「世界津波の日」

昨日11月5日は「世界津波の日」だった。 和歌山県広川町の故事「稲むらの火」にちなんで制定された「世界津波の日」の5日、県内外各地で災害に備えた訓練があった、と各メディアで報道された。 この記念日の制定の経緯は以下の通り。 幕末の嘉永7年11月5日(1854年12月24日)に、安政南海地震が発生した。 この地震で発生した津波…
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即位礼正殿の儀

昨日は即位礼正殿の儀なので、 神戸では寄港している海王丸が満船飾でお祝いすることになっていた。 海王丸は久しぶりなので出かけで見ようかと思ったのだが、在宅してTVで儀式を拝見することにした。 それは、 同期で同じクラブ(経済新人会金融研究部)に属していた小田野展丈氏の侍従長としての晴れ舞台を見届けるためだ。 小田野氏は、 …
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山国隊の復活

昨日は、京都にて山国地域と山国隊の歴史についての展示を拝見し、講演会を拝聴してきました。 昨年は明治150年の節目の年で、戊辰戦争で活躍した山国隊が再び日の目を見た年でした。 明治28年(1895)に、平安遷都千百年記念祭の開催にあたり、実質的な実行責任者の西村捨三はその催しの一つとして時代祭りを企画した。その後の時代祭でも、山…
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西宮砲台のその後

西宮砲台の修復状況を確認してきた 本来は9月最後の日曜日なので、1年に一回の内部公開の日なのだが、 昨年の9月4日の台風21号によって、砲台も大きな被害を被り、昨年から内部公開はしていない。 台風通過後も、夙川河口では東西の波打ち際から防潮堤まで、香櫨園浜の広い範囲で高潮暴風による漂着ゴミが打ち揚がり、台風の爪痕を残した。 幕末…
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本能寺の絵図面

11月に、日米修好通商条約の勅許奉請に関する史跡めぐりがある。 昨日はその下調べのため京都寺町の本能寺を訪ねた。 本能寺は、使節の正使・老中首座堀田正睦の宿舎であり、また朝廷との交渉の場だった。 とりあえず僕が知りたいのは、 交渉が行われた安政5年(1858)の本能寺の敷地と建物の、当時の姿。 実は、10日ほど前にも本能寺…
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河井継之助の歩いた道4

先日、TV英雄たちの選択「不可能への兆戦~河井継之助の北越戦争」を録画で拝見した。 内容の出来はともかく、 河井継之助が、高梁の山田方谷を訪ねる場面とその旅日記『塵壺』も紹介された。 継之助は、その道中の途次の宝塚の近辺では、安政6年(1859)7月10日に生瀬宿から有馬の宿までを歩いている。 『塵壺』では、 「十日 晴 …
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契約の箱

一度見たいと思っているものがある。 いわゆる「契約の箱(アーク)」で、『旧約聖書』に記されている、十戒が刻まれた2枚の石板を収めた箱。 契約の箱は、様々に描かれてきた。 ①フランス南西部オーシュにあるサント・マリー大聖堂のレリーフに彫られた契約の箱 ②豪華装飾写本『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれた契約の箱 ③契約…
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春琴抄とその時代

谷崎潤一郎の春琴抄を読むと、その時代背景の描き方が気になる。 春琴が生きた時代と場所は、江戸時代末期から明治にかけての幕末を含む大坂だった。 春琴は、大坂道修町の業種商の次女として、文政12年(1830)5月24日に生まれ、明治19年(1886)10月14日に脚気が原因で58歳で死亡する。 盲目となった春琴の身の回りの世話を献…
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幕府軍艦 開陽丸

今年は、箱館戦争終結150年になる。 一連の戊辰戦争の最後の戦いが、五稜郭の旧幕府軍の降伏で幕を閉じたのだが、 この戦いでの旧幕府側の大きな損失は、当時の最新鋭軍艦・開陽丸の江差沖座礁沈没であった。 オランダで建造されて進水4年目、横浜に回航されて3年目に沈み、活躍の機会は少なかった。 2015年に、この開陽丸建造150…
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炭酸水

美酢は、ザクロが旨い もう3か月ほど前から飲んでいる。 飲み方にはいろいろあるが、炭酸割が好みに合う。 特に暑い日々が続いたこの夏は、日に何回もいただいた。 ちょっと前に、近くの店で大安売りがあったときに10本ほど仕入れたのだが、すでに半分を飲んでしまった。 ま、とにかくこの韓国製の飲料は口に合っている。 炭酸というと宝…
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魁(さきがけ)

天誅(忠)組の義挙は、明治維新の魁(さきがけ)とよくいわれる。 「魁」を辞書で引くと以下のように説明がある。 [音]カイ(クヮイ) [訓]さきがけ ① 人の長となる人。かしら。頭領。首領。首長。首魁。「魁首/巨魁・首魁」〔書経‐胤征〕 ② 堂々として大きい。「魁偉・魁傑」 ③ 他の者の先頭を行くこと。 他に先んじること…
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UFOの正体

世界には、機密のため非公開で、絶対に入れない場所がかなりある。なかには、軍事利用を主目的とする先端研究のための民間施設も数多い。 米国の航空機製造会社のスカンクワークスもその一つだ。 ここは、ロッキード・マーティン社の極秘開発部門で、日本と戦っていた1943年に創設され、「飛行の概念を常に塗り替える革新的な航空機」の開発をモットにし…
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銀行に眠る幕府宛請求書

2010年5月、田中正明氏とはサンフランシスコで会っているのだが、この人との話の内容を忘れかけている。 帆船海王丸で航海したとき、到着後の滞米中は航海日誌とは別にメモを残しておいたが、それが見当たらない。 5/5 咸臨丸の航跡をたどった海王丸が30日間の航海を終えたあと、1700から船長主催のレセプションが開催された。 このと…
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幕臣の小杉直吉・雅之進兄弟の生き方

今月8月は、21日が小杉雅之進、24日が小杉直吉の祥月命日。 小杉家は、南北朝時代の越中守護、桃井播磨守直常を始祖とする。  絵には「ももい なをつね」とあるが、正しくは「もものい ただつね」 直常の6代あとの桃井三郎四郎直宣の嫡子に、桃井尚芳(なおよし)が生まれる。 小杉村に潜居していた尚芳は、元和3年(1617)に加…
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船越清蔵の知名度

幕末の船越清蔵を調べているのだが、 なかなか書かれたものが少なく、評伝としての堀哲三郎『船越清蔵先生』が良本といえるのだろう。 この本には、三吉慎蔵との関係は特には記述がないのが残念だが、 小坂土佐九朗の二男として三吉家に養子に入った慎蔵は、養母喜久との縁で、船越清蔵とは縁続きになる。 その船越清蔵は、萩本藩の支藩清末藩に生…
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文楽の『仮名手本忠臣蔵』

昨日の読売の文化欄に「文学 文楽 うその世界へ」と題し、直木賞受賞の大島真寿美さんと人形遣いの桐竹勘十郎さんの対談が載っている。 大島さんは4年前に初めて文楽「妹背婦女庭訓」を観劇する。そのとき、人形遣いの桐竹勘十郎さんの操る「お三輪」に衝撃を受け、『渦 妹背婦女庭訓 魂結び』を書く。これが第161回直木賞に輝いた。 なかなかいいお…
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海王丸と宝塚歌劇

この二つを並べても関係はないように見える。 ただ、ここでいう海王丸は、明治24年(1891)2月今古堂で出版された小説『海王丸』のこと。 著者は半井桃水。 半井家は、表向きは対馬藩医の家柄でもあったが、実際は釜山倭館に代々常駐する対朝鮮外交官の役割を担っていた。桃水は、万延元年(1861)対馬藩に生まれ、父の仕事の関係で少年期…
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宝塚歌劇と近代文学

東京宝塚劇場にて本日から、「壬生義士伝」が公演される。 歌劇では小林一三の意思もあり、文芸作品を演じることが多い。 たとえば、坪内逍遥「桐一葉」、樋口一葉「たけくらべ」、 泉鏡花「天守物語」、谷崎潤一郎「春琴抄」、 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」、太宰治「グッドバイ」、 山岡荘八「宮本武蔵」、司馬遼太郎「燃えよ剣」、 三島由紀…
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オランダ通詞の人々

2年前に開陽丸子孫の会による長崎歴史探訪の際に、講演会が開催された。 講師は『通訳たちの幕末維新』の著者・木村直樹氏。講演の中で、オランダ通詞については今村家と楢林家についても言及され、大変興味深く拝聴した。 長崎では、いつもオランダ通詞を調べることにしている。 幕末に興味を持ってから最初に訪ねた7年前は今村家の墓地を調べた。…
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久坂玄瑞と船越清蔵

久坂玄瑞の備忘雑録は5冊が伝わっている。 その1冊は「筆廼末仁満爾」(文久壬戊十月上浣日)とある。 その中の或るページに「船翁墓碑之事。」とメモ書きが記されている。 これは、文久2年10月上旬からの覚書に記した短いメモだが、松陰始め一門が舩翁と尊称した船越清蔵の墓について、玄瑞がその建碑に心いたしていたことを表している。 …
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