テーマ:会津

ホテルニューグランド

先日1/4にTVで「新 美の巨人たち」を拝見した。 横浜の老舗ホテル「ホテルニューグランド本館」が取り上げられている。 ホテルニューグランドは、大正末期の本館の建設、昭和~平成のホテル経営、新館のタワー建設の各々の段階で各先祖縁者が関わったことがあり、とても親近感があるホテルなのだ。 このホテルが建ったのには理由がある。 外…
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慶応4年1月の会津藩殉難者

鶴ヶ城天守閣郷土博物館の平成30年度企画展の図録『一八六八年の会津藩』を開いて、驚いたことがある。慶応4年1月7日の条に「京都、金戒光明寺を守る約百人の部隊壊滅」と記されている。 薄見寡聞の者なので誤謬があればご指摘いただきたいが、従来の数々の会津藩殉難者名簿にこの百人の記録は皆無だと思う。 会津藩は、慶喜公が慶応3年12月12…
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松平健雄といちご

先日神戸に出かけたときのディナーがいちご尽くしだった。 いちごが今日食べられるようになったのには、松平容保の二男・松平健雄が関係している。 最初のいちごは、江戸時代末期にオランダ人によって長崎から日本にもたらされたので、オランダいちごと呼ばれていた。 いちご栽培は明治5年(1872)からと言われる。このときのいちごは「福羽」と…
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ある写真の人物判定

ある写真の謎解きができた。 終戦後になるが祖父母の代のときに、近所の火事で家が類焼し祖父母と子供6人の一家が焼け出されたことがあった。 そして、子供たちが鎮火した火事場から写真の入った駕籠箱を見つけ、中から燃え残っていた写真を拾い出す。 どの写真も祖父母が大切に保存してきた先祖の写真だったが、残念ながら、焼け跡から取り出せたの…
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会津と咸臨丸

縁と云うのはおもしろいものだ 2015年6月に、黒谷金戒光明寺にて京都会津会主催で第110回の法要が行われた。 この時は110回の節目なので、わだかまりを解きたいとして長州関係者にも声をかけての大々的な法要だった。 その直会の席のことだが、僕の前に母娘が座っておられた。 お互い自己紹介してみると、関東から来られたという。 …
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維新の記憶 1868年 会津戦争

1月16日の読売新聞の「維新の記憶」は、-1868年 会津戦争 記事では、 慶応4年(1868年)5月、東北と北越の諸藩が奥羽越列藩同盟を結成した。旧幕府の代わり、新政府と対峙し得る勢力の誕生だった。だが、豊富な装備や戦略で上回る新政府軍を相手に、同盟側では降伏や脱退が相次ぐ。新政府軍は同年8月、会津へ進軍。戊辰戦争で最大の激…
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白虎隊剣舞の詩歌

白虎隊墓前祭では、春と秋の年2回、会津高等学校の剣舞委員会により、白虎隊剣舞の奉納が行われる。 剣舞は、 明治17年に日新館の漢学教師の佐原盛純により作詞された漢詩「白虎隊」の詩吟に合わせて行われる。 飯盛山には、明治41年に亡くなった佐原盛純の顕彰碑が建っている。題額は田邊太一で「佐原先生碑」とある。佐原と田邊とは、文久3…
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京都会津会第108回法要

京都黒谷 西雲院において京都会津会の総会と第108回法要があり、参列させていただいた。 今回で参加は4回目になる。 式時間は、昨年と同じく、以下の通り 受付10:00~ 総会10:40~11:10 法要11:30~12:40 直会12:40~15:00 法要は、文久、元治、慶應年間京都方面に於ける会津藩の戦病死…
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白虎隊自刃の真相について

先日上京した折、3/16に江戸東京博物館で「八重の桜」の展示を拝見した。 第一級資料をふんだんに使った素晴らしい展示会であった。 「白虎隊の自刃の図」も、明治2年に穂積朝春が描いた図で、会津降伏後に猪苗代謹慎所で、蘇生した飯沼貞吉から聞いた自刃の様子をそのまま絵にした第一級資料である。 白虎隊自刃の図はその後色々な想像に任せた…
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会津松平家の墓誌

先日、先祖調査のため上京した。 その折、多摩霊園へ出かけ、一族の一人・高祖母の姪杪(すえ)が葬られている会津松平家のお墓に参ってきた。 これは松平容保の次男健雄の墓所で、会津松平家は容保の長男容大が相続し、健雄は分家している。こじんまりしたお墓で、個人別の墓石はなく、「松平家墓」の墓石ひとつがあるだけである。 墓所には墓誌…
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京都洛東史跡めぐり

先日、白虎隊の会京都支部では「洛東 幕末の史跡を訪ねる」と題し、来年の大河ドラマ「八重の桜」にゆかりの場所をメインに史跡巡りを行った。 この日は天気予想も27度の夏日だったが、参加者6名で、3時間で16,000歩ほどの距離を皆元気で歩いた。 地下鉄蹴上駅を出発し回ったのは以下のコース。 蹴上駅~南禅寺(金地院・牧護庵)~同…
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同志社創立者と大河のヒロイン

昨日京都南禅寺に用があったので、ついでに近くの若王子山に登ってきた。 この山の頂には、同志社の創立者新島襄を始め、妻八重、八重の両親と兄の山本覚馬、覚馬の次女、徳富蘇峯、そして中村半次郎の恋人村田さとなど同志社関係者が眠っている。 西田幾多郎に因んだ哲学の道の南端に熊野若王子神社がある。この神社の脇に、若王子山の山頂にある同志社…
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下関長府訪問 3日目

本日は、 朝方、壇ノ浦砲台跡と 赤間神宮を訪ね、長府博物館で展示を拝見した後、同館で5時間ほど資料調査を行った。 万骨塔での山川健次郎霊石安置のため会津磐梯山の石の調達・制作に骨折り頂いた白虎隊の会の顧問である佐藤一男氏・石田明夫氏、会津支部鍋谷隆氏、京都支部長中村正氏と共に赤間神宮を訪ねた。 その途中、壇ノ浦砲台跡に…
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下関長府訪問

10/19より、2泊3日で下関長府を訪ねてきた。 目的は、 10/19 下関市役所での先祖調査、下関市長表敬訪問、山川健次郎と飯沼貞吉の御子孫の講演拝聴 10/20 長府万骨塔での山川健次郎霊石安置式参列、菩提寺お参り 10/21 長府博物館での史料調査。長府万骨塔に安置される 「白虎隊士 山川健次郎霊位」と刻んだ霊石、白虎隊の…
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会津鎮魂の旅 3日目

会津旅最終日の24日は、白虎隊の会のメンバーと飯盛山墓前祭に参列して玉串奉奠、 そのあとは、個人的に昨年と同じく院内御廟で松平家各代のお墓にお参りした。 11時開始の墓前祭まで時間があるため、妙国寺、滝沢本陣など市内史跡めぐりをしながら飯盛山をめざす。 飯盛山では白虎隊伝承史学館を初めて見学した。 何故か、入口には容保の二男…
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会津鎮魂の旅 2日目

本日は、 午前は鶴ヶ城内にて会津藩公行列出陣式の見物と、鶴ヶ城一帯見学、午後は市内の戊辰戦争史跡めぐり、 晩は東山温泉で懇親会 会津藩公行列出陣式は初めて見学させていただいたが、歴史絵巻を見ているようで、なかなか見事な出来栄えだった。 行事としてはまず先人感謝祭が執り行われた。 出陣式開始にあたり、 当日参加者の…
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会津鎮魂の旅 1日目 

会津落城の9月22日から24日まで、2泊3日で会津を1年ぶりに訪ねた。 白虎隊の会としての活動が主だが、目的はいくつかあり、以下の通り 22日、白虎隊自刃の地説明版除幕式、飯盛山一帯観光 23日、会津藩公行列見物、市内史跡めぐり 24日、飯盛山墓前祭、松平家墓地参拝 22日 前日、大阪を高速バスで出発し当日朝郡山へ。…
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会津と長州の出会い

一昨日、京都で講演会を拝聴した。 京都府庁旧本館を活用するため数年前より旧本館を会場とした講座が何回か企画されてきたが、今回は「幕末秘話 会津、長州、土佐」と銘打っての3回連続講座。 今回の1回目の会津編は、「生き残り白虎隊士の孫が語る”逆境の克服”」と題し、白虎隊事務局長 飯沼一元氏の講演。 会場は元々は80人を定員としていたが…
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京都会津会第106回法要

昨日、黒谷山内 紫雲石 西雲院において京都会津会主催の法要があり、参列させていただいた。 松平容保が京都守護職として滞在した文久2年から慶応3年まで京畿で亡くなった藩士と、慶応4年の鳥羽伏見の戦いで戦死した藩士の慰霊祭。 今年で106回目の法要となる。 京都会津会の総会もセットされているため、時間は若干前後するが、昨年と同じく…
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岐阜高須桑名訪問 高須編

前日に標高300M強の金華山をケーブルで登り岐阜城から美濃平野を眺めたあと、 翌日いよいよ美濃高須巡りをした。 廻ったコースは、高須館跡-->主水橋-->藩校日新堂跡-->高須天満宮-->海津市歴史民俗資料館-->行基寺(高須藩主菩提寺) 高須は、東が長良川、西は揖保川に挟まれた低地で…
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貴重な写真

先週、小生には貴重な幕末明治の頃の写真を7葉、譲り受けた。 1)彰義隊に参加した幕臣(A)の写真一葉 2)Aの妻(B)の弟たちとその家族の集合写真一葉 3)Bの弟の写真一葉 4)Bの姪とその夫の写真一葉 5)A・Bの孫(C)とその母の写真二葉 また、 6)長府藩士の妻と孫(D)、妻の親類の集合写真一葉 上記の…
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会津紀行その5

7/5  5日目、 佐藤一男さんの案内で、会津エンジン05に参加された下関商工会議所青年部のメンバーなどの皆さんと一緒に、鶴ヶ城、飯盛山、日新館を訪れた。 今回の小旅行の中で、鶴ヶ城は2回目、飯盛山は3回目。常に新しい発見がある。 鶴ヶ城は工事中だが、城内に入った。但し最上階からは工事中のため、市内は望めない。 飯盛…
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会津紀行その4

7/4  4日目, この日は全会津文化祭 AIZU ENJIN 05が会津大学で開催された。 主催は会津エンジン実行委員会で、平成22年度福島県地域づくり総合支援事業。 案内書に、「文化を通して地元の皆さまと現在の教育、道徳、精神、あるいは夢、希望など、いかにこれからの人生を豊かに過ごしていくかを一緒に再発見する場として考え…
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会津紀行その3

7/3  午後、飯沼一元氏、歴史愛好家の皆さんと一緒に、福島県立博物館を見学、その後皆で石田明夫氏の案内で鶴ヶ城内を訪ねた。 博物館にある容保像 福島県立博物館では、「白虎隊の図象学」と題し様々な白虎隊士自刃の図を展示しており、白虎隊自刃の描き方が時代によって変わる様が確認できる仕掛けになっている。 解説頂いた飯沼一元…
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会津紀行その2

7/3  3日目  12時に待ち合わせ予定があるため、それまで以下の史跡めぐりをした。 ホテル近辺から天寧寺までと、武家屋敷から飯盛山までは時間の都合でやむを得ずバスを利用した。 天寧寺(萱野権兵衛・郡長正墓、近藤勇墓)→ 武家屋敷(西郷邸、佐々木只三郎墓)→ 飯盛山 → 滝沢本陣 → 妙国寺 ・天寧寺の萱野権兵衛と次男…
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会津紀行その1

7/1から4泊5日で会津を訪ねてきた。 7/4にエンジン05が会津大学で開催されるのを切っ掛けに、白虎隊の義についての飯沼一元氏の講演を拝聴し、容保の墓参、市内の史跡巡りをするが目的。 会津訪問は今回が2回目となる。一昨年に半日程度、鶴ヶ城内を見たことがあるが、会津全体の地政学的な知識が欠けているため、それを補うことが本来の…
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京都會津会法要

京都会津会が毎年6月第2日曜に営む、黒谷紫雲石西雲院会津墓地での第105回法要に参加してきた。 参加者は60人ほどで、白虎隊の会からは事務局長の飯沼さんと京都支部の司太夫が参列、飯沼さんと小生は初参加。 総会 10時40分~11時10分 京都会津会会員のみ 法要 11時30分~12時40分 直会 12時40分~15時00…
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白虎隊の会発足

本日4/1正式に発足した。 昨日は、そのための京都支部の立ち上げも兼ね、京都祇園の「こったいの店 司」で会合した。 飯沼一元氏より、3月22日の発起人会(東京都板橋区 堀田文庫で開催)での議論の中心と主な活動内容の報告があり、一同了承した。 白虎隊の会設立の目的は、失われつつある 『義』 を現代および将来に伝え、広める…
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山口探訪 その2(美祢)

3/20   13:00 新幹線新山口駅で、飯沼貞吉の孫の飯沼一元氏、今回の山口探訪を企画した京都山口県人会副会長中村正氏、作家星亮一氏および戊辰戦争研究会のメンバーと待ち合わせ、現地の方の案内で美祢市東厚保町小杉の楢崎屋敷跡を訪ねた。小生は初めての場所だが、飯沼氏、中村氏は数年前に訪れている。 現地では、楢崎家に奉公してい…
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山口探訪 その1

3/20-3/23まで、山口の美祢・萩・下関を訪れた。 会津は、戊辰戦争とその後の扱いに対し、今でも長州に対しわだかまりを持つ。 この140年前から今に続く両者の関係に一石を投じようという動きがある。 白虎隊士の飯沼貞吉は、飯盛山で自刃したが蘇生し、その後長州藩士楢崎頼三により 山口美祢に連れて行かれ教育を受け、電信技術…
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