開陽丸子孫の会の総会場所

開陽丸子孫の会の総会の案内が届いた。
例年、4月後半の開催が多いのだが、今年は改元記念の10連休もあり、6月に行われる。

ところで、その総会の開催場所は平河町のホテルルポール麹町だが、僕には懐かしい場所だ。
明治11年2月16日から明治17年10年9日まで、三吉慎蔵が暮らした場所なのだ。
勿論、開催場所の設定は僕がしたわけではない。偶然にもそうなったのだ。
明治11年末の三吉慎蔵
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三吉慎蔵は、明治になり長府藩毛利元敏の東京在に伴い、家扶として上京していた。
ところが、宮内省は慎蔵が長府毛利家に努めていることも知らず非職として、明治10年9月20日に宮内庁御用掛の辞令を交付する。長府毛利家と宮内省とひと悶着あったが、結局宮内省に奉職となり、北白川宮能久親王御付となる。
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北白川宮邸が紀尾井町の旧紀州藩中屋敷にあったため、11年2月16日に愛宕町から宮邸近くの楫取素彦邸の敷地に引っ越す。
大河ドラマ「花燃ゆ」でよくお目にかかった、明治12年の楫取素彦
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北白川宮邸は楫取素彦邸と道路を挟んで向かい側に位置した。
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当日の慎蔵日記に「平河町六丁目二十二番地楫取素彦邸久坂道明住所長屋に転居す」とある。
この場所が、幕末は元亀有町代地で現在のホテルルポール麹町の場所だ。
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慎蔵と楫取素彦とは、文久3年中頃から交流があり、仲が良かった。
慎蔵が引っ越した時は楫取素彦は群馬県令であり留守で、妻の寿子は中風にかかり肋膜を併発して次男道明邸にて療養していた。
楫取素彦の次男道明は久坂玄瑞亡き後、養子になり久坂家を相続しているが、同じ敷地に住んでいた。
慎蔵は一旦、久坂道明の長屋に仮住まいし、同じ楫取素彦敷地内に明治12年12月1日に自宅を建築し移り住む。
5年後の明治17年10月9日まで住んでいるので、
明治12年9月8日に久坂道明が楫取家へ復籍したときや、、明治14年1月30日の楫取の妻寿子が楫取道明邸で病死したとき居合わせたことになる。
また、明治17年3月30日に、楫取素彦が群馬県令を辞し、後妻の文(美和子)を連れて戻って来たときも敷地内にまだ住んでいる。
明治33年ごろの楫取美和子(右)と楫取道明妻美寿子
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この頃、慎蔵は午前は北白川宮邸、午後は長府毛利家邸で執務をとる二足の草鞋を履いていた。
長府毛利家での仕事が増えてきた頃、明治17年10月9日に長府邸に近い芝区西久保城山町に移転する。
このとき、楫取素彦敷地内にあった自宅は楫取道明に売却している。
偶然とはいえ、慎蔵の自宅があった場所で開陽丸子孫の会の総会が開催されるとは、まことに嬉しいことだ。

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