テーマ:慰霊祭・墓所

霊山の墓

個人的に気がかりなことある。 幕末の志士がここに神葬祭で葬られたいと望んだ、京都霊山。 明治になってから整理され、山口関係は一つの区画に墓石が立ち並んでいる。 その中にL字型に整然と並ぶ一角がある。 L字型の中心に船越清蔵守愚の墓を据え、長州各藩士の墓が広がる。 船越清蔵は、霊山で最初に神葬祭で葬られた清末の国学者で、…
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船越清蔵の知名度

幕末の船越清蔵を調べているのだが、 なかなか書かれたものが少なく、評伝としての堀哲三郎『船越清蔵先生』が良本といえるのだろう。 この本には、三吉慎蔵との関係は特には記述がないのが残念だが、 小坂土佐九朗の二男として三吉家に養子に入った慎蔵は、養母喜久との縁で、船越清蔵とは縁続きになる。 その船越清蔵は、萩本藩の支藩清末藩に生…
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慶応4年1月の会津藩殉難者

鶴ヶ城天守閣郷土博物館の平成30年度企画展の図録『一八六八年の会津藩』を開いて、驚いたことがある。慶応4年1月7日の条に「京都、金戒光明寺を守る約百人の部隊壊滅」と記されている。 薄見寡聞の者なので誤謬があればご指摘いただきたいが、従来の数々の会津藩殉難者名簿にこの百人の記録は皆無だと思う。 会津藩は、慶喜公が慶応3年12月12…
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彰義隊墓前法要からの雑感

今日5月15日、彰義隊の墓前法要が行われた。      (上の写真2葉は昨年の撮影)   この日は例年、上野に出かけているのだが、今回は残念ながら関西で用があり出席が叶わない。 この10年間で、一昨年のケガでの不参加を含め2回欠席したことになる。 僕が墓前法要に参加するのはもちろん訳がある。 幕臣の高祖父・河島由路は…
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維新の記憶 1869年 東京招魂社の創建

2月20日の「維新の記憶」は、-1869年 東京招魂社の創建- 見出しに大きく「長州の思想 新政府踏襲」とある。 そして記事では、簡潔に、靖国神社の源流が京都霊山の霊明神社であることを明示している。 ①京都霊山の霊明神社が、幕末に神葬祭を始めたこと ②霊明神社が、安政の大獄で殉難した志士たちの神葬祭を営んだこと ③明治新政…
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桃井春蔵の墓

大阪羽曳野にある桃井春蔵直正のお墓にお参りしてきた。 高祖母・小杉鋹(とし)の先祖に南北朝時代の武将・桃井直常がいるが、「桃井春蔵」はその末裔の一人になるらしい。 桃井直正は、桃井直由(初代 桃井春蔵)が安永2年(1773)に開いた鏡心明智流の志学館の4代目桃井春蔵。 士学館は幕末江戸の三大道場のひとつといわれるが、剣術家・松…
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三吉慎蔵の最後

慎蔵は明治34年2月16日、数え71歳で長府にて亡くなっている。 先日、明治33年と34年の慎蔵日記を読む機会があった。 明治33年以前の日記は清書されているが、明治33年と34年はこれまで清書されていなかった。 一方、清書された日記の原本については、破棄されたのか見つかっていない。 明治33年の日記原本の存在は、慎蔵が翌年…
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「花燃ゆ」5月10日放送 松浦亀太郎

今回の関心事はやはり松浦亀太郎 松陰の様々な絵を描き残したことで有名だが、 僕にとって関心があるのは京都霊山の関係として・・・ 京都洛東霊山の霊明神社は、幕末の文久2年から戦死・変死した志士の神道祭を執り行ってきた。 この霊山での神道祭の最初の志士は誰なのか。 実はこれまで、長州清末藩の国学者・船越清蔵と信じてきていたのだ…
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幕末維新殉難志士の慰霊祭

禁門の変の日の7月19日、京都洛東霊山の霊明神社にて、霊明神社奉賛会主催の「幕末維新殉難志士の慰霊祭」が行われた。 霊明神社は、幕末維新にかけ、主に長州系志士達の葬送・祭祀の地となるが、藩の枠を超えて、暗殺・戦死など殉難・変死した志士達も葬っていく。従って、霊山は、幕末維新の志士たちの聖地として知られる。 霊明神社の由緒略記によ…
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彰義隊士と慰霊祭

先日、上野の彰義隊墓前にて催された戦没者慰霊祭に参列してきた。 今年は、慶応4年から数え、遠忌慰霊法要第148回の年になる。 高祖父にあたる幕臣・河島重蔵源由路が、長男由之16歳と共に彰義隊に参加し戦死しており、その供養のための参列であり、今回が2度目になる。        河島由路 また、僕にとってはこの慰霊祭は、高祖…
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徳川家康公400年祭

今年は家康公が元和2年(1616)に没して400年になる。久能山東照宮では御鎮座四百年大祭が行われ、駿府では1年を通じ四百年祭の行事が続く。4/16に東静岡にて「平成の徳川家臣団大会2015」のイベントが開催されることでもあり、1年半振りに久能山に参拝してきた。 徳川家臣としては、 高祖父に、慶應4年5月15日、彰義隊に親子で参…
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東軍戦死者慰霊碑の副碑 (田邊太一撰文)

明治40年に京都にて東軍慰霊四十年祭が行われ、のちにその報告書として「戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書」が関係者に配られた。 その報告書には、それまで建立されてきた碑について、「戊辰伏見鳥羽淀之役東軍戦死者之碑及埋骨碑建標」の地図が収められていて、以下の碑が図示されている。 ①明治30年の三十年祭の折に建碑した「戊辰役東…
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南禅寺金地院での東軍慰霊祭

東照宮のある京都南禅寺金地院での東軍慰霊祭は、 家康が亡くなった4月17日に因み、その直前の日曜日に行われる。 今日がその日なので参加してきた。 鳥羽伏見の戦いのあと東軍将兵の慰霊は続けられていたが、30年後の明治30年に三十年忌が京都で大々的に行われた。 この時に、金地院東照宮脇、伏見奉行所跡そして下鳥羽・法伝寺門前の3カ所…
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妙教寺による東軍戦死者の回向

京都妙教寺では代々御住職が毎年2月4日に、鳥羽伏見の戦いの激戦地である千両松(八番楳木)と愛宕茶屋堤防とで慰霊を行い、本堂で法要を営んで来られた。 東京からの新選組関係者9名と京都会津会6名とで参列してきた。 妙教寺近辺の古地図 上が北 淀は、京都と大阪の間にあり、桂川と宇治川(淀川)が合流する戦略的に重要な場所だった。 …
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中学時代の幕末史跡

東京・芝公園にある正則中学校に入学したのは、もう半世紀以上前の昭和35年(1960)。 この頃、学校までの通学路や、下校時によく遊んだ場所には、今から考えると多くの史跡があった。 ただ、この頃は歴史には全く関心がなく、従って史跡については何にも覚えていないのだが・・・ 住んでいた家は、当時は全く意識していなかったが由緒ある場所…
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京都法伝寺の東軍戦死者霊名簿

京都法伝寺では、鳥羽伏見で勃発した一連の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵されており、毎年8月には慰霊祭が行われている。 門前左側には、 「戊辰東軍戦死之碑」の刻まれた巨大な慰霊碑が建っている。 揮毫は空海の書法を究めた名筆家として知られた宮小路康文 この碑は、京都で初めて東軍慰霊祭が大々的に行われた明治30年の三十回忌…
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防長殉難者の墓所と法要

10/26(日)、京都東福寺・退耕庵での明治維新防長殉難者の法要に参列してきた。 慰霊祭は、安政の大獄、池田屋騒動、禁門の変、鳥羽伏見に始まる戊辰戦争等々における萩宗藩、長府、清末、徳山、岩国の各支藩の防長殉難者を対象にしており、判明しているだけでその霊名は1,621名に上っている。 幕末政局の主要な舞台になった関西には防長殉難…
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第22回東軍慰霊祭に参加して

今年で第22回になる戊辰役東軍殉難者慰霊祭は、京都淀の妙教寺にて行われた。 慰霊祭の式次第は以下の通り 1400  慰霊祭  於本堂     祭文奉読 井上雅雄氏(新選組井上源三郎ご子孫)     読経   妙教寺緇素一結     焼香   一同     感謝状贈呈 (㈱)大与様へ 1450 記念講演 於客殿   …
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第22回戊辰役東軍殉難者慰霊祭

またそろそろ東軍慰霊祭の季節がやってきた 今年は楽しみなことがある。 第22回目の慰霊祭は、久しぶりに京都での開催が企画され、10月4日に淀の妙教寺にて行われる。記念講演は『古絵図でたどる鳥羽伏見・淀の激戦』と題し、妙教寺ご住職がなされる。 このお寺は明治40年に京都で挙行された慰霊祭の報告書(「戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓…
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静岡1日目 東軍慰霊祭

第21回戊辰役東軍殉難者慰霊祭に参加した。 この慰霊祭は元新人物往来社社長・大出俊幸氏の主催で、平成4年以来毎年、各地の戊辰戦争激戦地において東軍戦没者の追悼を行ってこられた。 今年の慰霊祭の開催場所は、静岡市の蓮永寺。 蓮永寺は、家康の側室お万の方が再興し家康の三回忌を執り行った由緒あるお寺で、墓所にはお万の方の供養塔もある。 …
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京都における東軍慰霊碑の変遷

戊辰戦争は慶応4年1月に鳥羽・伏見に於いて勃発した。 その京都には東西両軍の慰霊碑・記念碑があるが、東軍側の慰霊碑と戦死者埋骨碑は明治30年から40年にかけて建立された。 京都守護職の本陣が最初に置かれた京都黒谷の会津墓地にも、明治40年に會津藩士の慰霊碑 「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」が建立されたが、今回東軍全体としての慰霊碑…
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京都における東軍慰霊碑と霊名簿

京都南禅寺の金地院と、伏見の御香宮は、鳥羽伏見の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵しており、その土地の東軍戦死者慰霊碑の前で個別に慰霊祭を行っていた。黒谷金戒光明寺にある会津藩の慰霊碑とは異なり、会津藩を含めた東軍戦死者全体をカバーしたものだった。 今回、金地院と御香宮を訪問し、各々の資料を比較検討してみた。 比較する対象…
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京都会津会第108回法要

京都黒谷 西雲院において京都会津会の総会と第108回法要があり、参列させていただいた。 今回で参加は4回目になる。 式時間は、昨年と同じく、以下の通り 受付10:00~ 総会10:40~11:10 法要11:30~12:40 直会12:40~15:00 法要は、文久、元治、慶應年間京都方面に於ける会津藩の戦病死…
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東軍慰霊祭雑感

毎年、戊辰戦争で亡くなった東軍戦死者の慰霊祭が、京都から東の各地の激戦地や遺骸などを葬ったお寺などで個別に行われている。 年間に行われる法要・慰霊祭の数はかなりの数に上る。 戦争が勃発した鳥羽伏見の京都の場合、よく知られているのは、 妙教寺ご住職による鳥羽伏見の激戦地と妙教寺での法要と、京都会津会主催で金戒光明寺西雲院ご住職に…
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乃木神社 御祭神百年祭

今年は、明治天皇が薨去され100年になる。 従って明治天皇に殉じた乃木希典が亡くなって100年。 乃木神社では、殉死の9月13日に、「御祭神百年記念」として「御祭神百年祭」の奉納行事が以下のように執り行われた。 1)御祭神百年祭  10:00~12:00   直会      12:00~14:00 2)墓前祭     …
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京都にある東軍慰霊碑と埋骨地碑

戊辰戦争で戦死した東軍将兵の墓は、薩摩藩や長州藩などの西軍とはその建立の経緯に大きな違いがある。 また、慰霊碑に至っては京都でも明治後年まで建立されてこなかった。ましてや鳥羽伏見の戦いで散った東軍将兵の名を刻んだ墓をみることはほとんどない。 京都黒谷金戒光明寺 会津墓地内にある「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」 鳥羽伏見の戦い…
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防長殉難者の顕彰

10/23京都東福寺の塔頭退耕庵において、明治維新防長殉難者顕彰会の平成23年度総会ならびに法要が営まれ、初めて参列してきた。 退耕庵は1346年に創建され、応仁の乱で荒廃したが、慶長年間(1596年-1615年)に寺持の安国寺恵瓊によって再興された。東福寺境内の北端に位置し伏見街道沿いの要所にあったため、幕末の鳥羽伏見の戦いの際…
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下関長府訪問 2日目

本日は、 長府功山寺にて、三吉家の墓地に参ったあと五卿潜居の間でご住職の話を拝聴し、長府博物館に隣接の万骨塔で行われる霊石除幕式と平和祈念祭に臨んだ。 式典のあと直会に参加してから市内の史跡を巡り、晩は長府の友人と一献酌み交わした。 山川健次郎霊石の前にて、山川健次郎子孫と二人の三吉慎蔵子孫     式典が始まる前…
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幕末殉難志士を弔祭した霊明神社

10/9、京都府庁旧本館で開催された連続講座「幕末歴史秘話 長州編」を拝聴した。 講師は洛東霊山 志の聖地 霊明神社 八世神主 村上繁樹氏。会場はほぼ満席だった。 霊山はいわずと知れた幕末志士の聖地だが、なぜここに志士達の眠る墓があるのか、最近になって真実を知る人はだんだんと増えてきた。  志士達の墓碑がある場所は、今は霊山護国神…
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会津鎮魂の旅 3日目

会津旅最終日の24日は、白虎隊の会のメンバーと飯盛山墓前祭に参列して玉串奉奠、 そのあとは、個人的に昨年と同じく院内御廟で松平家各代のお墓にお参りした。 11時開始の墓前祭まで時間があるため、妙国寺、滝沢本陣など市内史跡めぐりをしながら飯盛山をめざす。 飯盛山では白虎隊伝承史学館を初めて見学した。 何故か、入口には容保の二男…
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