彰義隊士と魚屋さん

日暮里に行くと、ランチは決まって谷中ぎんざにある鮨屋さん「魚て津」でいただく.。
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この店には、安くておいしいランチも目当だが、店内に大事に飾られている「魚て津の今昔由来」の由緒書きを確認しに行くのも目的のひとつ。ここのご主人は、湯島天神下の中坂下にあった「魚て津」で修業し暖簾分けしてもらい谷中で同じ名前で店を出したのだが、本家が店をたたんだあとで、この由緒書きを譲られている。
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...由緒書きによると、湯島の中坂下の「魚て津」は、湯島天神下の同朋町にあった水茶屋「水亀」を営業していた二代目鉄之助が、明治初年に、中坂下に移り魚屋「魚鉄」を開業した。
その魚屋から何代か経て商売替えした鮨屋さんに、14年ほど前に作られた「魚て津 今昔由来」が、10年弱、飾ってあった。廃業前の2年間ほど、この店に何回かお邪魔したが、寿司は絶品だった。しかし、確かお身体を悪くされ5年ほど前に閉店廃業された。
写真の三階建ての建物は、84年ほど前の昭和3年に建てられたが、岩崎邸を戦後の米軍キャンプにするために米軍があえて空爆から外したために、その近辺にあったこの建物も戦災をのがれ、今でもそのまま残っていて、御主人一家が住んでおられる。この場所になぜ魚屋が開業したのか伝わらず、今では誰も知らないが、これにはきちんとした理由がある。
もともとこの場所は、幕臣が住んでいたが、上野戦争に彰義隊として参加し、敗れた後、主が戦死したその一家はこの場所を離れた。
その幕臣河島家は大膳職御賄方で、将軍の食する鯉などの生魚を床下に養っていたため、屋敷の一画の残されたその場所は、魚屋には格好の場所だったと容易に想像がつく。
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今では確認のしようがないが、移り住んだ鉄之助は、御賄方と懇意にし出入りしていた魚屋だった可能性もある。
戦死した幕臣は、僕の高祖父にあたり、これからその辺の事情を調べたいと思っている。


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