竹田宮家と三吉慎蔵

平昌五輪で、2月17日にフィギュアスケート男子で羽生結弦が金メダル、宇野昌磨が銀メダル。
またスピードスケートでは、 2月20日に女子500メートルの小平奈緒選手、22日は女子団体追い抜きの高木美帆選手ら4人が金メダル。
いずれもメダルを首にかけたのは、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恆和会長だった。

竹田恆和氏は旧皇族竹田宮恒徳王の三男にあたる。

竹田宮家は、その初代恒久王が北白川宮能久親王の第1王子(庶長子)として明治15年(1882)に誕生し、明治39年(1906)に明治天皇より竹田宮(京都市伏見区の地名に由来)の宮号を賜っている。
恒久王は明治天皇の第6皇女常宮昌子内親王を妻としている。
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その後、竹田宮家は、2代恒徳、3代恒正と続く。

北白川宮能久親王の御付(のち家令)として仕えていた三吉慎蔵は、初代恒久王の誕生とその命名に大きく関わったことが「三吉慎蔵日記」に記されている。

〇明治十五年九月二十二日
北白川宮侍女分娩御男子御誕生之処当宮御旅行中ニ付総テ御付ヘ御依頼相成候ニ依リ御命名之儀尚又勅使参向御引受総テ御祝式取計被 仰付候事
〇九月二十三日
 恒久
 易曰天地之道恒久而不已也
右御命名杉大輔へ協議之上宮殿下ヘ電報ヲ以テ相伺候上御取極之事

慎蔵は、恒久王が誕生するときは能久親王は旅行中であるので、命名の儀、明治天皇からの勅使、祝式など誕生に関する諸手続きをすべて任されていた。
9月22日に申橋幸子を母に男子が誕生すると、能久親王の一字を取り、易書の「天地の道は恒久にして已まずなり」から「恒久」と名付け、杉孫七郎と協議の上、能久親王に電報にてお伺いをたて承諾を得て決定している。

従って、竹田家で代々名付けられる通字「恒〇」は、三吉慎蔵がつけたと云うこともできる。
このことは、まだ同窓の竹田恆和氏には伝えていない。

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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

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