史書を訪ねて 武市瑞山關係文書

昨日の読売の夕刊「史書を訪ねて」は、武市瑞山關係文書だった。01武市瑞山IMG_4731.JPG

紙面の解説に、剣術修業に江戸に出向いたことが書かれているが、どこの道場かまでは記述がない。

武市が安政3年(1856)に土佐から岡田以蔵らを伴って江戸に出たときは、斎藤弥九郎の練兵館(神道無念流)、千葉周作の玄武館(北辰一刀流)と並んで桃井春蔵の士学館(鏡新明智流)が有名だった。
この時の士学館の道場主は、嘉永5年(1852)に27歳で4代目桃井春蔵を継いだ直正(文政8年(1825) - 明治18年(1885)12月3日)で、この4代目のときに士学館道場が栄え、明治になってから、「位は桃井、技は千葉、力は斎藤」といわれたのだった。

桃井春蔵は、南北朝時代の桃井播磨守直常の末裔になる。
桃井直由のときに鏡新明智流を編み出し士学館道場を開き、(初代)桃井春蔵を名乗る。IMG_9440.JPG

武市瑞山は、藩邸から近い士学館に入門する。
   土佐藩築地邸跡03.JPG02.JPG
   蜊(あさり)河岸の南端に士学館があった04.JPG
桃井春蔵は、武市の腕前と人物を高く評価して、塾頭に任じたのだった。

武市は文久元年(1861)に土佐勤皇王党を結成し、翌年吉田東洋を暗殺。
文久3年(1863)の八・一八の政変後は尊攘派が京から追われ、武市は土佐で投獄される。
慶応元年(1865)に切腹を申渡される。

桃井春蔵直正は、明治維新後は下野して神官となり、大阪の誉田八幡宮の宮司を勤めている。IMG_4080.JPG
晩年は、大阪府警察部からの委嘱を受けて剣道師範を勤めた。
明治18年(1885)に亡くなり、墓山御陵の傍らの西之口墓地に葬られている。99IMG_4544.JPG

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