お龍の馳せ報知の姿は?

伏見寺田屋にて坂本龍馬と三吉慎蔵が幕府の捕吏に襲われたときに、お龍が危機を二人に知らせた。
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     画像は、2018/9/2放送 「西郷どん」より

このときの風呂場からの馳せ報知のお龍の姿を直接知っているのは、お龍本人、一緒に風呂にいた殿井力子、目撃した龍馬・慎蔵の計4名と、数人の幕吏に限られる。

⑴ お龍
①『千里駒後日譚』
明治32年11月5日付土陽新聞 川田雪山
「風呂の外から私の肩先へ槍を突出ましたから、私は片手で槍を捕え、態と二階へ聞こえる様な大声で、女が風呂へ入って居るのに槍で突くなんか誰だ、誰だと云ふと、静かにせい騒ぐと殺すぞと云ふから、お前さん等に殺される私ぢやないと庭に下りて濡れ肌に袷を一枚ひっかけ、帯をする間もないから跣足(はだし)で駆け出すと、陣笠を被って槍を持った男が、矢庭に私の胸倉を取て・・」
②『続反魂香』明治32年11月15日 安岡秀峰
「若し阪本に知れて御覧なさい、用心をするぢやありませんか、と悠々と衣服をつけて、・・・お良は今は一所懸命彼奴等が行かぬ其内に早く知らせやうと、帯引き締むる間も遅しと、兼て造へて置いた秘密の階子から、二階へ飛び上るが早いか、四人の居る居間へ転げ込むで、たゝ大変で御坐います、今夜来ました、・・・」
③『阪本龍馬の未亡人』昭和6年 安岡重雄
「あの時、私は、風呂桶の中につかって居ました。これは大変だと思ったから、急いで風呂を飛び出したが、全く、着物を引掛けて居る間も無かったのです。実際全裸で、恥も外聞も考えては居られない。夢中で裏梯子から駆け上がって、敵が来たと知らせました。」

<註: お龍は明治39年(1906)1月15日に死去しているが、存命中は書けなかったのか、安岡はお龍が死去してから記事の内容を全裸に変えている>

⑵ 殿井力子
〇『勤王後家寺田屋 おとせ(九)殿井力子談』
明治44年11月1日やまと新聞
「お春さんと私は湯に浴(はい)って上ると表を百人許りの捕吏が取囲いて母を呼び出しました。母は何心なく戸外へ出ると・・・・。阪本さんは二階から下りる所を梯子の下に匿れて居た捕吏に一太刀手の甲を切られたが、大したことなく裏の物置を切抜け三好さんと共に逃げられた。お春さんも続いて男の浴衣に男の帯を締めて阪本さんと共に逃げました。」
(なお、新聞にはおとせの長女陸軍大佐殿井隆興氏の令閨。寺田屋騒動の時14歳とある。)

<註: 力子は、お龍が逃げるときに男の浴衣を着たといい、着替えたとは言っていない>

⑶ 龍馬
〇慶応2年12月4日阪本権平、一同あて書簡
「一人の連れ三吉慎蔵と話して風呂より揚り、最早寝んと致候処に、ふしぎなるか哉(此時二階居申候)人の足音のしのびしのびに二階下をあるくと思ひしに、六尺棒の音からからと聞こゆ、おり柄兼而御聞に入し婦人、名ハ龍今妻也。勝手より馳せ来り云様、御用心被成べし不謀敵のおそひ来りしなり。」

<註: お龍の姿には言及せず>

⑷ 慎蔵
①『三吉慎蔵日記』
「此上ハ王道回復ト賀シ一酌ヲ催ス可キ用意ヲ為シ、懇談終リ夜半八時頃ニ至り、坂本氏妾二階下ヨリ走リ上り、店口ヨリ捕縛之者入込ムト告ク」
②『三吉慎蔵日記抄録』
「サレバ王道回復ニ到ルベシと一酌ヲ催ハス用意ヲナシ、懇談終リ夜半八ツ時頃ニ至り、坂本ノ妾二階下ヨリ走リ上り、店口ヨリ捕縛吏入込ムト告グ」

<註: ①②ともお龍の姿には言及せず>

ところで、慎蔵も編纂にタッチした長府毛利家の正史『毛利家乗』を見ると、
③『毛利家乗』下関市立歴史博物館所蔵版 明治20年頃発行
「廿三日藩士三吉慎蔵ヲ遣リテ京師ノ状ヲ細作セシム伏水ノ旅舎ニ闘フ
附記 土佐ノ人坂本龍馬来テ赤間關ニ寓ス慎蔵之ニ従テ學フ是夜良馬ト倶ニ伏水ノ旅舎ニ投ス数人アリ窃カニ旅舎ヲ圍ム二人楼上ニ在テ之ヲ覚ラス良馬ノ妾浴室ニ在リ變ヲ視テ裸躰来リ告ク圍兵従フテ上ル・・・・」
④『毛利家乗抄録』 三吉家蔵
「慶應二年正月廿三日藩士三吉慎蔵伏水ノ旅舎ニ闘フ
是ヨリ先キ命シテ京攝間ノ情狀ヲ細作セシムルナリ
附記 土佐ノ人坂本良馬曾テ赤馬關ニ來寓シ慎蔵之ト交ル是夜良馬ト倶ニ伏水ノ旅舎ニ投ス寇(あだ)アリ暗二舎ヲ圍ム二人樓上ニ在テ之ヲ覺ラス良馬ノ妾會(タマタ)マ浴室ニ在リ變ヲ見テ裸體馳セ報ス數人從ヒ登ル・・・・」 (大正15年発行『坂本龍馬関係文書』にも収録)

<註: ③④ともお龍の姿を裸体としている。捕吏数人がお龍の後から階段を登ってきたが奉行所側には姿については記録がない>

==>結論:『毛利家乗』などでは、附記の中にお龍の姿を描いている。明治20年版に記述があり、当時一番早い言及でもある。これは三吉慎蔵が述べたとしか思えない。

以下参考
『毛利家乗』の編纂は大きく以下の四つの段階があり、内容は追加加筆されていく。
〇明治16年秋  御家記稿本 (現在行方不明)
〇明治20年頃  下関市立歴史博物館所蔵版
〇明治23年頃  (三吉家蔵『毛利家乗抄録』にも収録、坂本龍馬関係文書もこの版を収録)
〇大正後半~昭和初め (最終版)

なお、大正元年の『維新土佐勤王史』では、
「偶まお龍は湯殿に浴し居たるが、俄に街上の騒しきに、戸の隙より透し見れば、闇に閃く槍の穂先に、スハ一大事と、衣装を纏ふ暇もなく、雪の肌もあらはにて、裏梯子を走り上りさま、表の方に指さして、危急の迫るを告げ知らせぬ。」とあるが、
坂崎紫瀾は『維新土佐勤王史』をまとめるにあたり、資料がなく不明な箇所は想像の翼を広げている(坂崎に限らず、当時では比較的よくある)。


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