、 河井継之助が、高梁の山田方谷を訪ねる場面とその旅日記『塵壺』も紹介された。 継之助は、その道中の途次の宝塚の近辺では、安政6年(1859)7月10日に生瀬宿から有馬の宿までを歩いている。 『塵壺』では、 「十日 晴 …
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神奈川台場

神奈川宿の史跡めぐりをした際、神奈川台場跡を廻ってきた。 神奈川宿からは、旧東海道をはずれ、滝の川に沿って海に向かうとJR貨物の鉄橋に達する。 この左側(東側)の少し先の辺りに神奈川台場があった。 安政5年(1858)、幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約を結び、この条約に基づいて横浜が国際貿…
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横浜・神奈川宿 幕末史跡巡り

神奈川宿の幕末史跡めぐりをしてきた。 昨年末に京都から江戸まで旧東海道を歩いた時は、ウォーキングが目的で、街道沿いの史跡めぐりができなかった。 今年はオランダで建造された開陽丸が榎本武揚達によって横浜に回航されて150周年になり、それを記念して開陽丸子孫の会が横浜で開催されたことでもあり、神奈川宿の幕末史跡めぐりをしてきた。 …
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旧東海道を歩く 19日目(12/11) 品川~日本橋

品川宿から、いよいよ旧東海道東下りのゴールの日本橋まで歩く 本日の最終コースはよく親しんだ場所で、特に田町の近辺は小学、中学、高校、大学時代に暮らしていた場所でもあるので、土地勘がある地域になる 日本橋到着後は、千葉定吉の道場跡を経由して旧土佐藩邸のあった東京国際フォーラムに向かい、そこで完歩式典を行って、15時に「平成の龍馬!…
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旧東海道を歩く 18日目(12/10) 保土ヶ谷~品川

保土ヶ谷宿から、神奈川宿、生麦村、川崎宿を経て、品川宿まで28キロほどを歩く 保土ヶ谷宿は、戸数558戸、人口2,928人(うち男1,374、女1,554)、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠67軒から成る 0820保土ヶ谷宿を出立、神奈川宿までは4.9kmほど 0905神奈川宿に入る 神奈川宿は、戸数1,341戸、人口5,…
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旧東海道を歩く 17日目(12/9) 大磯~戸塚

大磯宿から、平塚宿、藤沢宿、戸塚宿を経て東戸塚まで歩く 大磯宿は、戸数676戸、人口3,056人(うち男1.517、女1,498)、本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠66軒から成る 東の平塚宿とは2.9km、西の小田原宿とは15.7km離れている。大磯は既に鎌倉時代に宿場町として栄えた。 0800大磯宿を出立 0807化粧(…
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旧東海道を歩く 16日目(12/8) 箱根~小田原

箱根宿から、箱根旧街道(東坂)を下り、小田原宿まで歩く 前夜から気温が低く、下りの坂道の丸い石畳は朝霜が溶けて滑るおそれもあるため、注意深く下る必要がある。 箱根路は、年代によって道が移り変わっている ①碓氷道(箱根で最も古い峠路)--> ②足柄道(奈良、平安時代に利用された路)--> ③湯坂道(鎌倉、室町時代…
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旧東海道を歩く 15日目(12/7) 沼津~箱根 その2

(前の記事のつつき) 念願の箱根の西坂を登り、箱根宿までを歩く。 本日は箱根温泉で一泊。 1010緩やかな今井坂から、箱根街道の西坂を登り始める。 1018今井坂を通り、愛宕坂石畳に入る。 1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3.6mを修理した」とあり、当時の道幅が分る。 現在の道は、観光…
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旧東海道を歩く 15日目(12/7) 沼津~箱根 その1

沼津宿から、三島宿を通り、箱根宿までを歩く。 沼津はもともと中世では漁村で、その地名のごとく蓼草(たでくさ)の生い茂った洲で、蓼原と呼ばれていた。この蓼原の東北に三枚橋の里があった。この地に人家が漸次に発達して沼津となる。元禄以前は三枚橋と称し、元禄初年に沼津宿というようになる。 沼津宿は、戸数1,234戸、人口5,346人…
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旧東海道を歩く 14日目(12/6) 蒲原~沼津

蒲原宿から、吉原宿、原宿を通り、沼津宿まで、明日の箱根を前に平坦な道を歩く。 蒲原は神原とも書いた。蒲原の駅はもとは富士川の東岸にあったが、川の氾濫で早くに廃れて、富士川の西側に移る。この地は蒲原丘陵が北方から駿河湾に迫って急崖をなし(広重の図にもこの点偲ばれる)、その崖下の狭い海岸姿態に東西4キロにわたる細長い街が続いて、線状集…
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旧東海道を歩く 13日目(12/5) 府中~蒲原

府中宿から、江尻宿、興津宿を通り、薩埵峠を越えて由比宿に入り、蒲原宿まで歩く。 いろんな意味で薩埵峠が楽しみなコース。 0820府中宿を出立、但し時間の都合で東静岡の先までは早駕籠に乗る。 従って、西見附から東見附の間の3.6キロある府中宿はゆっくり歩いていないため、西郷隆盛・山岡鉄舟会見所や、久能…
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旧東海道を歩く 12日目(12/4) 島田~府中

島田宿から、藤枝宿、岡部宿を経て、宇津ノ谷峠を越えて丸子宿を通り、府中宿まで、31キロを歩く 広重の島田の図絵は、島田の側から西方の金谷の方への河原を、ドローンを使って高い所から大井川を見下ろすように描いている。 0815島田宿を出立。 島田宿は、戸数1,461戸、人口6,727人(うち男3,400、女3,327)、本陣3…
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旧東海道を歩く 11日目(12/3) 袋井~島田

袋井宿から、掛川宿、日坂宿を通り、小夜の中山を越えて、金谷宿をから大井川越えまでの35キロを歩く。 アップダウンの多い道程になる。 0740地元の人の吹くホラ貝に送られて、袋井宿の東本陣跡を出立。 0743「東海道どまん中茶屋」を通リ過ぎて袋井宿を抜ける 0746新屋の秋葉山常夜燈 屋根瓦にしゃちほこが付いた、木造…
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旧東海道を歩く 10日目(12/2) 浜松~袋井

浜松宿から、天竜川を渡り、磐田、見付宿を通り袋井宿まで、26キロを歩く。 浜松の地は、万葉集に「ひき馬(ひくま)」と謳われ、また平安時代の『和名抄』には「波万万津」とみえる。 鎌倉時代の阿仏尼の『十六夜日記』には、「今宵は引馬の宿といふ所にとどまる。此の所の大方の名をば、浜松といひし」とある。 浜松の名は、「波万万津」のように…
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旧東海道を歩く 9日目(12/1) 二川~浜松

二川宿から、白須賀宿、新居宿、舞坂宿を通って、浜松宿まで、36キロほど歩く。 二川宿は、遠江国へ入る三河国の最後の宿になる。 宿駅業務は、当初、二川村と大岩村で行っていたが、二つの村は12町(1.3キロ)離れていて、距離を隔てた継立は不便だったので、寛永20年(1643)に両村がそれぞれ東西から移動し、吉田藩が幕府領となって、一…
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2017年の予定

明けましておめでとうございます。 今年は退職して8年目に入ります。 相も変わらず趣味の世界をさまよっています。 昨年は、先祖調査はあまり進捗しませんでした。 三吉慎蔵の妻・伊予の実家・正村家の末裔の方と面会し史料を頂戴したこと、 最後のバテレンと云われる宣教師シドッチの遺骨発見を契機に、河島家の先祖縁者になる、シドッチを尋…
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旧東海道を歩く 8日目(11/30) 藤川~二川

藤川宿の先の長沢から赤坂宿、御油宿、吉田宿を通って、二川宿まで27キロを歩く。 広重の「藤川」には、東の棒鼻が描かれている。棒鼻は宿場への入り口を示していて、そこに10尺(3.3m)の傍示杭(ぼうじぐい)を立てた。「自是岡崎藩領 藤川宿」と書かれている。棒鼻より外は街道、内側は宿場。 棒杭の左に立っているのは関札で当宿に止宿する…
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旧東海道を歩く 7日目(11/29) 池鯉鮒~藤川

池鯉鮒宿を出立し、岡崎宿を通り、藤川宿まで25キロを歩く。 0840池鯉鮒宿を出立。 問屋場跡 0907広重の描く「池鯉鮒宿 首夏馬市」の碑の説明を拝聴している。 池鯉鮒(知立)は三河木綿の集散地として、また馬市としても賑わったという。 万葉歌碑「引く馬野の歌」碑もある。 これから有名な池鯉鮒(知立)の「並木八丁」と…
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旧東海道を歩く 6日目(11/28) 熱田~池鯉鮒

熱田(宮)宿を出立し、鳴海宿を通り、池鯉鮒宿まで歩く。 広重の浮世絵では、白文印は「熱田神宮」として、6月21日に行われる馬追祭の勇壮な景を描いている。 熱田(宮)宿は、戸数2,924戸、人口10,342人(うち男5,133、女5,209)、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒から成る。「宮」は熱田の宮の略称であるが、旧藩時代は「…
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旧東海道を歩く 5日目(11/27) 四日市~津島

四日市宿を出立し、隣の富田から桑名宿を通り、 七里の渡しからは、海ではなく、佐屋街道を津島まで陸行する。 桑名宿から宮(熱田)宿までは、海と陸の道がある。    風人社「ホントに歩く東海道」より 佐屋街道は、東海道七里の渡しの陸路バイパスとして設けられた脇往還になる。宿は、佐屋宿、神守宿、万場宿、岩塚宿、ついで東海道の宮宿…
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旧東海道を歩く 関宿編

旧東海道を歩いてみると、当時の面影が残っている場所は何か所もある。 関宿もその一つ ここでは解説は抜きで、 関宿を西から東へと歩き、淡々とその写真の展示だけをしておきたい。 「 人気blogランキング 」  に参加しました。よろしければ押してくださいませ。 幕末・明治時代(日本史)ランキング 絵は…
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旧東海道を歩く 4日目(11/26) 関~四日市

関宿を出立し、亀山宿、庄野宿、石薬師宿を通って、四日市まで31キロを歩く。 昨日と違ってほぼ平地を歩く。単調な平地の遠距離ウォーキングは意外と難しい。 関は、伊賀と伊勢、さらには近江をつなぐ要地(伊勢別街道)として開けた。鎌倉時代から関所が設けられていたが、織田信長が関所の制を廃した。難所と言われた鈴鹿峠の下にあり、かつ交通の要…
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旧東海道を歩く 3日目(11/25) 水口~関

水口宿を出立して土山宿を通り、難所の鈴鹿峠を越えて近江国から伊勢国へ入り、坂下宿を抜け、関宿まで31キロを歩く 0800水口宿出立 水口曳山祭りの山車蔵 0809宿場内は、北の道、中の道、南の道に分かれる。その別れ地点にからくり時計が置かれている。 0821二股分岐の高札場を通る 残念がら、道中から外れてい…
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旧東海道を歩く  2日目(11/24) 草津~水口

草津宿から石部宿を通り水口宿まで、近江平野を26キロ歩く。 天気予報は最高気温が11度。 草津駅にて出発のセレモニーを終え、準備体操をして、 0830昨日ゴールした、田中七左衛門本陣の近くの追分まで戻る。 追分の常夜燈 草津宿は東海道と中山道の結節点であり、中山道と別れるこの追分から旧草津川沿に東海道を歩き始めた。 …
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旧東海道を歩く 1日目(11/23) 三条~草津

お江戸日本橋に向かって、京都三条大橋を出立する。 本日は、山科を経て、大津宿を通り、瀬田の唐橋を渡り、草津宿まで約26キロを歩く。 京都三条を出立するに先立って、第一日目なので主催者よりイベント開始の挨拶のあと、 まず、ウォーキングをしっかり行うための準備体操を行う。 準備体操は、朝出立前と、昼食・休憩後の出立前、ゴール到着…
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旧東海道を歩く 団結式 11/22

「 平成の龍馬 東海道をゆく!   ~ 京から江戸ヘ龍馬立志の道 550キロウォーク ~ 」 に参加して、11月23日から12月11日まで19日間で旧東海道を歩いてきた。 コースは、三条大橋から日本橋までの東下り。 参加者は23名、内訳は年齢は20代1人、60代6人、70代15人、80代1人、平均年齢は71歳 (22歳の青年…
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旧東海道を歩く  事前トレーニング

「平成の龍馬! 東海道をゆく」のイベントに参加することにした。 京都から江戸へ!東海道・龍馬立志の道550キロ ウォークと銘打っている。 先人が歩いた東海道を、同じように自分の足で歩いてみたいと思っていたが、やっとこれで叶えられる。 11月23に京都三条大橋を出発し、19日間かけて12月11日に日本橋へ、そして土佐藩邸があった…
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河井継之助の歩いた道3

今日は、河井継之助が、安政6年(1859)7月10日に生瀬宿から有馬の湯まで歩いた道を辿ってきた コースは以下の通り。 生瀬-->一本松-->座頭谷-->蓬莱峡-->船坂-->白水峡-->有馬 生瀬から船坂まではほぼ一本調子の登り坂で、約6.5km、 船坂から有馬まではアップダウンと平坦な…
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河井継之助の歩いた道2

河井継之助の歩いた道を辿ってきた。 今日は、前回時間切れで打ち切った伊丹から、生瀬まで まず伊丹で腹ごしらえをしてから、13時前に出発した。 コースは、 伊丹-->(有馬街道東廻り)-->大鹿-->瑞ヶ池-->鴻池-->(姥ヶ茶屋) 鴻池-->荒巻-->今里-->中山寺--&…
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河井継之助の歩いた道1

いま住んでいる宝塚の近辺は、幕末のころ人の往来が多かった。 宝塚は周りに、要衝の地・小浜、有馬への入り口・生瀬、酒造りの盛んな鴻池・伊丹、参拝者が途切れなく続く中山観音・清荒神などの神社仏閣、などがあり、巡礼街道、西宮街道、京伏見街道、有馬街道が交わる場所だった。 交通機関が発達していない幕末に、当時の人はどのように行き来し…
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