会津と咸臨丸

縁と云うのはおもしろいものだ
2015年6月に、黒谷金戒光明寺にて京都会津会主催で第110回の法要が行われた。
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この時は110回の節目なので、わだかまりを解きたいとして長州関係者にも声をかけての大々的な法要だった。
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その直会の席のことだが、僕の前に母娘が座っておられた。
お互い自己紹介してみると、関東から来られたという。
僕の名刺をみて、「咸臨丸!」と声を上げられる。
お話を聞くと、
先祖が仙台藩支藩白石の片倉小十郎家臣団とともに北海道に移住するときに、咸臨丸に乗って木古内で遭難したというではないか。
しかもその時の若きリーダ、22歳の家老・佐藤孝郷の曾孫と玄孫の方だという。
これには僕もその奇遇に驚いてしまった。
咸臨丸子孫の会は、20数年前に発足し、咸臨丸の乗組員の末裔や関係者で構成している団体なのだが、
咸臨丸は、オランダで建造され、長崎海軍伝習所の訓練船となり、後に遣米使節の護衛艦として渡米し、榎本艦隊の一隻となるまでは幕府の軍艦であったが、明治になって輸送船として使われ、北海道木古内沖で終焉を迎えた。
明治になってからの咸臨丸に関わった末裔の方がまだ会員にはいなかったのだ。
組織として完結していなかったのだが、その方々が目の前におられるというわけだ。
なぜ会津藩の法要に来られたのかと確認すると、
先祖に戊辰戦争で亡くなった会津藩士がいるという。調べていくうちに鳥羽伏見で戦死していて会津藩墓地の供養碑「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」に名前が刻まれているのが判明し、法要に参加された由。上から2段目に刻まれている加藤蔵三郎だとおっしゃる。
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玄孫の娘さんは、会津出身でありながら、長州出身者と結婚されている。
今回の法要の主旨にもぴったりの方々だったのだ。
昨年、オランダ文化庁の方針で、咸臨丸の沈没場所で潜水調査が行われた。
この調査結果の報告会が、咸臨丸子孫の会の総会の中で行われるので、その講演会の開催をお知らせしたところ、
お二人りとも参加され、その場で会員にもなって頂いた。
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このお二人の参加が、今年の総会のサプライズだった。

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