テーマ:史跡めぐり

西宮砲台のその後

西宮砲台の修復状況を確認してきた 本来は9月最後の日曜日なので、1年に一回の内部公開の日なのだが、 昨年の9月4日の台風21号によって、砲台も大きな被害を被り、昨年から内部公開はしていない。 台風通過後も、夙川河口では東西の波打ち際から防潮堤まで、香櫨園浜の広い範囲で高潮暴風による漂着ゴミが打ち揚がり、台風の爪痕を残した。 幕末…
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三吉慎蔵の鹿児島訪問

三吉慎蔵が、鹿児島を訪れたときに宿泊した場所を調べている。 慎蔵は、明治20年(1887年)12月6日に鹿児島にて薨去された島津久光公の国葬に参列する。北白川宮能久親王の奥方は久光公の養女でもあり、家令として宮の名代を務めた。 12月7日に横浜を出港、翌日神戸に寄港したのち、10日に神戸を出港し12日に山川港に入り着港する。 …
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文楽への道

文楽の名のもとになった植村文楽軒(本名:正井嘉兵衛)が経営した最初の芝居小屋と、二番目の小屋の跡を訪ねた。 文楽軒は、寛政(1789-1800)の頃、大坂に出て高津橋南詰西の浜側に浄瑠璃稽古場を開く。 この高津橋は、江戸中期、西高津新地の開発に伴って 道頓堀から開墾された高津入堀川にかかる橋だ(『浪華名所獨案内』より、高津付近)…
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適塾の謎

先日たまたま適塾の前を通った。去年の大阪北部地震による災害復旧工事のため開館していなかった。適塾はいつもこのアングルからの撮影が多い。 思えば、ぼくと適塾との付き合いは長い。 半世紀前になるが、1970年に勤め始めた会社の本社近くに旧瓦町適塾があり、本社の裏の古手町には除痘館跡があった。また40年後の2008年に本社が今橋に移転…
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芝公園と人物

僕の中学・高校は芝公園の中にある。 住所はオランダ大使館や金地院と同じ3丁目。 隣の芝公園4丁目には、東京タワー、増上寺、芝東照宮などがあり、また都心で最大級の前方後円墳の芝丸山古墳などがある。これらは通学途中にあり遊び場だった。 芝公園のほとんどはもともとは増上寺の敷地だったが、多くは明治新政府により上地させられている。 …
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岩倉村史跡巡り

昨日、大阪龍馬会主催の岩倉史跡探訪に参加して、左京区岩倉村を廻ってきた。岩倉具視には関心があり、なかなか得難い史跡めぐりだった。 最近、幕臣の京都での安政5年(1858)の通商条約勅許奉請の活動に興味があり、そのときの朝廷側の対応が気になっている。 その朝廷側の中心人物は鷹司政通であり、久我建通を介して、鷹司にすり寄っていた岩倉…
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通商条約勅許使節の史跡巡り

先日、京都にて史跡めぐりに参加してきた。 テーマは、日米修好通商条約の勅許を得るため、安政5年2月4日~4月5日まで滞京した幕臣たちの跡をたどること。 今回の史跡めぐりは、岩瀬忠震が宿泊した瑞泉寺での、有志による岩瀬忠震・橋本左内顕彰碑の建碑を記念して企画された。 岩瀬忠震は、海防掛目付として開国に向けて中心的役割を演じ、滞京…
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九州2日目 長崎

10/21朝、小曾根家を訪問し、貴重なお話を拝聴する。 その後、市内の幕末史跡をめぐり、また5年ぶりに先祖のオランダ通詞の今村家と楢崎家の墓地にも参る。   楢林鎮山                         晩は開陽丸子孫の会の長崎旅行に合流し、料亭二見にて会食。 長崎での幕末史跡めぐりは2度目…
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適塾にて

昨日、適塾関係で調べものをした。 まず、大阪府立中之島図書館で資料を見て、適塾と、近くの除痘記念館を廻る。 天然痘(痘瘡)は、昔から人類に惨禍を齎したが、昭和55年(1980)にWHOが根絶を宣言した。それは、英のジェンナーが1796年に牛痘種痘法を開発したことによる。 佐賀藩医・楢林宗建は、日本にジェンナー式の種痘を普及…
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九州1日目 佐賀

1年前の九州史跡めぐりを記録しておく。 10/20佐賀、10/21-22長崎、10/23-25鹿児島。 佐賀と鹿児島は今まで未踏の地だった。 10/20、先ずは日本の近代化の先駆けとなった佐賀から。 佐賀藩は、貿易の窓口の長崎警備を幕府から命じられ、福岡藩と隔年交代で担当していた。そのために、長崎からいち早く正確な海外情…
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文楽と 植村文楽軒

先日8月7日に、文楽を鑑賞する機会があり国立文楽劇場を訪ねた。 開演する前に、資料展示室の展示を拝見したが、ここには文楽の歴史や、太夫・三味線・人形の三業について、基本的内容をわかりやすく紹介している。 このとき、文楽の歴史の年表を見て、思わず目が点になり立ち尽くしてしまった。 年表の真ん中辺りの、「文楽軒の登場(文楽が代…
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鳥羽伏見の戦い 伏見編

先日4月14日(土)、鳥羽伏見の戦いから150周年を記念し、咸臨丸子孫の会のイベントで伏見地区の戦いの址を訪ねた。 巡ったコースは以下の通り。 明治天皇陵~乃木神社~薩摩軍大砲隊陣地~御香宮神社~魚三楼~伏見奉行所~月桂冠大倉記念館~会津軍陣地~土佐藩邸~伏見口の戦い激戦地~寺田屋 近鉄・桃山御陵駅前から最初の明治天皇陵ま…
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京都での歴史探訪 その2 大政奉還の二条城

京都史跡めぐり 2日目のコースは、二条城 ---> 京都御所  --> 伏見寺田屋 ~薩摩屋敷で、 午前は、大政奉還の行われた二条城を見学する。 二条城は、初めて訪れたのだが、現在は平成23年から20年の歳月をかけて本格的な修理を行っている最中。それでも、150年前に大政奉還が行われた節目の年でもあり、見学者…
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京都での歴史探訪 その1 龍馬葬送の道

9月8日~9月10日の3日間、京都で行われた米熊・慎蔵・龍馬会の歴史探訪ツアーに参加した。 初日のコースは以下の通り。 京都霊山護国神社-->霊山-->お龍の寓居跡--->龍馬葬送の道-->円山公園-->村田サト実家-->中岡慎太郎寓居跡-->近江屋跡-->酢屋 護国神社…
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神奈川台場

神奈川宿の史跡めぐりをした際、神奈川台場跡を廻ってきた。 神奈川宿からは、旧東海道をはずれ、滝の川に沿って海に向かうとJR貨物の鉄橋に達する。 この左側(東側)の少し先の辺りに神奈川台場があった。 安政5年(1858)、幕府はアメリカ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと修好通商条約を結び、この条約に基づいて横浜が国際貿…
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横浜・神奈川宿 幕末史跡巡り

神奈川宿の幕末史跡めぐりをしてきた。 昨年末に京都から江戸まで旧東海道を歩いた時は、ウォーキングが目的で、街道沿いの史跡めぐりができなかった。 今年はオランダで建造された開陽丸が榎本武揚達によって横浜に回航されて150周年になり、それを記念して開陽丸子孫の会が横浜で開催されたことでもあり、神奈川宿の幕末史跡めぐりをしてきた。 …
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旧東海道を歩く 19日目(12/11) 品川~日本橋

品川宿から、いよいよ旧東海道東下りのゴールの日本橋まで歩く 本日の最終コースはよく親しんだ場所で、特に田町の近辺は小学、中学、高校、大学時代に暮らしていた場所でもあるので、土地勘がある地域になる 日本橋到着後は、千葉定吉の道場跡を経由して旧土佐藩邸のあった東京国際フォーラムに向かい、そこで完歩式典を行って、15時に「平成の龍馬!…
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旧東海道を歩く 18日目(12/10) 保土ヶ谷~品川

保土ヶ谷宿から、神奈川宿、生麦村、川崎宿を経て、品川宿まで28キロほどを歩く 保土ヶ谷宿は、戸数558戸、人口2,928人(うち男1,374、女1,554)、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠67軒から成る 0820保土ヶ谷宿を出立、神奈川宿までは4.9kmほど 0905神奈川宿に入る 神奈川宿は、戸数1,341戸、人口5,…
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旧東海道を歩く 17日目(12/9) 大磯~戸塚

大磯宿から、平塚宿、藤沢宿、戸塚宿を経て東戸塚まで歩く 大磯宿は、戸数676戸、人口3,056人(うち男1.517、女1,498)、本陣3軒、脇本陣0軒、旅籠66軒から成る 東の平塚宿とは2.9km、西の小田原宿とは15.7km離れている。大磯は既に鎌倉時代に宿場町として栄えた。 0800大磯宿を出立 0807化粧(…
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旧東海道を歩く 15日目(12/7) 沼津~箱根 その2

(前の記事のつつき) 念願の箱根の西坂を登り、箱根宿までを歩く。 本日は箱根温泉で一泊。 1010緩やかな今井坂から、箱根街道の西坂を登り始める。 1018今井坂を通り、愛宕坂石畳に入る。 1769年に修理した記録によると、「愛宕坂では、長さ140m、幅3.6mを修理した」とあり、当時の道幅が分る。 現在の道は、観光…
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旧東海道を歩く 15日目(12/7) 沼津~箱根 その1

沼津宿から、三島宿を通り、箱根宿までを歩く。 沼津はもともと中世では漁村で、その地名のごとく蓼草(たでくさ)の生い茂った洲で、蓼原と呼ばれていた。この蓼原の東北に三枚橋の里があった。この地に人家が漸次に発達して沼津となる。元禄以前は三枚橋と称し、元禄初年に沼津宿というようになる。 沼津宿は、戸数1,234戸、人口5,346人…
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旧東海道を歩く 14日目(12/6) 蒲原~沼津

蒲原宿から、吉原宿、原宿を通り、沼津宿まで、明日の箱根を前に平坦な道を歩く。 蒲原は神原とも書いた。蒲原の駅はもとは富士川の東岸にあったが、川の氾濫で早くに廃れて、富士川の西側に移る。この地は蒲原丘陵が北方から駿河湾に迫って急崖をなし(広重の図にもこの点偲ばれる)、その崖下の狭い海岸姿態に東西4キロにわたる細長い街が続いて、線状集…
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旧東海道を歩く 12日目(12/4) 島田~府中

島田宿から、藤枝宿、岡部宿を経て、宇津ノ谷峠を越えて丸子宿を通り、府中宿まで、31キロを歩く 広重の島田の図絵は、島田の側から西方の金谷の方への河原を、ドローンを使って高い所から大井川を見下ろすように描いている。 0815島田宿を出立。 島田宿は、戸数1,461戸、人口6,727人(うち男3,400、女3,327)、本陣3…
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旧東海道を歩く 11日目(12/3) 袋井~島田

袋井宿から、掛川宿、日坂宿を通り、小夜の中山を越えて、金谷宿をから大井川越えまでの35キロを歩く。 アップダウンの多い道程になる。 0740地元の人の吹くホラ貝に送られて、袋井宿の東本陣跡を出立。 0743「東海道どまん中茶屋」を通リ過ぎて袋井宿を抜ける 0746新屋の秋葉山常夜燈 屋根瓦にしゃちほこが付いた、木造…
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旧東海道を歩く 10日目(12/2) 浜松~袋井

浜松宿から、天竜川を渡り、磐田、見付宿を通り袋井宿まで、26キロを歩く。 浜松の地は、万葉集に「ひき馬(ひくま)」と謳われ、また平安時代の『和名抄』には「波万万津」とみえる。 鎌倉時代の阿仏尼の『十六夜日記』には、「今宵は引馬の宿といふ所にとどまる。此の所の大方の名をば、浜松といひし」とある。 浜松の名は、「波万万津」のように…
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旧東海道を歩く 9日目(12/1) 二川~浜松

二川宿から、白須賀宿、新居宿、舞坂宿を通って、浜松宿まで、36キロほど歩く。 二川宿は、遠江国へ入る三河国の最後の宿になる。 宿駅業務は、当初、二川村と大岩村で行っていたが、二つの村は12町(1.3キロ)離れていて、距離を隔てた継立は不便だったので、寛永20年(1643)に両村がそれぞれ東西から移動し、吉田藩が幕府領となって、一…
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旧東海道を歩く 8日目(11/30) 藤川~二川

藤川宿の先の長沢から赤坂宿、御油宿、吉田宿を通って、二川宿まで27キロを歩く。 広重の「藤川」には、東の棒鼻が描かれている。棒鼻は宿場への入り口を示していて、そこに10尺(3.3m)の傍示杭(ぼうじぐい)を立てた。「自是岡崎藩領 藤川宿」と書かれている。棒鼻より外は街道、内側は宿場。 棒杭の左に立っているのは関札で当宿に止宿する…
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旧東海道を歩く 7日目(11/29) 池鯉鮒~藤川

池鯉鮒宿を出立し、岡崎宿を通り、藤川宿まで25キロを歩く。 0840池鯉鮒宿を出立。 問屋場跡 0907広重の描く「池鯉鮒宿 首夏馬市」の碑の説明を拝聴している。 池鯉鮒(知立)は三河木綿の集散地として、また馬市としても賑わったという。 万葉歌碑「引く馬野の歌」碑もある。 これから有名な池鯉鮒(知立)の「並木八丁」と…
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旧東海道を歩く 6日目(11/28) 熱田~池鯉鮒

熱田(宮)宿を出立し、鳴海宿を通り、池鯉鮒宿まで歩く。 広重の浮世絵では、白文印は「熱田神宮」として、6月21日に行われる馬追祭の勇壮な景を描いている。 熱田(宮)宿は、戸数2,924戸、人口10,342人(うち男5,133、女5,209)、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒から成る。「宮」は熱田の宮の略称であるが、旧藩時代は「…
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旧東海道を歩く 5日目(11/27) 四日市~津島

四日市宿を出立し、隣の富田から桑名宿を通り、 七里の渡しからは、海ではなく、佐屋街道を津島まで陸行する。 桑名宿から宮(熱田)宿までは、海と陸の道がある。    風人社「ホントに歩く東海道」より 佐屋街道は、東海道七里の渡しの陸路バイパスとして設けられた脇往還になる。宿は、佐屋宿、神守宿、万場宿、岩塚宿、ついで東海道の宮宿…
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