九州2日目 長崎

10/21朝、小曾根家を訪問し、貴重なお話を拝聴する。
その後、市内の幕末史跡をめぐり、また5年ぶりに先祖のオランダ通詞の今村家と楢崎家の墓地にも参る。

  楢林鎮山
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晩は開陽丸子孫の会の長崎旅行に合流し、料亭二見にて会食。


長崎での幕末史跡めぐりは2度目になるので、前回見逃したところを主に廻る。
コースは以下の通り。
思案橋-->(梅ヶ崎ロシア仮館跡、大浦海岸通り、ベルビューホテル、ウォーカー旧邸跡、ロシア領事館跡)-->小曾根宅(小曾根町)-->楢林鎮山宅跡-->対馬藩蔵屋敷跡==>銅座町聖徳寺(楢林家墓地)==>皓台寺(唐通詞林・官梅家墓地、オランダ通詞加福家墓地)-->上野彦馬の墓-->風頭公園-->亀山社中の跡-->上野彦馬宅跡-->大音寺(今村家墓地)


小曾根邸を訪問する道すがら、いくつか廻ってみる。

〇梅ヶ崎ロシア仮館跡 (我が国最初の気球飛揚の地)
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文化元年(1804)9月6日、 ロシア使節・ニコライ・レザノフが軍艦ナジェジュダ号にて長崎に来航し日本との通商を求めた際に、幕府が回答を引延ばしている約半年間、留め置かれた場所。
幕府は最終的に通商申入れを拒絶し、 レザノフは 翌年3月20日に出港しカムチャツカに引き返した。
その間の文化2年1月8日、 ロシア海軍医官ラングストルフが 和紙で熱気球を作り、 3回にわたって飛揚実験をする。
見物の日本人は 珍しさに大いに喜んだと言われるが、最後の実験で気球のヒモが切れ遠くまで飛んでボヤ騒ぎが起き、奉行所により気球飛揚は禁止された。


〇ベルビューホテル
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大浦居留地のベルビュー・ホテルは、文久3年(1863)頃に開業された日本最古のホテル。今は、ANAクラウンプラザホテル長崎グラバーヒルがある。


〇ロシア領事館跡
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〇小曾根宅(小曾根町)
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  小曾根家敷地にある鳥居(元長崎奉行所にあった鳥居)
小曾根邸にて、ご夫妻から貴重なお話を縷々拝聴し、旧交を温めさせていただいた。
特に関心があったのは、長崎海軍伝習所が閉所した後の残留組を小曾根家で面倒を見ていたこと。
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小曾根邸を退去した後、先祖のオランダ通詞・楢林今村両家のお墓詣りと史跡めぐり。


〇楢林鎮山宅跡
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楢林鎮山(慶安元年12月14日(1649年1月26日) - 宝永8年3月29日(1711年5月16日))
江戸時代前期の阿蘭陀通詞・医師。
明暦2年(1656)、9歳から出島のオランダ人から蘭語を学び、寛文9年(1669)小通詞、貞享2年(1685)大通詞となる。元禄11年(1698)9月27日、オランダ人との内通の疑いをかけられて閉戸(武家の閉門と同義)に処せられて通詞を解任。その後許されて出家し、医師として開業する。子孫及び門人達の流派は「楢林流」と称された。


〇対馬藩蔵屋敷跡 (十八銀行本店の一角)
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対馬藩は自藩の周辺海域の警備以外では、長崎に護送された他国(主に朝鮮半島)の漂流民の世話を命じられたほか、朝鮮との交易で長崎奉行との関係が深かったと言われている。


〇銅座町聖徳寺(楢林家墓地)
天王山法輪院聖徳寺は寛永3年(1626) に創建された浄土宗の寺院。
この寺は山里村・渕村一帯を管轄しており、浦上キリンタンの檀家寺でもあった。

楢林家の墓域と鎮山の墓
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楢林宗建の墓
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       (写真を撮り忘れたためSNSから借用)
宗建は、楢林流外科5世、日本にジェンナー式の種痘を普及させ わが国種痘の開祖と称される。
弘化4年(1844)佐賀藩内に痘瘡が流行した時藩主に牛痘苗の輸入を進言、嘉永元年 (1848) 年に来日したオランダの医師モーニケに種痘法を学ぶ。翌年、痘痂(液性ではなくかさぶた)をバタビアから取寄せ、牛痘法による種痘に成功した。


〇皓台寺(唐通詞林・官梅家墓地、オランダ通詞加福家墓地)
慶長13年(1608)、肥前国の洪徳寺住持亀翁良鶴により洪泰寺として風頭山麓に創建されたのを始まりとする。寛永3年(1626)に現在地に移る。
境内には、長崎奉行在任中に没した4名を始め、唐通事の林家・宮梅家、長崎町年寄の高木家・薬師寺家、シーボルトの妻女・楠本瀧とイネ、上野彦馬の墓がある。

唐通事 林・官梅家墓地
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林・官梅家は唐との通訳で、貿易業務なども併せ行った。

阿蘭陀通詞 加福家墓地
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加福家は最初はポルトガル語の通訳だったが、貿易相手国がオランダに変わるとオランダ語の通訳を行った。
江戸時代に代々9代にわたって大通詞などを勤めた。


〇上野彦馬の墓
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菩提寺である晧台寺墓域の最頂部に先祖の墓と並んで建てられている。


〇風頭公園にて
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〇亀山社中の跡
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最近の研究では、「社中」は「グループ」という程度の意味。
「薩摩藩名義で買い上げた軍艦を、薩摩の指示のもとで運航していた土佐の脱藩浪人の集団というのが実態。私設海軍や商社などとするのは事実誤認」で、坂本龍馬との関係も見直されている。


〇上野彦馬宅跡
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中島川沿いの彦馬のスタジオ「上野撮影局」があった場所。彦馬は 文久2年(1862年)ここに上野撮影局を開設し写真文化発展の基礎を築く。
坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、伊藤博文、中岡慎太郎など多くの幕末志士の写真がここで撮影された。


〇大音寺(今村家墓地)
慶長19年(1619)伝誉関徹の開山により創建された寺。

今村英生の墓
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今村英生(寛文11年(1671)11月5日) - 元文元年(1736)8月18日))は江戸時代中期のオランダ通詞。通称は源右衛門、のち市兵衛。
20歳のとき、出島にやってきたドイツ医師ケンペルの助手となり、ケンペルの日本情報収集の法律違反の手伝いをし、語学に磨きをかけると共に薬学・医学・博物学を習得する。通詞に採用されてのち、抜群の語学力と学識を生かし、新井白石や徳川吉宗の洋学を陰で支えた。著書『西説伯楽必携』は日本初の西洋獣医学・馬術・飼育法の翻訳書として高く評価されている。
5代子孫に地震学者・今村明恒がいる。


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