テーマ:他の藩

史書を訪ねて 日本誌

1年ほど前の「史書を訪ねて」は、ケンペルの『日本誌』だった。 記事は、『日本誌』の中身の紹介とともに、影響を受けたカントの『永久平和のために』や、幕末では熟読して来航したペリーにまで話が及んでいる。 ただ、この史書の成立については触れられていない。 ケンペルは、元禄3年(1690)、オランダ商館付の医師として、約2年間出島…
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史書を訪ねて 武市瑞山關係文書

昨日の読売の夕刊「史書を訪ねて」は、武市瑞山關係文書だった。 紙面の解説に、剣術修業に江戸に出向いたことが書かれているが、どこの道場かまでは記述がない。 武市が安政3年(1856)に土佐から岡田以蔵らを伴って江戸に出たときは、斎藤弥九郎の練兵館(神道無念流)、千葉周作の玄武館(北辰一刀流)と並んで桃井春蔵の士学館(鏡新明智流…
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山国隊の復活

昨日は、京都にて山国地域と山国隊の歴史についての展示を拝見し、講演会を拝聴してきました。 昨年は明治150年の節目の年で、戊辰戦争で活躍した山国隊が再び日の目を見た年でした。 明治28年(1895)に、平安遷都千百年記念祭の開催にあたり、実質的な実行責任者の西村捨三はその催しの一つとして時代祭りを企画した。その後の時代祭でも、山…
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九州1日目 佐賀

1年前の九州史跡めぐりを記録しておく。 10/20佐賀、10/21-22長崎、10/23-25鹿児島。 佐賀と鹿児島は今まで未踏の地だった。 10/20、先ずは日本の近代化の先駆けとなった佐賀から。 佐賀藩は、貿易の窓口の長崎警備を幕府から命じられ、福岡藩と隔年交代で担当していた。そのために、長崎からいち早く正確な海外情…
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中山忠光卿の正室・富子のこと

4月に著者から謹呈頂いた『志士の峠』を今頃読んでいる。 忙しかったとはいえ誠に失礼なことであった。 読み始めるとなかなか面白く、また教えられることが多い。 中山忠光卿の奥方は、平戸藩主・松浦熈の娘富子だが、江戸屋敷の生まれ育ちとのこと。 天誅組挙兵の文久3年(1863)、16歳とのことなので、生まれは嘉永元年(1848)の頃…
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赤松小三郎を訪ねて

大分前になるが、今年の夏に信州上田にて、赤松小三郎の生まれ故郷を訪ねたので、 これまでに廻った小三郎の関連史跡を纏めてみた。 赤松小三郎は、天保2年(1831)上田藩士芦屋勘兵衛、志賀の次男として木町の御徒士長屋にて生まれる。諱は惟敬、幼名は清次郎。 木町の町名は、今現在は、小三郎の偉業を称え「赤松町」に変わっている。 生誕…
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小浜の梅田雲浜史跡巡り

先日2回に分け、梅田雲浜の関連史跡を小浜で廻ってきた。 幕末には、有名無名の先学は多いが、その筆頭は各々梅田雲浜、船越清蔵ではないだろうか? 雲浜は求めに応じ、松下村塾の看板に「松下邨塾」と書き、清蔵は松陰が藩への登用を進言したほどだった。 そんなことに思いを廻らしている折、たまたま雲浜のご子孫と知り合いにもなり、『梅田雲浜入…
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新しい赤松小三郎の墓標

会社OBの新年会が京都であり、時間待ちもかねて近くの黒谷さんに寄って来た。 ここ金戒光明寺には、会津墓地を別にすると、10人強の幕末に活躍した人々が眠っている。 京都府知事植村正直の父羽仁敬斎、 戊辰戦争時に山陰道鎮撫総督西園寺公望の知遇を得た高木文平、 徳川家茂・孝明天皇などに優れた包丁の技術で叡慮を賜った生間正政、 戊…
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「鹿児島県史料」について

昭和34年から随時発刊されてきた鹿児島県史料を読むと面白いことが書いてある。 昭和59年発刊の「旧雑録後編5 斉宣・斉興公史料」の解題に、 明治5年、大山格之助が鹿児島県令の時に、県庁に保存されている薩摩藩時代の公文書を「旧弊を打破する」との理由で焼却してしまったために薩摩藩の歴史研究に大きな弊害を与えた、とある。 その格…
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赤松小三郎の墓石(再)

昨日、調べものに大阪府立中央図書館へ行ってきた。 府立図書館は、中之島図書館と中央図書館に分かれているが、幕末関係の史料は両方に分散されている。小生の住む宝塚から東大阪の中央図書館は遠いため、調査のテーマを貯めておき、行くときは複数の調査を一度にすることにしている。 金戒光明寺の、墓標のない現在のお墓           …
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赤松小三郎の墓石

3週間ほど前になるが、洋式兵学者で、幕末いち早く議会政治の確立を提唱した赤松小三郎の墓石が、京都金戒光明寺の墓地から上田市に移された。 砂岩の墓石は劣化が激しいため新たに御影石で作り変えることになり、現在の墓石は赤松の故郷に引き取られ記念碑とすることになった。 墓石に刻まれた文には、亡くなった原因として、「不幸終遭緑林之害而死」…
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武市半平太寓居跡

昨日、大阪龍馬会主催の墓前祭に出かけてきた。 今年の11/15の龍馬の命日は土日から外れているため、、料亭ツアーと史跡巡りを組み込んだイベントは日曜の11/13に設定された。 史跡めぐりで回ったコースは以下の通り。 八坂神社--> 霊山護国神社(龍馬・慎太郎・藤吉墓参)--> 霊明神社(講演と参拝)-->幕末…
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京都東福寺を訪ねて

10/10体育の日に、久しぶりに京都東福寺を訪ねた。 前日の講演会「幕末歴史秘話 長州編」の内容確認のためでもある。 東福寺の南岳に霊明神社が神葬祭を行った墓地がある。 また、たまたまこの日は、最後の攘夷志士といわれ霊明神社に実葬された朱雀操と戦った中井弘の命日でもあり、東福寺即宗院に立派な墓もある。 即宗院       …
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地震学者 今村明恒

9/1の防災の日(関東大震災が起きた日)にちなみ、前回のNHK歴史秘話ヒストリアは、関東大震災を予知した地震学者今村明恒を取り上げた。時宜を得た番組内容だと思う。 今村は科学の力で自然災害に立ち向かっていった地震学のパイオニアとして知られる。 その研究と行った活動は、地震と津波の現地調査、津波の理論的解明、過去の文献調査による地…
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鴉~KARASU~ 04

4月24日に標記の演劇を鑑賞した時のこと。劇場内でカメラを持っていると、「関係者の方ですか?」 「そうです。」 問うた方は演劇・マスコミ関係者かと思い、答えた方は細谷の縁者として答えた。この勘違いをあえて気にせずに、幕に描かれた鴉と刀とのデザインを、記念に数枚撮らせていただいた。この写真は公開できないので、代わりにポスターをあげておく。…
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岐阜県本巣市の「淡墨桜」

国の天然記念物に指定されている岐阜県本巣市の「淡墨桜」が今年も観光客らの人気を呼んでいる。ヒガンザクラの一種で、高さ約16メートル、幹の周りが9メートル余り、広げた枝は50メートルにも及ぶ。推定樹齢は1300~1400年で、満開の頃になると次第に花びらが淡い墨色になる。 何度も枯死寸前になったが、名木の枯れることを惜しみ、淡墨桜を…
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加賀藩前田家のお雛様

加賀藩前田家には歴代藩主の雛人形・雛道具が伝わる。その膨大な数の雛人形・雛道具は、金沢城・二の丸御殿に二棟にもわたる「御雛土蔵」という蔵が造られ、そこに納めていたといわれている。 緑青 vol.18 「お雛あそび」より この次郎左衛門雛一対は、1808年に加賀藩主十二代斎廣公が隆子君の初節句に贈ったもので、その後の由来も記した貴重な…
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東京雛めぐり3(三井記念美術館)

三井記念美術館は三井家伝来のおひな様のうち、三世代の夫人のおひな様を展示している。二世代目は、北三井家十一代高公の夫人・鋹子(としこ、1901-1976)のもの。鋹子は旧福井藩主・松平康荘の長女として明治34年(1902)3月9日に福井で生まれ、大正9年(1920)に高公のもとに嫁いだ。 鋹子夫人のひな人形は、日本橋十軒店の名工・…
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東京雛めぐり2(三井記念美術館)

今年で4回目になる日本橋にひと足早い春の訪れを告げる行事、三井記念美術館の「三井家のおひなさま」展。この美術館が居を構える日本橋室町付近には、江戸時代、ひな人形の市が立つ十軒店と呼ばれる一角があり、桃の節句が近づくと、ひな人形を買い求める人々で大変なにぎわいをみせたといわれている。 三井記念美術館では、所蔵する北三井家十代高棟夫人…
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