維新の記憶 大村益次郎受難

2月13日の読売新聞の「維新の記憶」は、彰義隊がテーマかと思ったが、-大村益次郎受難- だった。

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大村益次郎にもかかわるのだけれど、実は僕の先祖調査で分からないことがある。
三吉慎蔵の娘・友子の婿のことだ。
明治23年、慎蔵は北白川宮能久親王(彰義隊の輪王寺宮)の家令を辞して、長府毛利元敏公の長府帰郷に従い、長府に居を構える。
そして翌年、のちに長府尊攘堂を建立する桂弥一の斡旋で、慎蔵の娘・友子の婿に山本玉樹を迎る話がでて、その翌25年に友子は三吉家を分家し、玉樹は三吉姓になり、慎蔵一家と長府で暮らすことになる。
このことが縁で、桂弥一と山本玉樹は兄弟の義を結んでいる。

もともと山本玉樹は三田尻の佐波郡華城村の荒瀬新八の次男だったが、婿入り前は山本甚五郎の養子になっていた。三吉家に婿入りするにあたって家名を廃し入籍している。

ところで、大村益次郎が暗殺されたあと、大村家を継いだのは山本軍三郎で、確認はまだできていないが山本甚五郎と縁戚だという。
その関係かどうかは分からないが、三吉玉樹は、明治28年6月に東京に出て大村家に家職として奉職する。このあたりの経緯を調査するため内田伸氏に以前連絡を取ったのだが、残念ながら大村家の資料はすべて空襲で灰燼に帰しており、代々の家職については確認できないという。

三吉玉樹は、明治32年、友子が病死した翌年、三吉家を去り山本家に復している。
昭和10年、73歳で没し、築地本願寺の分院(廟所)和田掘廟所に眠っている。
個人情報保護の壁でなかなか調査が進まないが、僕の関心事の一つがこの曽祖父・山本玉樹のこと。


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