龍馬をも相扶ケ

ある文書について、新しい読みのご教示を頂いたので記録しておきたい。
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三吉慎蔵は、慶應2年1月に時勢探索との内命を以て龍馬らと同道し上京する。
23日に寺田屋にて龍馬が捕り方に囲まれたときに同宿し、一緒に囲みを破って逃亡、龍馬とともに薩摩藩屋敷に匿われたあと、薩摩藩の三邦丸で3月7日に長府へ帰ってくる。
翌日長府藩主毛利元周に直々、内命であった時勢探索(京都情勢、薩摩藩内情、薩長盟約の行方など)の結果を報告する。
3月9日には長府を出立して山口に赴き、政事堂にて山口宇右衛門、小田村文助に面会し、京師の情勢を報知する。
3月13日には萩藩主毛利敬親の御前に召し出され、京師の事情探索の情報と、その間の事情を詳細に言上する。
そしてその功により、「新身刀一振り」を頂戴する。
その達書は以下の通り

「 新身刀一振
   長府 
     三吉慎蔵
右先達テ時情探索トシテ薩藩坂本龍馬同道京攝間へ罷登
種々苦辛之折柄
於伏見不慮之儀致出来其砌別而艱難ヲ經龍馬トモ相扶
罷帰上國之模様委細ニ及干報知不容易遂苦労神妙之事ニ候
依テ右之通拝領被 仰付候」

上記は達書の写しで、三吉慎蔵が自ら記述した「日記抄録 係坂本龍馬之件」のなかにかかれているもの。
ここでは「龍馬トモ相扶ケ」 と記している。
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長府博物館では、三吉家の史料の展示を何回も行ってきたが、
その都度、この達書の展示解説と図録は、「日記抄録」に記述してあるとおりで、「龍馬トモ相扶ケ」 としている。
実は僕はそれを何ら疑問に思うことはなかった。

それは、三吉家の家訓として慎蔵が書いた「誠之」の「三吉慎蔵」の署名の字と、「日記抄録」の署名とが同じなので、「日記抄録」に慎蔵が書いた達書通りに、今まで読んできたのだった。

ところが、昨日たまたまFB友達になった松岡司氏の記事を読んでいると、この達書について、
「毛利敬親の意向を伝える達書。坂本を助けた功により刀を与えると。」
「坂本を毛利家がどれだけ評価していたかがわかる。とはいえ三吉には政情探索の任もあった。ただのボディガードではない。」
と述べられておられる。

ボディーガードの件はさておき、
「坂本を助けた功により刀を与える」というのは、僕の今までの解釈からは遠かった。というのも、
もともと慎蔵が記述した通りに 「龍馬トモ相扶ケ」と読み、
「種々困難の中、伏見では不慮の事も出来したがそのとき艱難を経て龍馬ともお互いに助け合い、
無事帰国し、京都の情勢を詳細に報告したこと神妙である、依って刀を拝領させる」
としてきた。
あくまでも、京都情勢の詳細な報告に対する、刀拝領と思ってきたのだ。

松岡司氏の読みは、「龍馬とも相扶ケ」 ではなく、「龍馬をも相扶ケ」
確認してみると、くずしとしては「止(と)」ではなく「遠(を)」であるのは間違いなさそうだ。

この読みでは刀を拝領した功の意味が変わってくる。

「種々困難の中、伏見では不慮の事も出来したが、そのとき艱難を経て龍馬をも助け、
無事帰国し、京都の情勢を詳細に報告したこと神妙である、依って刀を拝領させる」 

長州にとっては重要人物である龍馬を助けたことと、京都情勢を詳細に報告したこと、が刀拝領の理由になってくる。

「日記抄録」の達書の写しは、達書そのままではない。ひらがなをカタカナにしたり、読みやすく字を補ったり「無恙」の文字など欠落もある。
慎蔵自身が書き写す時に間違えて読んでいたのか、あるいは、
「三吉慎蔵日記」は他人が清書しているのと同じく、「日記抄録」についても慎蔵の字と思っていたが、ひょっとすると今後精査が必要なのかもしれない。


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