オランダ通詞の人々

2年前に開陽丸子孫の会による長崎歴史探訪の際に、講演会が開催された。 講師は『通訳たちの幕末維新』の著者・木村直樹氏。講演の中で、オランダ通詞については今村家と楢林家についても言及され、大変興味深く拝聴した。 長崎では、いつもオランダ通詞を調べることにしている。 幕末に興味を持ってから最初に訪ねた7年前は今村家の墓地を調べた。…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

久坂玄瑞と船越清蔵

久坂玄瑞の備忘雑録は5冊が伝わっている。 その1冊は「筆廼末仁満爾」(文久壬戊十月上浣日)とある。 その中の或るページに「船翁墓碑之事。」とメモ書きが記されている。 これは、文久2年10月上旬からの覚書に記した短いメモだが、松陰始め一門が舩翁と尊称した船越清蔵の墓について、玄瑞がその建碑に心いたしていたことを表している。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

三吉慎蔵の鹿児島訪問

三吉慎蔵が、鹿児島を訪れたときに宿泊した場所を調べている。 慎蔵は、明治20年(1887年)12月6日に鹿児島にて薨去された島津久光公の国葬に参列する。北白川宮能久親王の奥方は久光公の養女でもあり、家令として宮の名代を務めた。 12月7日に横浜を出港、翌日神戸に寄港したのち、10日に神戸を出港し12日に山川港に入り着港する。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

慶応4年1月の会津藩殉難者

鶴ヶ城天守閣郷土博物館の平成30年度企画展の図録『一八六八年の会津藩』を開いて、驚いたことがある。慶応4年1月7日の条に「京都、金戒光明寺を守る約百人の部隊壊滅」と記されている。 薄見寡聞の者なので誤謬があればご指摘いただきたいが、従来の数々の会津藩殉難者名簿にこの百人の記録は皆無だと思う。 会津藩は、慶喜公が慶応3年12月12…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

生野挙兵での小山六郎の役割

今月発行の『歴史人』6月号は「幕末の事件史」の特集号で、その一つとして生野の変を扱っている。 全体の記述は、時系列が逆であったり、事実と異なる記述が目につく。 参考に「生野の変 主な決起メンバー」のリストが掲載されているが、澤宣一・望月茂共著の『生野義挙と其の同志』昭和7年に依っているようだ。 実は前から不思議に思っていたのだ…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

西郷の硯

ある硯が気になっている。 三吉慎蔵が西郷吉之助に贈った赤間関硯で、今は酒田の荘内南洲会が所蔵している。 月に波上のうさぎが刻されている。よく使われた跡がみてとれる。 慎蔵が西郷に贈ったことは記録が残っている。 『三吉慎蔵日記』に、 「(慶応2年3月)七日夜馬関ヘ着ス。直ニ通船ニテ拙者ハ上陸シ鶏其他赤間関硯等ヲ購シ、西郷…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

文楽への道

文楽の名のもとになった植村文楽軒(本名:正井嘉兵衛)が経営した最初の芝居小屋と、二番目の小屋の跡を訪ねた。 文楽軒は、寛政(1789-1800)の頃、大坂に出て高津橋南詰西の浜側に浄瑠璃稽古場を開く。 この高津橋は、江戸中期、西高津新地の開発に伴って 道頓堀から開墾された高津入堀川にかかる橋だ(『浪華名所獨案内』より、高津付近)…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

彰義隊墓前法要からの雑感

今日5月15日、彰義隊の墓前法要が行われた。              (上の写真2葉は昨年の撮影)   この日は例年、上野に出かけているのだが、今回は残念ながら関西で用があり出席が叶わない。 この10年間で、一昨年のケガでの不参加を含め2回欠席したことになる。 僕が墓前法要に参加するのはもちろん訳がある。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

適塾の謎

先日たまたま適塾の前を通った。去年の大阪北部地震による災害復旧工事のため開館していなかった。適塾はいつもこのアングルからの撮影が多い。 思えば、ぼくと適塾との付き合いは長い。 半世紀前になるが、1970年に勤め始めた会社の本社近くに旧瓦町適塾があり、本社の裏の古手町には除痘館跡があった。また40年後の2008年に本社が今橋に移転…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

芝公園と人物

僕の中学・高校は芝公園の中にある。 住所はオランダ大使館や金地院と同じ3丁目。 隣の芝公園4丁目には、東京タワー、増上寺、芝東照宮などがあり、また都心で最大級の前方後円墳の芝丸山古墳などがある。これらは通学途中にあり遊び場だった。 芝公園のほとんどはもともとは増上寺の敷地だったが、多くは明治新政府により上地させられている。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

薩摩藩蔵屋敷跡

田町駅前の再開発 僕の住んでいた場所が大きく変わる。 報道によると、 三菱自動車本社があった第一田町ビルと隣の徳栄ビルの敷地に、高さ約150m、延べ約131,000㎡の超高層ビルが建設される。三菱地所設計が参画し、今年度に着工し、2022年度頃に完成する見込み。第一田町ビルの所有者は三菱重工で、徳栄ビルは徳栄商事。地権者は三菱…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

三吉慎蔵のルーツは半島にあり?

平成13年(2001)、明仁上皇は68歳の誕生日記者会見において、翌年の日韓共催ワールドカップの開催にあたり関心事を聞かれ、天皇家は百済国と血縁関係があると発言をされた。                    桓武天皇 「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。武寧王…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

西村捨三をご存知ですか

僕が西村捨三に興味を持ったのは、「贈右大臣大久保公哀悼碑」の建立と京都時代祭がきっかけだった。 西村は、暗殺された大久保利通のため、遭難5年後から遭難の地に「贈右大臣大久保公哀悼碑」を建立せんと尽力し、明治21年(1888)5月に完成させる。 大久保が遭難した場所は、北白川宮能久親王の宮殿のある、旧紀州藩中屋敷の近くだったた…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

同期の小田野展丈氏が侍従長に

最近のニュースには驚いた 同期で同じクラブ(経済新人会金融研究部)に属していた小田野展丈氏が、新天皇の側近トップの宮内庁侍従長に任じられた。 もともと皇太子一家を支える東宮大夫だけれど、そのまま平行移動するようだ。大変な役目だけれど引き続きしっかり支えていただきたい。 小野田氏は、昭和41年(1966)大学に入学したとき、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

松平健雄といちご

先日神戸に出かけたときのディナーがいちご尽くしだった。 いちごが今日食べられるようになったのには、松平容保の二男・松平健雄が関係している。 最初のいちごは、江戸時代末期にオランダ人によって長崎から日本にもたらされたので、オランダいちごと呼ばれていた。 いちご栽培は明治5年(1872)からと言われる。このときのいちごは「福羽」と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

令和時代の行動計画

新元号の年にあたり、残りの人生の行動計画を夢想してみた。 1)執筆、2)先祖調査、3)健康、4)酒食、5)歩き、6)旅行、7)文化、8)経済など10の各分野ごとに、具体的な目標と実施項目とスケジュールなどを描いてみた。 たとえば、1)執筆、2)先祖調査は詳細は省くが、簡単には以下の通り。 1)執筆 具体的には、先祖縁戚の…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

幸若大夫の肖像画

拝見したい肖像画がある 15世紀後期の宮廷絵師を代表する土佐将監光信筆と伝わる、桃井直詮(もものい ただあきら)を描いた紙本著色桃井直詮像。 この肖像画は東京国立博物館所蔵で、1988年6月6日に重要文化財に指定された。 熟達した迫真的容貌描写が特徴の、室町中~後期における肖像画の名品の一つとされる。 描かれた桃井直詮は…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

和泉守兼定

今日は天皇皇后両陛下が伊勢神宮に参られた。 外宮、内宮で退位の報告・儀式が執り行われたという。 伊勢神宮については思い出が多いが、中でも僕が伊勢神宮からみでいつも思い浮かぶのは、和泉守兼定だ。 生没年不詳で、「之定(のさだ)」の通称でも知られる。 出身は甲州で美濃の初代兼定の門人になり、後に養子になる。 その刀は切れ味よく…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

開陽丸子孫の会の総会場所

開陽丸子孫の会の総会の案内が届いた。 例年、4月後半の開催が多いのだが、今年は改元記念の10連休もあり、6月に行われる。 ところで、その総会の開催場所は平河町のホテルルポール麹町だが、僕には懐かしい場所だ。 明治11年2月16日から明治17年10年9日まで、三吉慎蔵が暮らした場所なのだ。 勿論、開催場所の設定は僕がしたわけで…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

ある写真の人物判定

ある写真の謎解きができた。 終戦後になるが祖父母の代のときに、近所の火事で家が類焼し祖父母と子供6人の一家が焼け出されたことがあった。 そして、子供たちが鎮火した火事場から写真の入った駕籠箱を見つけ、中から燃え残っていた写真を拾い出す。 どの写真も祖父母が大切に保存してきた先祖の写真だったが、残念ながら、焼け跡から取り出せたの…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

『 幕末維新全殉難者名鑑 』

戊辰戦争の殉難者を調べるため、1986年に出版された『幕末維新全殉難者名鑑』を見てみた。 特に関心があるのは会津藩についてなのだが、縁者の松平勇雄が名鑑の推薦者にいるのに記載には間違いが散見される。 たとえば、 ●安積運次郎 名鑑に記載漏れ。鳥羽伏見の戦いで捕虜、京都獄中で死亡。 ●在竹五郎太 名鑑に記載。殉難者名籍にあり、…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

会津と咸臨丸

縁と云うのはおもしろいものだ 2015年6月に、黒谷金戒光明寺にて京都会津会主催で第110回の法要が行われた。 この時は110回の節目なので、わだかまりを解きたいとして長州関係者にも声をかけての大々的な法要だった。 その直会の席のことだが、僕の前に母娘が座っておられた。 お互い自己紹介してみると、関東から来られたという。 …
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

夏目漱石の甥、夏目小一郎

昨日、咸臨丸子孫の会が原宿の東郷神社横のクラブ水交にて開催された。 懇親会のなかでAさんの紹介を受け、お話を聴くと先祖の方が一高で夏目漱石に教えを受けたとのこと。 そういえば僕の家系に漱石の甥がいたと話したのだが、名前が思い出せない。 歳はとりたくないものだ。 漱石の甥とは、漱石の兄直矩の長男小一朗の事で、思い出すのに時…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

本能寺と咸臨丸

先日、京都での日米修好通商条約勅許奉請の使節の史跡めぐりに参加した。 使節の正史・老中首座堀田正睦の宿舎は寺町の本能寺で、ここが朝廷との交渉の場だった。 通商条約関係でこの場所を訪ねたとき、実は因縁めいたものを感じたのだった。 本能寺を創建した日隆上人は、高祖母小杉としの実家・小杉家と縁続きになる。通商条約の批准書交換の遣米使…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

永井荷風、永井智子と永井路子

永井荷風と、永井智子と永井路子(1925年3月31日-)のお話 明治時代に長府毛利家があった麻布市兵衛町に、時代は下って大正8年(1919)に永井荷風(本名永井壮吉)が偏奇館を新築し移り住む。 そして旺盛な創作活動のなかで、才能豊かな荷風は昭和13年(1938)に作曲家菅原明朗と歌劇『葛飾情話』を作って浅草オペラ館で上演する…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

岩倉村史跡巡り

昨日、大阪龍馬会主催の岩倉史跡探訪に参加して、左京区岩倉村を廻ってきた。岩倉具視には関心があり、なかなか得難い史跡めぐりだった。 最近、幕臣の京都での安政5年(1858)の通商条約勅許奉請の活動に興味があり、そのときの朝廷側の対応が気になっている。 その朝廷側の中心人物は鷹司政通であり、久我建通を介して、鷹司にすり寄っていた岩倉…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

笑点大喜利と帆船海王丸

僕の好きなものに、笑点の大喜利がある。 居並ぶ落語家の当意即妙の受け答えが面白い。 最近は昔の大喜利も火曜日に放映されるので毎回楽しみにしている。 今回の火曜日の放映は、驚いたことに2010年5月2日(日)の、初めて観る大喜利だった。 未見のはずで、実は5月2日は僕は日本にいなかったのだ。 この大喜利の放映時間が1730と…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

通商条約勅許使節の史跡巡り

先日、京都にて史跡めぐりに参加してきた。 テーマは、日米修好通商条約の勅許を得るため、安政5年2月4日~4月5日まで滞京した幕臣たちの跡をたどること。 今回の史跡めぐりは、岩瀬忠震が宿泊した瑞泉寺での、有志による岩瀬忠震・橋本左内顕彰碑の建碑を記念して企画された。 岩瀬忠震は、海防掛目付として開国に向けて中心的役割を演じ、滞京…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

徳川慶喜の筆「誠」

先日、徳川慶喜の書いた「誠」の書が 広辞苑編者の新村出旧宅で発見されたと報道された。新村出の養父猛雄は慶喜に仕えていたため、新村家で受け継がれたと考えられる。 「誠」は、慶喜にとってはまことに身近な文字だったのではないだろうか (新村出記念…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more

九州2日目 長崎

10/21朝、小曾根家を訪問し、貴重なお話を拝聴する。 その後、市内の幕末史跡をめぐり、また5年ぶりに先祖のオランダ通詞の今村家と楢崎家の墓地にも参る。                        楢林鎮山 晩は開陽丸子孫の会の長崎旅行に合流し、料亭二見にて会食。 長崎での幕末史跡めぐりは2度目になるので、前回見逃し…
トラックバック:0
コメント:0

続きを読むread more