慶応4年1月の会津藩殉難者

鶴ヶ城天守閣郷土博物館の平成30年度企画展の図録『一八六八年の会津藩』を開いて、驚いたことがある。慶応4年1月7日の条に「京都、金戒光明寺を守る約百人の部隊壊滅」と記されている。
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薄見寡聞の者なので誤謬があればご指摘いただきたいが、従来の数々の会津藩殉難者名簿にこの百人の記録は皆無だと思う。
会津藩は、慶喜公が慶応3年12月12日深夜に二条城を退去し大坂へ下るときに共に移動するが、このとき居残った部隊なのか、あるいは「討薩」の上表を奉じて上京する慶応4年1月3日以前に、黒谷方面に向かった占領部隊なのか、明確な記録がないため定かではない。百人の部隊が壊滅したのであればその霊名が聞こえて来ても不思議ではないがそれもない。
この幻の百名の部隊をきっかけに、鳥羽伏見の戦いで亡くなった会津藩士卒の記録を再確認してみた。
代表的な霊名簿として年代順に以下の資料がある。(以下煩雑なため『』は「」に統一)
①「戦死者名籍」明治24年6月 山川浩
②「戊辰正月伏見鳥羽其他ニ於ケル東軍戦死者」明治29年3月(渋沢栄一伝記資料)
③「東軍戦死者霊名簿(仮称)」 明治30年以前か (法伝寺所蔵)
④「戊辰東軍戦死者霊名簿」 明治30年~大正15年 (御香宮所蔵)
⑤「戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死者人名録」明治30年~大正15年 (南禅寺金地院所蔵)
⑥「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」 明治39年5月(黒谷会津墓地)
⑦「会津藩戦死殉難者人名録」明治44年 加藤長四朗
⑧「校訂戊辰殉難者名簿」昭和2年 山川健次郎、飯沼関弥
⑨「戊辰殉難名簿」昭和12年 戊辰殉難者七十年祭典 
⑩「戊辰殉難追悼禄」昭和53年11月 会津弔霊義会
⑪「戊辰戦争殉難者に関する調査報告書」平成5年3月 会津若松市教育委員会

一 京都での東軍慰霊三十年祭と「戦死者名籍」
「渋沢栄一伝記資料第28巻 第八章 其他ノ公共事業 戊辰東軍戦死者追悼碑」によれば、明治24年に京都有志より、地方人士の義援金を募り東軍戦死者追悼碑を京都東照宮傍らに建立し東軍慰霊祭を挙行したいとの発議があった。これを受け、追悼碑建設準備のため発起人を募り、東京の静岡育英会事務所内に碑建立の事務所が設置される。
明治29年1月に募金のため追悼碑建設趣意書が作成される。但し、碑建設は東照宮以外が適当との附言があり、結果的には明治30年に南禅寺金地院東照宮の傍らに「戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死人追悼碑」、激戦の行われた旧伏見奉行所跡地に「戊辰東軍戦死者之碑」が建立される。

       南禅寺金地院の「戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死人追悼碑」
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      旧伏見奉行所跡地の「戊辰東軍戦死者之碑」
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明治30年5月11日の日出新聞によれば、5月8日に金地院にて三十年祭が挙行され法会を営み、翌5月9日に旧伏見奉行所跡地にて碑の竣工式と子爵榎本武揚による祭文朗読を始めとした記念祭が行われた。
また、この記念祭とは別に下鳥羽法伝寺にも同年2月に「戊辰東軍戦死之碑」が建立されている。
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この三十年祭の準備段階で東軍戦死者の人名調査も各旧藩の協力を仰ぎ行われた。会津からは明治29年3月時点で3回報告を受け、報告毎に前回記載の後に追加して霊名計107名(②の資料)を数えた。但し既に明治24年の①「戦死者名籍」には鳥羽伏見の戦いの霊名は125名(注)が収められており、明治30年の三十年祭に際しては①「戦死者名籍」も参考に上記④⑤の霊名簿が整理・作成される。
(注:①「戦死者名籍」の霊名は後述の理由により服部幸次郎、町野源次郎、町野源三郎の3名を除外すると、鳥羽伏見の戦いでは本来は122名となる)
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二 「東軍霊名簿」
③は戊辰戦争の東軍殉難者の名簿として法伝寺に伝わるが、鳥羽伏見の戦いでの会津藩に限ると82名の記載にとどまる。三十年祭での調査107名より少なく、かなり早い段階での初期資料を基にした結果と思われる。
三十年祭で作成された④⑤の名簿は、鳥羽伏見の戦いでの会津藩を含む東軍殉難者が纏められ、旗本の末裔有志で構成する京都城南会により東照宮のある御香宮と金地院に各々奉納されている。各旧藩の協力を得て大正15年まで改訂される。
      「戊辰東軍戦死者霊名簿」 (御香宮所蔵)
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      「戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死者人名録」 (南禅寺金地院所蔵)
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この中で会津藩士卒の霊名は、旧漢字や戦死場所などの注に若干の差異はあるが、記載の順序は②資料と同じ構成であり、130名を数える。但し、二重記載の掘隊所属の佐藤次郎八、慶応3年12月11日死亡の佐川又四郎、同年12月13日病死の三瓶鉄蔵、江戸にて自裁した神保修理を除くと、実際は126名となる。①「戦死者名籍」との相互の差異は14名認められる。
③に記載の会津藩士卒の霊名82名はすべて④⑤に記載があるので、ここでは③④⑤を代表し、④「戊辰東軍戦死者霊名簿」(以下、「東軍霊名簿」)をベンチマークのひとつとする。

三 黒谷会津墓地の「会藩戦死者碑」
⑥「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」(以下、「会藩戦死者碑」)は、京都会津会が明治38年に発足し会津殉難慰霊法要を営む中で会津墓地に明治39年5月に建立された。碑には6段にわたって霊名が刻まれ115名を数える。
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但し、2段目右端の服部幸次郎は、①「戦死者名籍」に「正月三日 安之進二男」と注があるが、④「東軍霊名簿」では新撰組所属と明記され、後年の会津藩関係の各霊名簿からは除かれていく。
4段目の佐川又四郎と三瓶鉄蔵は前述の如く慶応3年12月の死亡、4段目の安藤牛助と6段目の安藤丑助は同一人物と思われる。また5段目にある町野源次郎(8月21日越後五泉で戦死)、町野源三郎(5月1日白河で戦死)の2名は、鳥羽伏見の戦いでの殉難ではなくこの碑の趣旨に照らし除外すると、明治39年時点で「会藩戦死者碑」に刻むべき霊名は本来109名になる。(なお、町野兄弟が⑥「会藩戦死者碑」に刻まれたのは、町野源次郎の戦死年月を①「戦死者名籍」において「五月」を「正月」と誤植したのが原因と思われる。)
いずれにしろ15年前の明治24年に①「戦死者名籍」が既に発行されていることを勘案すれば、刻まれた霊名が115名に留まるのは不思議である。

四 「戊辰殉難名簿」の成立
⑧「校訂戊辰殉難者名簿」については、戊辰戦役七十年記念号の会津史談会誌16号の「会津側に於ける戊辰戦役に関する図書解題」の項に、「戊辰戦役に於ける会津藩殉難者名簿」として以下の記述がある。明治24年に山川浩が「戦死者名籍」を出版し、また明治44年に加藤長四朗が⑦「会津藩戦死殉難者人名録」を出版したが、両書とも多くの脱漏・誤字があり、再版に至らなかった。のちに、山川浩が両方を比較したが完成に至らず、山川健次郎が飯沼関弥と共に非常な努力をし、ほぼ完成に近い「校訂戊辰殉難者名簿」を昭和2年に出版した。
⑨「戊辰殉難名簿」は、昭和12年10月戊辰殉難者七十年祭典執行に際し作成された。
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経緯として、昭和2年男爵山川健次郎氏の編纂に成る校訂戊辰殉難名簿に因り更に会津弔霊義会調査の稿本校正戊辰殉難名簿並びに会津図書館所蔵の資料等を参照して作成した、とある。
鳥羽伏見の戦いの霊名は133名を数え、今日残された最良の名簿と考えてよいのだろう。ちなみに、⑩「戊辰殉難追悼禄」、⑪「戊辰戦争殉難者に関する調査報告書」はともに⑨「戊辰殉難名簿」をベースにしている。
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五 霊名簿にみる殉難者の確定
鳥羽伏見の戦いの殉難者について、①「戦死者名籍」125名(明治24年)、④「東軍霊名簿」126名(明治30年~大正15年)、⑥「会藩戦死者碑」109名(明治39年)、⑨「戊辰殉難名簿」133名(昭和12年)の各々の名簿の差異から殉難者の変遷を確認してみた。
各名簿での霊名の取捨選択の詳細は省くが、①「戦死者名籍」明治24年から⑨「戊辰殉難名簿」昭和12年までの間に、相川市太郎、石井甚吉、岩田登、片岡新六、佐々木悦次郎、沢田富之助、寺沢兵庫、中村又八郎、水野兵吾、矢ケ崎五郎太、吉田留八の11名が殉難者に加えられ、在竹五郎太、服部幸次郎、水野牛次郎の3名が除かれた。
在竹五郎太は在竹清蔵と同一人と判定し、服部幸次郎は新撰組所属のため除外している。ただ、水野牛次郎は明治29年3月の②調査資料に記載され、⑨「会藩戦死者碑」に刻まれ、⑪「戊辰戦争殉難者に関する調査報告書」で慶応4年1月に伏見で戦死と報告されている。また何故か野田清次郎が両名簿に登場していないが、大坂一心寺の霊名簿に正月七日戦死との記載がある。水野牛次郎と野田清次郎の二人は、⑨「戊辰殉難名簿」に記載漏れと考えられる。
ところで、平成30年度度企画展の図録『一八六八年の会津藩』に記載の霊名は、⑨「戊辰殉難名簿」を基準にしたとの説明通り水野牛次郎と野田清次郎を外しているが、前年12月死亡の三瓶鉄蔵を1月3日戦死と記載しているのが気になる。

六 結語
以上、主な殉難者名簿を簡単に比較して見てきた。一部に戦死状況が不明な殉難者はいるが、すべて鳥羽伏見の戦いがもとでの殉難者と想定でき、「正月七日、黒谷警備の会津藩士、薩摩藩兵の攻撃によって壊滅する」(『会津藩戊辰戦争日誌』)にもみられる黒谷守護の会津部隊百名の行方は、今回は不明であった。
1月4日黒谷攻撃するも無人だったとの薩摩史料も現存するので、今後とも鳥羽伏見の戦いの殉難者について調査は継続していきたい。

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