松平健雄といちご

先日神戸に出かけたときのディナーがいちご尽くしだった。
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いちごが今日食べられるようになったのには、松平容保の二男・松平健雄が関係している。
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最初のいちごは、江戸時代末期にオランダ人によって長崎から日本にもたらされたので、オランダいちごと呼ばれていた。
いちご栽培は明治5年(1872)からと言われる。このときのいちごは「福羽」という品種で、フランスから取り寄せた早生種を育てたのが始まり。
もちろん、当初は一般庶民の口に入るような手頃なものではなく、皇室・華族用とされ、「御苑いちご」「御料いちご」などと呼ばれていた。食用ではなく、観賞用だった。
食用として見直され、いちご栽培が一つの産業として行われるには、第二次世界大戦後少し経過するまで待つことになる。そして、いちごが農林水産統計表の品目に初めて登載されたのはなんと1963年だった。
現在日本で栽培されているいちごは、フランスやイギリス、そしてアメリカなどから移入して品種改良したものが殆どだ。

食用としての日本のいちご栽培は、「常吉いちご園」の創業者・川島常吉が、久能山東照宮宮司・松平健雄からエキセルシャ種(外来種)のいちごの苗をもらったのが始まりと言われている。
常吉は、明治維新の際に宿屋・福島屋を廃業し、久能山東照宮に奉仕し宮司の車夫を始めた。
明治29年(1896)1月28日に松平健雄(当時は宮橋姓)が23歳で東照宮宮司として赴任したが、米国領事館の友人からいちご苗株を譲り受け、車夫を務めている川島常吉に栽培を託す。
当時はまだ日本でいちごを食べる習慣がなく、身分が高い人の観賞用に作られていた植物だったが、常吉は、いちごを商売にできないかと独学でいちごの栽培方法を研究する。
その中で、石垣の株は畑の株よりも早く実をつけていたことをヒントに、太陽の熱で温められた「石の保温力」が寒さに弱いいちご栽培に適していることを偶然発見し、明治34年に「石垣いちご栽培」を生み出した。
これは、いちごの苗を玉石の間に植え、温室のない時代に石の反射熱で冬を越し糖度を増すという画期的な農法だった。
松平健雄は、すでに明治33年9月18日に久能山東照宮宮司から会津の伊佐須美神社の宮司に転任になっており、この常吉の本格的な「石垣いちご栽培」は目にしていないようだ。

かくして、松平宮司から託されたいちごの苗から、全国的にも珍しい「石垣いちご」栽培を成功させ、「常吉のいちご園」の久能山は日本のいちご栽培発祥の地となっていく。
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