北越戊辰戦争史跡巡り 長岡

二日目の7/17は、小千谷に続き、長岡の河井継之助関係の史跡巡りで、以下の順に廻ってきました。 (長岡)  長岡駅-->河井継之助宅跡・記念館-->山本五十六記念館-->栄涼寺 思いのほか小千谷の史跡巡りで時間を取ったため、長岡で巡った史跡は少ない。 ・河井継之助邸跡 長岡市長町1丁目にあっ…
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北越戊辰戦争史跡巡り 小千谷

新潟史跡巡り その2 小千谷 二日目の7/17は、小千谷と長岡の主に河井継之助関係の史跡巡りで、小千谷は以下の順に廻ってきました。 小千谷駅-->慈眼寺-->船岡西軍墓地-->割烹東忠-->小千谷陣屋跡、 小千谷では朝日山に登り戦場跡を確認したかったが、調査に十分に時間を取りたいので、長岡・…
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北越戊辰戦争史跡巡り 新潟市内

7/16夜に新潟市内にて友人達との会合があり、折角なので7/16午後と、7/17半日をかけ北越戦争の史跡巡りをしてきました。 じっくり廻ると3泊は要るような気がしますが、1泊だけの駆け足の史跡巡りです。 僕は基本的に地勢や距離感も把握するためすべて足で廻ることを基本原則にしている。 従って、時間的に廻れる箇所は限られてくるのは…
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僕と安倍晋三夫妻との関わり

誰にも先祖がいる。 いなければ今の自分はいない。 幕末の頃であれば高祖父母の時代であり、4代前になるので2の4乗、16人いることになる。 その16人の中には、僕の場合、旧長府毛利家に仕えた小坂(おさか)家、三吉家の人々がいる。 長府毛利家での家系は戦国時代にまで遡るのだが、この長府藩の場所は安倍氏の地元下関市に重なる。 …
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開陽丸の再潜水調査

6/13北海道新聞によると、 江差町は、慶應4年に座礁沈没した旧幕府軍の軍艦「開陽丸」を10年ぶり潜水調査する方針とのこと。 江差町教育委員会は7月末から潜水調査を行い保全方法を検討する計画だ。 今現在は、江差港付近の海底に沈む旧幕府軍の軍艦「開陽丸」の船体の一部は銅製の網をかぶせて保全されている。 開陽丸に搭載されてい…
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生野義挙数日間の北垣晋太郎の行動

生野義挙を記録したものとして、地元但馬から参加した小山六郎が書き残した「但馬義挙実記」がある。 六郎が生野義挙を追懐し義挙の真相を記した貴重な資料で、覚書には義挙の参謀に任じられた木曽源太郎(旭健)が注釈を加筆しており、『維新日乗纂輯 二 』に収められている。 しかし実は、もうひとつ、「但馬義挙実記」とほぼ同じ内容だが、やや詳述の「…
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幕臣一家

5月15日は、154年前の慶應4年に上野にて戦争のあった日になる。 この日、幕臣の高祖父・河島由路は16歳の長男由之と一緒に彰義隊に参加して黒門口で戦い戦死している。 したがって旧暦の5月15日前後に行われる彰義隊慰霊祭は、僕にとっては高祖父の河島由路の供養の日であり、現在の僕がいるもとになった、生き残った曽祖父・河島由之への感…
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八・一八の政変と三吉慎蔵

攘夷の期限が文久3年5月10日と決まったが、5月10日の攘夷期限には長州のみが攘夷を行い他には同調する藩がなかった。 下関海峡を挟んだ小倉藩も砲撃に協力せず、両岸からの砲撃が成立しないため、砲弾が届かず外国船に決定的なダメージを与えられない。 従って長州は、攘夷を行わない小倉藩に対し処分を行うよう、朝廷に働きかけていく。 その…
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祖父の恋

2015年のことだ。 信州上田にて郷土関係の本を求めて書店に入ったのだが、岩波文庫の赤帯、シュトルム作の短編「みずうみ」に目がとまり買っていた。 この本を僕は47年ぶりに手にしたのだった。 47年前、81歳の祖父は病床に臥していた。 見舞いに行った母が、何か小説がないか読み物を所望されて帰ってきた。 僕はちょうど読み終えた…
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「文楽座」命名150年法要

昨日3/1、大阪の夕陽丘の円成院にて初代植村文楽軒、四代植村文楽軒(文楽翁)など代々の植村文楽軒の法要が執り行われ参列させていただいた。 文楽協会、人形浄瑠璃文楽座、国立文楽劇場の立派な花が供えられ、 中央には右から、植村家先祖代々之霊位、初代文楽軒釋楽道、釋尼妙教(初代妻)、四代目文楽翁釋眞教の各位牌が置かれている。 これか…
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「わげもん 長崎通訳異聞」の2回目

僕にとってはなかなか示唆に富む内容だった。 内容は史実を踏まえながらも、もちろん架空の人物や架空のお話でドラマは進む。 残念ながら今の出島には今村家や楢林家の先祖が勤めていたオランダ通詞部屋は復元されていないが、今回のドラマではそのオランダ通詞部屋が登場した。 右上の「4」がオランダ通詞部屋 模型では、手前の左端の二階屋になる …
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阪神淡路大震災の1/17に思う

27年前は奈良の榛原に住んでいた。 その15年ほど前に建てた2階建ての家の1階で寝ていた時に突然激しい揺れに襲われた。 とっさに隣に寝ていた嫁さんの上に覆いかぶさったのだが、このことは今でも嫁さんに感謝されている。 その日大阪市内の会社には通常通り通勤できた。 市内のビル街はいつもと変わらない日常があった。 歩いていると窓…
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「わげもん 長崎通訳異聞」

面白いドラマが始まった 「わげもん 長崎通訳異聞」 第一話を拝見したが時代設定がよい。 時代は幕末に入る数年前の嘉永2年3月25日(1849年4月17日)のアメリカ軍艦プレブル号が長崎に入港する直前から始まる。 ドラマではペリー来航時に活躍する森山栄之助などの名も散見される。 アメリカ軍艦プレブル号が長崎にやってきたの…
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箱根駅伝に見る幕末史跡

毎年駅伝を拝見して、放映される映像で確かめていることがある。 それは、 徳川家の菩提寺増上寺と、海舟西郷が会談した薩摩藩蔵屋敷跡。 増上寺の山門前をランナーが走るときは必ず東京タワーと増上寺を入れてヘリコプターから映す。 徳川家茂が眠る墓所が映るが、このときは決まって左端に僕の出身した中学高校が確認できる。 また、薩摩藩蔵…
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2022年の予定

明けましておめでとうございます。 久しぶりのblog投稿で、しかも年も明けだいぶ日も経っています。 歴史探訪については、いつもであれば東京へ10回、その他日本各地に同じ頻度で出かけていたのですが、 昨年もコロナ禍で自粛の1年に終わりました。 その中で、11月は下関市立歴史博物館にて高祖父・三吉慎蔵の没後120年の記念展示を拝…
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東京を整備した山尾庸三

東京築地にある「訓盲院発祥の地」碑からの連想。 明治になってから洋風の建造物が作られていくが、初期の建築には幕末に活躍した人物の名がよく出てくる。 訓盲院の建築は、お雇い英人のジョサイア・コンドルの設計になるが、以下の経過をたどった。 明治8年(1875)5月に、古川正雄・津田仙・中村正直・岸田吟香・ボルシャルトの5人によって…
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三吉慎蔵についての間違い

最近、三吉慎蔵についての投稿をよく目にします。 先日も、 「江戸時代、幕末の日本で坂本龍馬を護衛した凄腕の槍術使い『三吉慎蔵』とは」との題で、Japaaanマガジンの記事を眼にしました。 Japaaanマガジンの幕末関係記事はあまりにも誤りが多いので読まないようにしているのですが、 この三吉慎蔵の記事は先祖に関することなので…
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いろは丸事件

三吉慎蔵宛ての長府藩士・印藤聿の書簡がある。 「坂本先生が今朝、下関に帰ってきたそうです。 夕刻までには出帆し、上方へ登るとのこと、伊藤九三より申してきました。 龍馬のために大小(本差と脇差)を送るよう伝言がありました。 伊藤からの使いに持たせ送るのであればお渡しください。 私と夕刻までに一緒に下関まで行くがよいと思います…
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戊辰戦争と多田郷士

多田郷士のいる兵庫県川西市の多田庄は源氏の発祥の地であり、僕の住んでいる宝塚から近い。祭神 祭神は清和天皇の曾孫源満仲、頼光、頼信、頼義、義家の五公。すなわち源氏の祖廟であり、源氏の発祥の地 ドラマ「銀一貫」で北摂津の寒天が有名になったが、幕末期に紀州藩の寒天製作を一手に引き受けたのも多田院の御家人(多田郷士)を名乗る黒田家だった。…
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ディアナ号は帆船のはずだが

だいぶ前になるが、京都維新を語る会の会合にて面白い史料を見せていただいた。 プチャーチンが嘉永6年(1853)7月に長崎に来航したときの絵がある。そこには、4隻の船と幕府役人やロシア使節が描かれている。 船の1隻はパルラーダ号で、ディアナ号と同型の帆船のフリゲート艦だ。 ディアナ号は、翌安政元年(1854)にプチャーチンと…
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