テーマ:龍馬

龍馬暗殺時に遺されたピストル

当時でも入手可能な拳銃の種類は多いが、 龍馬が寺田屋で使用した拳銃は、弾を込める場面などから、スミス&ウェッソンの拳銃に絞られる。 幕末日本で入手できそうなS&W拳銃の各々の特徴と画像は以下の通り。 ①S&W モデル1、 1857年に開発 シングルアクション式リボルバー拳銃。S&W社の第一号。 口径:22(0.22インチ、…
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11月15日

旧暦の11月15日は龍馬が亡くなった日だ。 この龍馬の死を三吉慎蔵はどのように思っていたのだろうか。 二人は、慶應二年の正月に初めて会い、その23日には寺田屋にて幕府の捕吏との闘いから辛くも逃げおおせた。 このとき、慎蔵は、 ①共に戦い負傷した龍馬を肩にかけ遁れる(慎蔵日記) ②薩摩藩邸に走り動けない龍馬を救出する(慎蔵日…
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三吉慎蔵談話の要

ある調査をするのだけれど、この書を取っ掛かりに進めたいと思う。 中には何か所か、慎蔵の記憶違いか聞き手の聞き間違いかの箇所があるが、それも面白い。  三吉慎蔵時治氏談話ノ要 八月十三日豊浦毛利邸ヲ訪ヒ三重盛二氏ニ面談翌十四日ニ於テ林洋三氏ト會合ノ事ヲ約シテ去ル 帰路三吉慎蔵氏ヲ訪フ其對話ノ要左ノ如シ 問 坂本龍馬ト御交…
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「京都ぶらり歴史探訪」寺田屋事件

BS朝日の「京都ぶらり歴史探訪」を拝見した。 一昨日1/7の放送は「歴史は冬に作られた!」で、様々な事件を取り上げていた。全体的には史実に基づいた内容が大半なのだが、寺田屋事件については疑問符がつく。 ま、主題は龍馬とお龍で、お龍が龍馬の命の恩人であることを強調して描くためとは思うが、一部に残念な内容もある。 ご存知のように、…
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お龍の馳せ報知の姿は?

伏見寺田屋にて坂本龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏に襲われたときに、お龍が危機を二人に知らせた。      画像は、2018/9/2放送 「西郷どん」より このときの風呂場からの馳せ報知のお龍の姿を直接知っているのは、お龍本人、一緒に風呂にいた殿井力子、目撃した龍馬・慎蔵の計4名と、数人の幕吏に限られる。 ⑴ お龍 …
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維新の記憶 1866年 寺田屋事件

2017年10月17日の読売新聞「維新の記憶」は、1866年の寺田屋事件を扱っている。 記事はおおむね正しいのだが、いくつか確定していないことや間違いも散見される。 ①「慶応2年(1866)1月23日の夜、伏見奉行所の捕り方約100人旅館「寺田屋」を取り囲んだ。」、としているが、捕り方の人数は全く分からない。当時に流布し…
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京都での歴史探訪 その1 龍馬葬送の道

9月8日~9月10日の3日間、京都で行われた米熊・慎蔵・龍馬会の歴史探訪ツアーに参加した。 初日のコースは以下の通り。 京都霊山護国神社-->霊山-->お龍の寓居跡--->龍馬葬送の道-->円山公園-->村田サト実家-->中岡慎太郎寓居跡-->近江屋跡-->酢屋 護国神社…
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伏見寺田屋にて

「好ましからざる人物」 ペルソナ・ノン・グラータ Persona non grata。 これは外交用語なのだけれど、 9月8日から3日間行われた米熊・慎蔵・龍馬会による京都歴史ツアーの中でも、感じたことだ。 コンピュータの世界ではもう45年ほど前に流行ったが、バーチャルというコンピュータ用語がある。 当時は大型の汎用コンピ…
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龍馬が隠れた材木納屋

龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏と寺田屋で戦い隙を見て逃走した途次、隠れた材木納屋がある。 ただし鳥羽伏見の戦いで焼失しているので、写真の材木納屋は当時のものではない。 この材木小屋について、伏見奉行所の報告には、 「村上町財木渡世 近江屋三郎兵衛財木納屋へ 龍馬手疵を受候侭立入」とある。 材木商・近江屋三郎兵衛のものと確認されて…
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初代伏見町長・江崎権兵衛

江崎権兵衛は、伏見の事業家であり初代伏見町長をした人物だが、その履歴を調べてみた。 弘化元年7月23日、先代江崎権兵衛の次男として、字家書に生まれる。幼名は源三郎。 初代は江州坂本在仰木村出身で、330年前に伏見両替町に来住し、大工であったが、のち阿波橋東詰において近江屋の屋号で材木業を営んだ。 祖父の代に、盛業をきわめ、使用…
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寺田屋からの逃走ルート5 薩摩藩伏見屋敷

京博にて、「大政奉還150年記念 鳥羽伏見の戦い」展を拝見してきた。 僕にとっては重要な史料が多いが、目的は、 ①幕末の伏見の地図 ②薩摩藩伏見屋敷の平面絵図 の確認 展示場に入るとすぐ後ろから、宮川禎一上席研究員が立命大の刀女子2名を案内してやって来るのに出会い、展示品の解説を拝聴する機会に恵まれた。 展示品の数は…
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寺田屋からの逃走ルート4

寺田屋事件での材木納屋から薩摩藩伏見屋敷までの逃走ルートを調べている。 動けない龍馬は材木納屋に隠れ、三吉慎蔵が単独で伏見屋敷を目指した。 ところで、慎蔵は伏見市中の地理に明るく、伏見屋敷の場所を正確に知っていたのだろうか。 伏見は、京と大坂との上り下りの淀川の起点に位置する交通の要衝であり、そのため東海道57次の江戸から…
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寺田屋からの逃走ルート3

寺田屋の裏の車町の通りから、村上町の材木納屋までの逃走ルートを考えてみたい。 まず幕末時の地図を確認する。(但し地図は、京都府紀伊郡伏見役場が後に作成) 右端(東)に「御役屋敷」と表示して伏見奉行所がみえる。 過書町や村上町は材木商いが活発で、貯木場など木場があったが、実際には地図には描かれていないことに注意。拡大図 明治5…
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寺田屋からの逃走ルート2 材木納屋

龍馬と慎蔵が避難し隠れた材木納屋を確認したい。 二人が隠れたという材木納屋があった辺りの写真。左側に大手橋(昭和15年11月竣工)が見える。 東京大学史料編纂所所蔵の写真。左側にも納屋がみえる 龍馬は書簡に、 寺田屋の裏の住家を破ってから、「町に出て見礼バ人壱人もなし。是幸と五町斗りも走りしに、・・・・、つひに横町に…
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寺田屋からの逃走ルート1 寺田屋

龍馬と慎蔵が逃走した経路を調べている。 まずは出発点の寺田屋のその敷地について。 鳥羽伏見の戦いで焼失した寺田屋について、その敷地が実際に記録にあらわれるのは明治になってからなので、これから調べてみる。 江崎権兵衛が明治26年5月27日に購入した旧寺田屋があったと思われる土地は、今の町名で南浜町262番地。 江崎は、この地所…
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龍馬をも相扶ケ

ある文書について、新しい読みのご教示を頂いたので記録しておきたい。 三吉慎蔵は、慶應2年1月に時勢探索との内命を以て龍馬らと同道し上京する。 23日に寺田屋にて龍馬が捕り方に囲まれたときに同宿し、一緒に囲みを破って逃亡、龍馬とともに薩摩藩屋敷に匿われたあと、薩摩藩の三邦丸で3月7日に長府へ帰ってくる。 翌日長府藩主毛利元周に直…
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「花燃ゆ」5月17日放送  長井雅楽

今回のドラマで気になったのはやはり長井雅楽のこと このドラマはとにかく展開が速いので、重要な事実の起承転結が省かれる。 航海遠略策にしても提言されあっという間に藩論となり、そして直ぐ(2週間後には)破約攘夷に置き換えられる。 長井雅楽や航海遠略策については、あまり理解できない筋書きだったのではないだろうか。 登場人物も多すぎ…
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「花燃ゆ」5月17日放送 晋作の短銃

今回の関心事は、晋作が上海で求めたピストル ドラマでは、短銃は1丁しかないようだが、晋作は文久2年(1862)に上海で2丁の短銃を購入している。 晋作の上海日誌『遊清五録』によると、 6月8日の条に「午後到蘭館、求短銃及地図」 6月16日の条に「与中牟田外行至米利堅人店、求七穴銃」 とある。 6月8日にオランダ商館から短…
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三吉慎蔵の妻・伊予

今日は、長府藩士・三吉慎蔵の妻、伊予の月命日 伊予は長府藩士正村喜三郎の三女で、慎蔵が安政4年(1857)3月に三吉家の養嗣子になった翌年1月に17歳で入嫁し、明治44年(1911)1月に没している。享年71才。 伊予が龍馬を見知ったのはいつだろうか。 慶応2年正月に慎蔵と龍馬が初めて会ったときとの説もあるが、恐らく慶応3年2…
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晋作が上海で購入したピストル

高杉晋作は、上海にいた間、中でも佐賀藩士中牟田倉之助とは気が合い、一緒に外出することが多かった。晋作が短銃を求めた時も一緒にいることがあった。 しかし何故か、短銃購入の場面では、晋作と倉之助の日記には微妙な違いが散見される。スミス&ウェッソン モデル1 晋作の『遊清五録』の「上海淹留日録」には、文久二年 「六月八日、・午後…
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龍馬が使用したピストル

慶応2年1月24日(1866年3月10日)の寺田屋事件で龍馬が使用した銃は、2月6日付桂小五郎宛て龍馬書簡に、 「彼高杉より被送候ピストールを以て打払、一人を打たをし候」 とあり、晋作より贈られた銃に間違いはない。 写真はスミス&ウェッソン モデル2  アーミー 32口径(Wikipediaより拝借)              …
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酢屋と龍馬

昨日、京都府庁旧本館連続講座Ⅳ「幕末歴史秘話・土佐編」を拝聴してきた。 講師は、材木商 十代目酢屋嘉兵衛(中川敦子)氏で、テーマは「酢屋と龍馬」。 なかなか聞けないお話を伺った。 酢屋嘉兵衛は、山城から出て、材木商として享保6年(1721)に京都三条で創業し、以来同じ地で今日まで290年つづく老舗。 創業した享保6年は、徳川…
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関東訪問その3 千葉さな講演会

12/12 あさくらゆう氏の講演「坂本龍馬の許嫁千葉さな 今、明かされる真実」 を拝聴してきた。 東京足立区興本地域学習センターが主催し、NPO法人千住文化普及会が共催。 講演会場に行く前に、北千住の旧日光街道、墨堤通りにある「千住 矢立茶屋」にお邪魔した。ここには、千葉さなについての最新の資料も置いてある。殆どはあさくらゆう氏…
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塩飽訪問その2

11/21、多度津町立資料館を初めて訪ね、 開館20周年を記念した秋季特別企画展「幕末に活躍した塩飽の男たち」を拝見してきた。 資料館は、多度津町制施行100周年を記念して建設され、主に多度津ゆかりの文化財等の資料を収集して一般に公開し、後世に遺すことを目的としている。 資料館の敷地及び美術・工芸品の一部は、旧多度津藩士浅…
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龍馬祭と講演会

11/15、久し振りに霊山へ出かけた。 霊山へ行くために例年と同じく、慶応3年11月17日夜に龍馬と慎太郎、籐吉が葬られる時に通った霊明社への道、葬送の道を登った。いつものようにこの道には誰もいない。 今年は変わったことがあった。道の途中に、10月に碑が建てられていた。 この碑は、似たような一連の今までの碑と違い、…
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旅サラダと小五郎と龍馬と

紅葉には若干早いが、城崎と芝山・香住にも足を伸ばし、温泉とカニを満喫してきた。 カニは、解禁以後11月中はまだ安く、12月に入ると倍近くに値が上がるらしい。 例年と同じく、城崎では桂小五郎が潜伏した旅籠の向かいに宿を取る。 ここのカニ料理は間違いがない。 いつ放送されるかは知らないが、旅サラダの取材陣がカニ解禁を受け…
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京都散策

最近、京都を訪ねることが多い。 紅葉にはまだ早いが、先週は2回、京都の庭園巡りなどをしてきた。 1回目は会社OBの仲間達と洛西太秦から花園・御室を散策した。 木嶋神社(蚕ノ社)-->広隆寺-->大酒寺-->法金剛院-->妙心寺-->長泉寺-->蓮華寺-->仁和寺 2回目は久し振り…
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下関長府訪問

9/13より4泊5日の日程で、下関長府を半年ぶりに訪れた。 目的は長府博物館での史料調査。今まで知りたかったことが9割方判明した。 調査未了の1割は長府では情報が得られないので、別途信州訪問を計画するつもり. 9/13は月曜で博物館が休館でもあり、午後から半日、既知の長府城下町を歩き回った。 落ち着いた雰囲気で変化が少な…
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龍馬コイン考

地方自治法施行60周年記念として、平成22年度分は6県の記念硬貨が発行される。 今日はそのうち、高知県、岐阜県、福井県の500円硬貨の発行日。 表面の図柄は、高知県が坂本龍馬、岐阜県が白川郷とれんげ草、福井県が恐竜である。 発行枚数は、2月の財務省の発表によれば、各々、192万枚、186万枚、183万枚。 昼前、近く…
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歴史とは何か?

一昨日大阪龍馬会の夏季講座、「千葉佐那をめぐって」を拝聴してきた。 講演者は京都国立博物館の宮川禎一氏で、昨年一年間の研究のあとをたどりながら、そこで得た成果についての発表。 詳細な内容は、残念ながら読んではいなかったが、昨年の『歴史読本』に、「山国隊と千葉重太郎」、「千葉佐那の面影」、「目撃された千葉佐那」、「千葉貞女画像の真…
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