小山六郎による生野義挙の覚書

2年前に、マツノ書店から『維新日乗纂輯』全5巻が復刻された。
第二巻には先祖の小山六郎の「但馬義挙実記」も収められている。
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生野義挙の参加者の手記なので、元々は一次資料といってもよいのだろう。生野義挙の研究にはまず参考資料となるのだが、復刻を契機に小山六郎を知ってもらえればこんなうれしいことはない。

生野義挙については、六郎が遺した記述には「但馬義挙実記」のほかに「山陰義挙実録」がある。六郎は明治4年に屠腹しているので、両方ともそれまでに書いた文章なのだが、両書はほぼ同じ内容で、後者の方が延応寺会議、本陣の動向そして檄文の掲載があり、前者より若干詳細ではある。

山口県文書館には、書き写したものだが、毛利家文庫の75維新記事雑録240に「但馬義挙綴込六件」がある。
内容は、以下の6編の合綴本。
①生野変動記、②山陰義挙実録(小山六郎編)、③但馬国浪士一件、④但馬義挙実記(一名小山六郎覚書)、⑤但馬変動事件報申書(明治元年)、⑥但州朝来郡山口村墳墓取建別紙書(明治元年)
作成年代は、⑤、⑥を除き文久3年となっているが、小山六郎の山陰義挙実録と、但馬義挙実記については何時書き記したのか、確認できるものがなく確かなことは分からない。
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義挙が行われた但馬の各地域での生野義挙についての見方や、郷土の小山六郎の評価について、各市町村の誌史でその違いを調べている。
生野史、生野町史、但馬史、朝来誌、八鹿町史、養父町史、浜坂町史、出石町史、豊岡市史、兵庫県史などなどだが、その中で、小山六郎出身の山東町誌には、記述内容に疑問なことがあった。

山東町誌は昭和59年に編纂された町誌なのだが、

 第十章    ゆらぐ幕藩体制と山東町
   第二節 生野義挙と山東町
      二 小山六郎覚書

の項で以下の記述がある。

-------------------------------------------
山陰義挙実記  

  ・・・  以下山陰義挙実録の全文掲載(内容省略) ・・・・

以上が「小山六郎覚書」とか「小山六郎覚書補註」とかよばれて義挙関係の著書にしばしば引用されているものである。その内容と細部については、あるいは考究検討を要するものもあるだろうが、実際に本義挙に関係した体験者の手記として数少ないものであり、殊に山東町内関係者の動向を知ることのできる貴重な資料である。大正一四年日本史籍協会の発行した『維新日乗纂輯 第二巻』で、その著者は本覚書について、「同人ノ義挙ニ関係セル追懐録ナル。・・・当時ノ真相ヲ簡明スベキ貴重史料ノ一ナリ・・・云々」と、その価値を評価している。
-------------------------------------------
と述べている。
(注:山東町誌のいう「山陰義挙実記」は、正確には、「山陰義挙実録」 )

これは、確かに義挙に参加した当人の手記なので貴重なのだが、
山東町誌には『山陰義挙実録』を全文載せ、そのあとの解説では『維新日乗纂輯 第二巻』を編纂した評者の言を引用している。
しかし実は、『維新日乗纂輯 第二巻』に収められているのは『山陰義挙実録』ではなく『但馬義挙実記』である。

『但馬義挙実記』よりも『山陰義挙実録』のほうが義挙について若干詳細なのだが、異なる覚書についての評価を「本覚書について」として引用するのは適切とは思えない。
山東町誌編纂のさいに『維新日乗纂輯 第二巻』も参考にし、小山六郎の覚書を内容確認しているはずなので、両覚書を混同しているとは思えないが、片方の覚書の評価を一方の評価に使っていることに疑問を感じた次第。


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