夏目漱石の甥、夏目小一郎

昨日、咸臨丸子孫の会が原宿の東郷神社横のクラブ水交にて開催された。
懇親会のなかでAさんの紹介を受け、お話を聴くと先祖の方が一高で夏目漱石に教えを受けたとのこと。
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そういえば僕の家系に漱石の甥がいたと話したのだが、名前が思い出せない。
歳はとりたくないものだ。
漱石の甥とは、漱石の兄直矩の長男小一朗の事で、思い出すのに時間がかかってしまった。

僕の高祖父に、幕臣で彰義隊に参加した河島由路がいる。
彰義隊には親子で参加し、16歳の長男由之は黒門口で被弾した父を家臣と共に湯島天神下の屋敷まで連れ帰るがその夜亡くなってしまう。
この河島由路には、長男由之、次男由親、長女幸、次女駒がいた。
次女駒は加賀前田藩出身の山崎勇に入嫁し、その長女恒子が夏目小一朗に嫁いでいる。

小一朗の名を見る最初は何時だろうか?
漱石は大正5年(1916)12月9日に49歳で亡くなるのだが、妻の鏡子の希望で、主治医の真鍋嘉一郎の勤務先の帝大病理解剖室で10日午後1時40分から解剖することになる。
この時、小一朗は立会人の一人として解剖に立ち会っている。他に立会人には、鏡子の弟中根倫、弟子の小宮豊隆、主治医の真鍋嘉一郎がいた。
小一郎は、他には小宮豊隆の漱石の思い出話の中に出ても来る。

社会人としては朝日新聞に入社し、以下の経歴をたどる。
1923年(大正12年) 8月2日 販売部 入社試用
同           11月1日 同   社員採用
1925年(大正14年) 1月22日 出版部計算係
1930年(昭和5年)  7月1日 出版部次長
1934年(昭和9年) 5月25日 販売部次長
1938年(昭和13年) 8月25日 出版局勤務(部長待遇)
1940年(昭和15年) 8月 1日 内務局文書部長
1942年(昭和17年) 9月1日 内務局人事部長
同          11月1日 人事局大阪人事部長
1945年(昭和20年) 4月1日 大阪本社厚生本部参与
同          11月1日 出版業務局次長(大阪在勤)
1946年(昭和21年) 4月16日 大阪本社業務局長
1947年(昭和22年)11月25日 監査役に選任
1948年(昭和23年)11月25日 取締役に選任
1953年(昭和28年)12月24日 監査役に選任
1954年(昭和29年)12月20日 退任、社友となる

朝日放送
1959年(昭和34年) 9月30日 取締役辞任

そして、1960年(昭和35年)に永眠している。


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