幸若大夫の肖像画

拝見したい肖像画がある
15世紀後期の宮廷絵師を代表する土佐将監光信筆と伝わる、桃井直詮(もものい ただあきら)を描いた紙本著色桃井直詮像。
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この肖像画は東京国立博物館所蔵で、1988年6月6日に重要文化財に指定された。
熟達した迫真的容貌描写が特徴の、室町中~後期における肖像画の名品の一つとされる。

描かれた桃井直詮は南北朝時代の武将・桃井播磨守直常(ただつね)の孫であり、幸若舞創始者の初代幸若太夫のことで、この肖像画は、直詮次男の二代幸若太夫の八郎九郎直継が作者の土佐光信からもらい受けたといわれる。
また一説には、直詮の没後に子の安義が土佐光信に描かせたものという伝承もある。

土佐光信がこの肖像画を描いたのは、直詮が天皇に召され参内し松のお庭で音曲を披露した時に、聴聞の列に連なっており、後の世の記念にと書き写したと言われる。
肖像画の主は折烏帽子を被り、松喰鶴と亀の文様のある青い直垂を着して、異国風の敷物に座している。容貌は高い頬骨と大きめの目が特徴的。背後には左右から松の枝が張り出している点が珍しい。実際に背後にこの障壁画があったのか、あるいは何か特殊な意味が込められているのかは明らかでない。

肖像画の賛には、
「かつて貴人の御殿にて名誉を発し、尊卑ともに袖を連ね、あるいは牛車を馳せて、語り舞う源平合戦の精妙さを見に集まったが、これは白山権現(現平泉寺白山神社の三社の中の社の雉子神)の助けがあって初めて生まれた技とは誰が知ろうか」と書かれている。
賛文の内容も像主が芸能に堪能であったことをたたえ、衣装の文様も笹松鶴亀で、芸能者にふさわしい構図になっている。

肖像画が桃井直詮であると証する史料は乏しいが、裏書に「幸家八世譲与済」とあり、幸若家に伝世したことを伝え、賛者が朝倉家および桃井家の菩提寺の一つである越前朝倉一乗谷の曹洞宗寺院・心月寺の二世住職・海闉梵覚であることから、幸若家の祖先を描いたとみなされている。

桃井氏系図では、直詮は安眞とも安直とも書かれている場合もあり、没年も文明2年(1470)あるいは文明12年(1480)、享年も61歳、66歳、78歳と諸説あって定まっていない。肖像画の主の名や没年、享年は正しく伝えられていなかったものと思われる。
いかに有名でも、たとえば、江戸時代のある桃井家系図には、直詮の記載がないものもある。兄弟など枝分かれしたとき、本筋でないその後の系図が書かれない。
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こちらは、いろんな家系図から補足した系図。
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本肖像画が描かれた時期は明確ではないが、『心月寺過去帳』によれば、賛者の海闉梵覚は永正13年(1516)に没している。一方、桃井氏系図は一様に本肖像画が土佐光信によって描かれたことを伝えているが、文亀元年(1501)の年記がある土佐光信筆、三条西実隆像と描法に近いものがあり、土佐光信筆、桃井直詮像との伝承は正しいと考えられる。

参考:文化庁文化遺産オンライン

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