塩飽訪問その2

11/21、多度津町立資料館を初めて訪ね、
開館20周年を記念した秋季特別企画展「幕末に活躍した塩飽の男たち」を拝見してきた。
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資料館は、多度津町制施行100周年を記念して建設され、主に多度津ゆかりの文化財等の資料を収集して一般に公開し、後世に遺すことを目的としている。
資料館の敷地及び美術・工芸品の一部は、旧多度津藩士浅見家から寄贈されたもの。
http://www4.ocn.ne.jp/~t-kaikan/siryou1.html
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多度津は、幕末、多度津京極家の治世下にあったが、讃岐丸亀藩から分かれ1万石の藩となった経緯と繁栄は以下の通り。
丸亀京極家の三代藩主京極高或は3才の幼少で藩主となった。幼主夭折によりお家断絶を恐れた京極家は高或の庶兄高通に1万石の分封を幕府に願い出て許される。
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多度津四代藩主京極高賢の時代に多度津に陣屋を設置し、それまで代々暮らしていた丸亀から居所を移すと多度津は城下町としてにぎわい始める。
五代藩主高琢は、天保9年(1838年)多度津湛甫の大工事を行い多度津港の基盤を築く。これ以後、幕末から金比羅参りの船着き場、北前船の寄港地として繁栄した。
明治22年には讃岐鉄道が多度津を拠点として敷設されることにより海軍交通の要衝へと発展する。
さらに四国最初の測候所・一等郵便局・電灯会社の設立等により四国における近代文化の発祥地として繁栄してきた。
その故もあってか、町村合併の進む今日でも、多度津町は丸亀市との合併には乗り気ではない。


資料館の主な特別展示物は以下の通り
1部:「咸臨丸に乗り組んだ水主(水夫)たちの活躍」
   咸臨丸関係資料多数、乗船した塩飽出身/長崎出身水主・士官名簿、塩飽諸島と水主関連図、佐柳高次関係資料(愛用の扇子、アメリカから持ち帰った絵皿とギヤマンのコップ、写真、坂本龍馬大明神の書等)、白峰駿馬・千屋寅之助の写真など

2部:「塩飽出身の幕府オランダ留学生」
   古川庄八などオランダ留学生の写真、山下岩吉の紹介コーナー、開陽丸関係資料

3部:「忘れられない故郷の風景と歴史」
   咸臨丸渡米100周年のコーナー、多度津と関わりのある「男はつらいよ・寅次郎の縁談」などの映画紹介、京極家(丸亀藩、多度津藩)の系図、藩政時代の多度津陣屋模型等など

小生にとっての目玉は、
佐柳高次こと前田高次が維新後、出身の讃岐国塩飽佐柳島に帰島してから、自宅に掛けて、亡き海援隊の同志たちを毎朝晩参拝したという自筆の「坂本龍馬神宮」の書。
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書かれている名前は、薩摩藩船ワイル・ウエフ号で遭難した亀山社中の12名と、関雄之助(沢村惣之丞)、上杉惣治良(近藤長次郎)、それに神格化した坂本龍馬。高次は、遭難時に助かった4人の一人であり、同志・仲間として様々な死に方をした15名をいつまでも思い、日々弔ったのであろう。

高次の墓所は香川県仲多度郡多度津町佐柳島にある。
埋め墓
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乗蓮寺にある詣り墓
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13:00より、多度津町福祉センターにて、小杉伸一氏による記念講演会「子孫からみた咸臨丸の歴史」があり、150名の参加者があった。
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晩は、笑門家にて懇親会があり、楽しいひと時を過ごした。


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この記事へのコメント

おじょも
2010年11月26日 22:51
充実した一日でしたほんとは前日から行きたかったのですが・・・懇親会は盛り上がりましたか~
寸心
2010年11月27日 09:07
4日間とも盛り沢山で充実した日々でした。晩は毎回懇親会があり、胃も肝臓も満足しています。名刺が足らないくらいに色々な人との出会いがありました。塩飽は自然に恵まれ楽しい所です。

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