テーマ:朝廷・公家・宮家

開陽丸子孫の会の総会場所

開陽丸子孫の会の総会の案内が届いた。 例年、4月後半の開催が多いのだが、今年は改元記念の10連休もあり、6月に行われる。 ところで、その総会の開催場所は平河町のホテルルポール麹町だが、僕には懐かしい場所だ。 明治11年2月16日から明治17年10年9日まで、三吉慎蔵が暮らした場所なのだ。 勿論、開催場所の設定は僕がしたわけで…
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岩倉村史跡巡り

昨日、大阪龍馬会主催の岩倉史跡探訪に参加して、左京区岩倉村を廻ってきた。岩倉具視には関心があり、なかなか得難い史跡めぐりだった。 最近、幕臣の京都での安政5年(1858)の通商条約勅許奉請の活動に興味があり、そのときの朝廷側の対応が気になっている。 その朝廷側の中心人物は鷹司政通であり、久我建通を介して、鷹司にすり寄っていた岩倉…
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通商条約勅許使節の史跡巡り

先日、京都にて史跡めぐりに参加してきた。 テーマは、日米修好通商条約の勅許を得るため、安政5年2月4日~4月5日まで滞京した幕臣たちの跡をたどること。 今回の史跡めぐりは、岩瀬忠震が宿泊した瑞泉寺での、有志による岩瀬忠震・橋本左内顕彰碑の建碑を記念して企画された。 岩瀬忠震は、海防掛目付として開国に向けて中心的役割を演じ、滞京…
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河島由路と三吉慎蔵、および輪王寺宮

河島由路は、幕臣で賄方、七拾俵五人扶持の小臣。彰義隊に参加した。 三吉慎蔵は、寺田屋にて龍馬と共に幕吏に襲われからくも脱出に成功する。 この二人の接点が、輪王寺宮。 河島由路は、屋敷は本郷湯島天神下仲坂下に所在し台所の床下に生簀があって常時生魚が遊泳し、将軍が望むと生簀から鯉などを供していた。 近くに、湯島天神の男坂を下った…
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竹田宮家と三吉慎蔵

平昌五輪で、2月17日にフィギュアスケート男子で羽生結弦が金メダル、宇野昌磨が銀メダル。 またスピードスケートでは、 2月20日に女子500メートルの小平奈緒選手、22日は女子団体追い抜きの高木美帆選手ら4人が金メダル。 いずれもメダルを首にかけたのは、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長だった。 竹田恆和氏は旧皇…
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中山忠光卿の正室・富子のこと

4月に著者から謹呈頂いた『志士の峠』を今頃読んでいる。 忙しかったとはいえ誠に失礼なことであった。 読み始めるとなかなか面白く、また教えられることが多い。 中山忠光卿の奥方は、平戸藩主・松浦熈の娘富子だが、江戸屋敷の生まれ育ちとのこと。 天誅組挙兵の文久3年(1863)、16歳とのことなので、生まれは嘉永元年(1848)の頃…
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三吉慎蔵と中山忠光公 その2

この二人について僕にとっては分らないことが多い。 最近、時々答えのない疑問があれこれ湧いてくることがよくある。 先日3/21、忠光公の潜居暗殺関係の史跡めぐりをしたのだが、その時にも疑問が生じた。 夜打が峠に夜中に一旦埋めた遺骸を掘り起こし、夜明け頃までに現在の中山神社のある綾羅木まで運んだという。 あの距離をあの時間で、遺…
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下関にて中山忠光公史跡めぐり

3/21晩に下関にて長清会が開催されるため、それまでの間、忠光公の史跡を回ってきた。 中山神社に用がありついでに史跡めぐりを思いついたのだが、現地については全くの地理不案内でもあったので、地元下関のFB友達の伊佐さんの快諾を得て、コース案作りも現地案内もしていただいた。 回ったのは以下の通りで、効率的でしかもゆったりしたコースに…
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三吉慎蔵と中山忠光公 その1

中山忠光公について、『三吉慎蔵日記』には2か所の記述がある。 最初は、忠光公が攘夷のため馬関の台場を視察に来関したときに慎蔵が御付となり警護したとき。 〇文久三年四月十六日 「 中山侍従殿攘夷期限ニ付萩表御下向之処宗藩宮城彦助御付ト相成 馬関台場実地御出張御見聞ニ付右中山殿ヘ為御守衛御附添可仕談御沙汰ニ付 本日ヨリ馬関新地白石…
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長州毛利家の源

兵庫県芦屋にある阿保親王塚と阿保山親王寺を訪ねてきた。 親王寺は、大阪龍馬会主催の史跡めぐりの中で、西宮砲台見学の次に立ち寄ったことがあったが、長州毛利家からみでもう一度お寺をじっくり拝観し、未見の親王塚にも参ってみたいと思っていた。 毛利家の先祖には、朝廷に仕えながら源頼朝から招聘され鎌倉幕府の開府に尽力した大江広元がおり、そ…
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赤プリと宮さん

本日、東日本大震災で被災し避難してきた方々の受け入れが、3月末に閉館した旧グランドプリンス ホテル赤坂で始まった。 入居対象は、都営住宅入居の抽選に漏れた福島第1原発30キロ圏外の住民や、武道館など都内の3施設に避難している方々。 東京都は、同ホテルの提供を受け、6月末まで715室に最大1600人を受け入れる意向だったが、仕事…
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京都山科で輪王寺宮墓地を訪ねて

昨日、会社のOB達と桜見を兼ね京都散策に出かけた。 どこを廻るのか、きちんと把握しないまま集合地の山科駅に赴いたが、最初に訪ねたのが、代々の輪王寺宮のお墓のある毘沙門堂だった。 実はこの名前は明確に頭の中にあり何時かお参りしたいと思っていたのだが、うかつなことに詳細な場所を昨日まで知らなかった。 偶然の収穫があると、幸せになっ…
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紀尾井坂

4月25日仕事で上京し閑があったので紀尾井坂に出かけた。このあたりは、紀州・尾張・井伊家の藩邸があったところで、坂の名称にその由来が残る。明治期には近くに伏見宮家、北白川宮家等の屋敷がおかれた所だ。 明治26年刊 東京景色写真版 事件当時、北白川宮家には三吉慎蔵が御付きとして勤めていた。筆まめにつけていた日記に…
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宝鏡寺のお雛様

宝鏡寺でお雛様を拝見してきた。 「百々御所(どどごしょ)」とも呼ばれ、室町時代創建の歴代皇女が住持となった門跡尼寺で、皇室ゆかりのひな人形や御所人形を数多く所蔵し、人形の寺として親しまれている。中には等身大のお雛様や200年以上前のお雛様なども飾られている。 江戸時代から皇室や公家出身の女性が幼くして入寺し、心のよりどころとして入…
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東京雛めぐり

文化学園服飾博物館と三井記念美術館でお雛様を拝見してきた。 国立博物館でも特別陳列「おひなさまと人形」展で江戸時代の雛人形と雛道具など54点を展示していたが、ここは時間がなく諦めた。 文化学園服飾博物館ではパネル展示も含め9対の内裏雛の展示があったが、全て京風の配置。 毛利家の雛人形が大村家に伝わった経緯の説明は以下の通り…
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和宮ゆかりの雛飾り

国立歴史民俗博物館で展示されていたが、見逃してしまった。幕末の動乱期、波乱に富んだ生涯を送った和宮の所用品。 有職雛であるが、男雛は直衣を着ているので直衣雛。3月3日節には和宮は雛人形を方々と贈りあうのが慣わしだったらしい。 和宮の所用のなかに、兄の孝明天皇の形見の人形がある。箱書きに慶応3年に孝明天皇より拝領の旨が記されている…
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ヨドコウ迎賓館

芦屋にあるヨドコウ迎賓館で、「2009年雛人形特別展」を」拝見してきた。 建物はフランク・ロイド・ライトの設計したもので、有名な帝国ホテルの設計はこれより3年早い。 灘の山邑酒造の8代目山邑太左衛門の依頼を受け1918年に別邸として設計した。 展示している雛人形は、山邑太左衛門が長女雛子の誕生を祝い、京都の人形店「丸平」の三代…
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昭憲皇后の愛玩雛

昭憲皇后ご愛玩と伝えられるお雛様。木目の起き上がり雛。 昭憲皇太后が正式の追号だが、あえて本来あるべき昭憲皇后とお呼びする。 出生は1849年5月9日(嘉永2年4月17日)、死去 1914年4月9日 在位は1869年2月9日(明治元年12月26日) - 1912年7月30日 有名な逸話として、龍馬の霊夢がある。 ロシア…
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仁孝天皇御好み雛

孝明天皇と皇女和宮の父である仁孝天皇が愛しんだお雛様。 仁孝天皇は120代天皇で在位は1817年~1846年。       これは同じく仁孝天皇のお雛様で御下賜されたもの。 仁孝天皇は京都御所の建春門外に学習所を創設したことでも知られる。 公家等の教育のため天保13年(1842)10月に学習所を建て、11月に…
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