徳川慶喜の筆「誠」

先日、徳川慶喜の書いた「誠」の書が 広辞苑編者の新村出旧宅で発見されたと報道された。新村出の養父猛雄は慶喜に仕えていたため、新村家で受け継がれたと考えられる。
「誠」は、慶喜にとってはまことに身近な文字だったのではないだろうか
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    (新村出記念財団提供)

儒教の書「中庸」に
「誠者天之道也、誠之者人之道也」(誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり)という一節がある。

誠は、天の真実にして偽りのない本来のままの在り方(天の道)である。一方、人が天から与えられた本性を最大限に発揮して誠であろうと努めることは、人としての当然とるべき在り方(人の道)である。

当時、「誠」という孔子の教え、儒教思想は全国的に武士の間でよく広まっていた。

たとえば、「誠之」を冠した東京の誠之小学校は、備後福山藩の江戸屋敷・丸山中屋敷に明治8年に設立されたが、福山藩の藩校・誠之館から校名を採っている。誠之館と同じく、この小学校では今でも「誠之人道」を校是としいる。
安政2年に誠之館を開設したのは、福山藩主で幕府老中筆頭であった阿部正弘だが、誠之館の名前の由来は、正弘と親交の深かった慶喜の父・水戸藩主徳川斉昭の命名による。

慶喜が「誠」を書いたのは、余人には計り知れないが、自分の生き方に彼なりの一貫性・納得性があったからだと思う。

ところで、
慶喜に明治以降も仕えた側室に、中根幸と新村信がいる。
二人で男子10人(5人は早世)、女子11人(3人早世)をもうけているが、九男は中根幸が産み、誠と命名されている。
新村信の養父にあたる新村猛雄は元小姓頭取で長く徳川慶喜家の家扶であった。
この「誠」の書は、慶喜の命名の書として新村猛雄が保管していたが、猛雄の養子になった新村出に伝わったとも考えられるが、どうだろうか?

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