彰義隊慰霊祭

今日は5月15日。
5・15事件の日だが、僕にとっては上野戦争の日。
以前、この日にあるお寺を訪ね、そのあと、お世話になった礼状を出させていただいた。
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先日午後、お参りをさせて頂いた者で正井と申します。その節は柵内にも入れさせて頂き大変有難うございました。
私には高祖父に彰義隊士と長府藩士がおり、二人をめぐる三代記を調べております。
彰義隊士の河島重蔵源由路は、上野山下三枚橋黒門詰において湯島方面からの銃弾にて胸から背中に貫通重傷を負ったため、当時十六歳にて初陣の長男由之と家臣とが夜陰に乗じて密かに湯島天神仲坂下の屋敷内に運び込み手当を尽くしましたが、その甲斐なく死去しました。
私はこの先祖の生き方死に様を調べているところで、その関係で訪問させていただきました。
当日はお参りの前に、最後の資料館公開に参加できなかった上野彰義隊墓所を訪ね、その後墓所がどうなったのか保存の現状を確認してきました。画像 071.jpg画像 073.jpg
墓所の周囲は柵に鍵が掛けられ入域はできませんが墓所は元のままで、閉じて間がないこともあり、域内も掃除も行き届いています。
ただ、関係者から見ると、これからこの墓所がどのような変遷を辿るのか、非常に気がかりです。
お寺で保存されている黒門は実物を初めて拝見させていただきましたが、長い年月の雨ざらしにもかかわらず保存状態は意外とよく、保守に並々ならぬお気遣いをされておられるのが分かり、まことに頭が下がる思いです。画像 013.jpg画像 018.jpg
柵の中に立ち入らせて頂きましたが、門の正面は今でも無数の弾痕が生々しく、高祖父がまさにそこで被弾した戦いの激しさを現前とさせ、そんな史跡が目の前にあるのが不思議な気がいたしました。
また、これは余談ですが、もう一人の高祖父の長府藩士は三吉慎蔵といい、京都伏見の寺田屋にて坂本龍馬と一緒に幕吏に襲われ窮地を脱するなど勤皇方志士として明治維新を迎えますが、明治10年に奇遇にも上野戦争時の寛永寺座主輪王寺宮公現親王、後の北白川宮能久親王の御付として奉職し余後を過ごします。
これらの人物の調査を最近始め、その一環として訪問させて頂きました。またお訪ねさせて頂くことがこれからもあるかと思いますが、その節はよろしくお願いいたします。
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後日、手紙を頂戴し、そこには黒門について以下の内容が書かれていました。
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黒門は昭和61年に荒川区に文化財保護条例が施行され、その第4号に指定された関係で、その際、補修をしたこと。腐っていた部分は(おおよそ三分の一)を新材木に交換し、現在のような状態に回復したこと。ただ、オリジナルな状態をご存知の方からは、朽ち果てる寸前の方がよかった、との批判もあったこと。しかしながら、当時の経済状況では、あの補修方法以外に選択肢がなかったこと。従って今では案外しっかりした状態であること。
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コロナの関係で、本日行われるはずであった上野彰義隊墓所前での慰霊祭は残念ながら中止となりましたが、個人的に家で慰霊祭を執り行いました。

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