テーマ:傑物・学者

福澤諭吉の書簡

咸臨丸で渡米した乗組員で、のちに活躍する人物は多い。 木村摂津守喜毅、勝麟太郎、小野友五郎、松岡磐吉、赤松大三郎、肥田浜五郎、中濱万次郎、福澤諭吉などなど、名前を列挙するのに遑がない。 その中でも、明治時代にわたって活躍した勝麟太郎と福澤諭吉はよく聞く名前だ。 福澤諭吉を知るには、勝麟太郎と同じく、膨大な史料が残っている。幕末…
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オランダ通詞の人々

2年前に開陽丸子孫の会による長崎歴史探訪の際に、講演会が開催された。 講師は『通訳たちの幕末維新』の著者・木村直樹氏。講演の中で、オランダ通詞については今村家と楢林家についても言及され、大変興味深く拝聴した。 長崎では、いつもオランダ通詞を調べることにしている。 幕末に興味を持ってから最初に訪ねた7年前は今村家の墓地を調べた。…
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久坂玄瑞と船越清蔵

久坂玄瑞の備忘雑録は5冊が伝わっている。 その1冊は「筆廼末仁満爾」(文久壬戊十月上浣日)とある。 その中の或るページに「船翁墓碑之事。」とメモ書きが記されている。 これは、文久2年10月上旬からの覚書に記した短いメモだが、松陰始め一門が舩翁と尊称した船越清蔵の墓について、玄瑞がその建碑に心いたしていたことを表している。 …
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西郷の硯

ある硯が気になっている。 三吉慎蔵が西郷吉之助に贈った赤間関硯で、今は酒田の荘内南洲会が所蔵している。 月に波上のうさぎが刻されている。よく使われた跡がみてとれる。 慎蔵が西郷に贈ったことは記録が残っている。 『三吉慎蔵日記』に、 「(慶応2年3月)七日夜馬関ヘ着ス。直ニ通船ニテ拙者ハ上陸シ鶏其他赤間関硯等ヲ購シ、西郷…
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文楽への道

文楽の名のもとになった植村文楽軒(本名:正井嘉兵衛)が経営した最初の芝居小屋と、二番目の小屋の跡を訪ねた。 文楽軒は、寛政(1789-1800)の頃、大坂に出て高津橋南詰西の浜側に浄瑠璃稽古場を開く。 この高津橋は、江戸中期、西高津新地の開発に伴って 道頓堀から開墾された高津入堀川にかかる橋だ(『浪華名所獨案内』より、高津付近)…
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適塾の謎

先日たまたま適塾の前を通った。去年の大阪北部地震による災害復旧工事のため開館していなかった。適塾はいつもこのアングルからの撮影が多い。 思えば、ぼくと適塾との付き合いは長い。 半世紀前になるが、1970年に勤め始めた会社の本社近くに旧瓦町適塾があり、本社の裏の古手町には除痘館跡があった。また40年後の2008年に本社が今橋に移転…
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徳川慶喜の筆「誠」

先日、徳川慶喜の書いた「誠」の書が 広辞苑編者の新村出旧宅で発見されたと報道された。新村出の養父猛雄は慶喜に仕えていたため、新村家で受け継がれたと考えられる。 「誠」は、慶喜にとってはまことに身近な文字だったのではないだろうか     (新村出記念財団提供) 儒教の書「中庸」に 「誠者天之道也、誠之者人之道也」(誠は天の道な…
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今日は、桃井直常の祥月命日

桃井氏は、下野の足利氏の枝族で、もともと上野群馬郡桃井(現在の群馬県榛東村)の出身。 桃井直常 (もものい ただつね)は越中守護として、室町幕府を二つに裂いた観応の擾乱と云われる足利尊氏と直義の戦いに登場する。観応の擾乱は歴史番組でも取り上げられた。     正しくは、もものい ただつね …
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長井雅楽の詩歌と 龍馬

長井雅楽の辞世は、、詩一首と歌二首が残されている。 〇欲報君恩業未央 自羞四十五年狂 即今成佛非予意 願帥天魔輔国光 〇今更に何をか言(いは)ん代々を経し君の恩(めぐみ)にむくふ身なれハ 〇君がため捨(すつ)る命ハ惜からて 只思はるる国の行すゑ wikiでは、 〇君恩に報いんとして業いまだ央ならず 自羞す四十五年の狂 …
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『久坂玄瑞史料』をよんで

文久2年8月8日(1862年9月1日)に、清末藩出身の攘夷運動家・船越清蔵が毒を盛られ58歳で亡くなる。 この清蔵を慕っていた中谷正亮が35歳で病死したのも同じ日。 こんな偶然もあるものだと思っていたのだが、改めて調べてみると正亮は実際は閏8月8日(1862年10月2日)だった。 調べるきっかけになった『久坂玄瑞史料』が昨…
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桃井春蔵の墓

大阪羽曳野にある桃井春蔵直正のお墓にお参りしてきた。 高祖母・小杉鋹(とし)の先祖に南北朝時代の武将・桃井直常がいるが、「桃井春蔵」はその末裔の一人になるらしい。 桃井直正は、桃井直由(初代 桃井春蔵)が安永2年(1773)に開いた鏡心明智流の志学館の4代目桃井春蔵。 士学館は幕末江戸の三大道場のひとつといわれるが、剣術家・松…
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本能寺の変遷

一昨日、本能寺の変遷の跡を訪ねてきた 本能寺は、日隆上人によって応永22年(1415)に創建されたが、その後、法華宗内の対立や、応仁の乱・本能寺の変などの戦乱、秀吉の都市計画によって5回、場所を変えている。 元々の寺号は「本応寺」で、3回目の再興のときから「本能寺」となる。 日隆上人自身が関わったのは最初の3回で、信長が自刃したと…
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宣教師シドッチの遺骨発見

昨日(4/4)、「最後のバテレン」と称されるイタリア人宣教師シドッチの遺骨発見のニュースが飛び込んできた。先祖縁者が、このシドッチと顔見知りだったので、とても驚いた。 鎖国時代に外国人宣教師らが収容されていた東京都文京区の「切支丹屋敷」跡地の発掘調査で出土した遺骨が、1708年に屋久島に上陸して幕府に捕らえられたシドッチのものとみ…
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海舟と西郷の会談

慶応4年の鳥羽伏見の戦いのあとから江戸開城までに、二人の間で書簡の交換や会談は何回かおこなわれる。 始まりは、山岡鉄太郎に託した西郷吉之助宛て海舟の書簡。 2月11日の江戸城重臣会議において、慶喜は恭順の意を表し、海舟に全権を委ね、自らは翌12日に東叡山大慈院に移転し謹慎した。海舟は、この徳川家の状況を、西郷に書を送り伝えようと…
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「戊午の密勅」と船越清蔵

戊午の大獄(安政の大獄)で処罰された者は多いが、逃げのびた者も少なくはない。 大津にいた船越清蔵もその一人だ。 山口県菊川町の清蔵の墓所にて                          先日、福井小浜で、梅田雲浜生誕200年記念式典に参加し、 佐々木克氏の講演「梅田雲浜と安政の大獄」と、その後、各専門家によるパネルデ…
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下関市菊川町にて船越清蔵を訪ねる

一週間ほど前、長州清末藩の産んだ陽明学者・船越清蔵の生まれ故郷の下関市菊川町を訪問した。 清蔵については、その人物像を簡潔に述べた文がある。 「長州清末藩処士船越清蔵守愚は、明治維新の大舞台開幕の裏方を勤めた人で、表舞台に立ってはでに見得を切った人ではなかった。それは、船翁自身の性格にもよるが、その学問と信念とがそうさせたことと…
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赤松小三郎を訪ねて

大分前になるが、今年の夏に信州上田にて、赤松小三郎の生まれ故郷を訪ねたので、 これまでに廻った小三郎の関連史跡を纏めてみた。 赤松小三郎は、天保2年(1831)上田藩士芦屋勘兵衛、志賀の次男として木町の御徒士長屋にて生まれる。諱は惟敬、幼名は清次郎。 木町の町名は、今現在は、小三郎の偉業を称え「赤松町」に変わっている。 生誕…
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越前福井にて天狗党を訪ねる

今年は、元治元年(1864)3月27日に「天狗党」が挙兵して150周年にあたる。 それを記念し、天狗党が西上途中で降参し壊滅した越前福井にて、県文書館「水戸天狗党 敦賀に散る」展が開催されている。先日、展示品を拝見し、福井での天狗党のゆかりの跡を訪ねてきた.。 天狗党の挙兵は、幕末3大義挙として、天誅組や生野の変と並び称せられて…
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小浜の梅田雲浜史跡巡り

先日2回に分け、梅田雲浜の関連史跡を小浜で廻ってきた。 幕末には、有名無名の先学は多いが、その筆頭は各々梅田雲浜、船越清蔵ではないだろうか? 雲浜は求めに応じ、松下村塾の看板に「松下邨塾」と書き、清蔵は松陰が藩への登用を進言したほどだった。 そんなことに思いを廻らしている折、たまたま雲浜のご子孫と知り合いにもなり、『梅田雲浜入…
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河井継之助の歩いた道3

今日は、河井継之助が、安政6年(1859)7月10日に生瀬宿から有馬の湯まで歩いた道を辿ってきた コースは以下の通り。 生瀬-->一本松-->座頭谷-->蓬莱峡-->船坂-->白水峡-->有馬 生瀬から船坂まではほぼ一本調子の登り坂で、約6.5km、 船坂から有馬まではアップダウンと平坦な…
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河井継之助の歩いた道2

河井継之助の歩いた道を辿ってきた。 今日は、前回時間切れで打ち切った伊丹から、生瀬まで まず伊丹で腹ごしらえをしてから、13時前に出発した。 コースは、 伊丹-->(有馬街道東廻り)-->大鹿-->瑞ヶ池-->鴻池-->(姥ヶ茶屋) 鴻池-->荒巻-->今里-->中山寺--&…
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河井継之助の歩いた道1

いま住んでいる宝塚の近辺は、幕末のころ人の往来が多かった。 宝塚は周りに、要衝の地・小浜、有馬への入り口・生瀬、酒造りの盛んな鴻池・伊丹、参拝者が途切れなく続く中山観音・清荒神などの神社仏閣、などがあり、巡礼街道、西宮街道、京伏見街道、有馬街道が交わる場所だった。 交通機関が発達していない幕末に、当時の人はどのように行き来し…
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長崎通詞・楢林家と今村家

長崎の通詞・蘭方医の2家系(楢林家と今村家)を調べている。 先月、長崎を訪問したときは、そのひとつ今村家の源右衛門英生の墓所をお参りした。 英生は寛文11年(1671)11月5日通詞より一段低い家格の内通詞今村市左衛門公能の次男として長崎で生まれた。幼少の時から父親からオランダ語とポルトガル語を学び、少年時代出島のオランダ商館医…
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吉田松陰の拝闕詩碑

岡崎公園の京都府立図書館の敷地に、京都で松陰に関する唯一の碑がある。 京都は、松陰が尊撰堂を造り志士の英霊を弔祭しようとした地だが、刑死一週間前の安政6年10月20日付の入江子遠宛の書簡によれば、この地に大学校を設立して天下の俊英を集めて国家有用の偉材を育成することを究極の目的としていた。 嘉永6年(1853)10月、松陰は…
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二人の勇士

英公使パークス襲撃事件とは関係はないが、この事件からいつも想起することがある。 林田衛太郎と三枝蓊は、公使一行を護衛していた騎馬兵12名と第九連隊第二大隊分遣隊を始め前後も含め大勢の守備兵の中へたった二人で襲撃を敢行した。これとよく似た二人だけの突入襲撃事件が、同じ慶應4年に京都から遠く離れた東北で半年ほど後に起きている。 二本…
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新しい赤松小三郎の墓標

会社OBの新年会が京都であり、時間待ちもかねて近くの黒谷さんに寄って来た。 ここ金戒光明寺には、会津墓地を別にすると、10人強の幕末に活躍した人々が眠っている。 京都府知事植村正直の父羽仁敬斎、 戊辰戦争時に山陰道鎮撫総督西園寺公望の知遇を得た高木文平、 徳川家茂・孝明天皇などに優れた包丁の技術で叡慮を賜った生間正政、 戊…
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西郷の相棒 山岡鉄舟

昨日、小生が尊敬する人物の一人、山岡鉄舟が歴史秘話ヒストリアで取り上げられ、西郷隆盛の相棒として紹介された。 鉄舟は、西郷率いる討幕軍による江戸総攻撃を巡って、駿府に赴き一人西郷と直談判した。その際に、率直な物言いにより西郷と肝胆相照らし、西郷の信頼を得る。 お互いの腹を割った真摯な話し合いの結果、江戸城無血開城に至る道筋を…
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赤松小三郎の墓石(再)

昨日、調べものに大阪府立中央図書館へ行ってきた。 府立図書館は、中之島図書館と中央図書館に分かれているが、幕末関係の史料は両方に分散されている。小生の住む宝塚から東大阪の中央図書館は遠いため、調査のテーマを貯めておき、行くときは複数の調査を一度にすることにしている。 金戒光明寺の、墓標のない現在のお墓           …
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赤松小三郎の墓石

3週間ほど前になるが、洋式兵学者で、幕末いち早く議会政治の確立を提唱した赤松小三郎の墓石が、京都金戒光明寺の墓地から上田市に移された。 砂岩の墓石は劣化が激しいため新たに御影石で作り変えることになり、現在の墓石は赤松の故郷に引き取られ記念碑とすることになった。 墓石に刻まれた文には、亡くなった原因として、「不幸終遭緑林之害而死」…
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武市半平太寓居跡

昨日、大阪龍馬会主催の墓前祭に出かけてきた。 今年の11/15の龍馬の命日は土日から外れているため、、料亭ツアーと史跡巡りを組み込んだイベントは日曜の11/13に設定された。 史跡めぐりで回ったコースは以下の通り。 八坂神社--> 霊山護国神社(龍馬・慎太郎・藤吉墓参)--> 霊明神社(講演と参拝)-->幕末…
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