維新の記憶 1868年 江戸無血開城

2月6日の読売新聞夕刊の「維新の記憶」は、1868年江戸無血開城 だった。

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海舟と西郷とが江戸で行った2回めの会談場所は、僕には懐かしい場所でもある。

海舟と西郷は、記事の通り、3月13日薩摩藩高輪屋敷、14日薩摩藩蔵屋敷で会談している。
海舟日記に「十三日、高輪薩州藩邸に出張、西郷吉之助へ面談す。・・・・。十四日、同所に出張、西郷に面会す。・・」とあることから、14日も高輪屋敷とする説も散見するが、田町の蔵屋敷が正しい。
14日に約束の蔵屋敷に海舟が来て西郷に到着したと手紙を出し、その西郷からの返事の手紙が残っており、そこには「田丁」と明記されている。

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尊翰拝誦仕候、陳ハ
  唯今田丁迄御来駕
  被成下候段、為御知被下、
  早速罷出候様可仕候間、     
  何卒御待居被下度、此旨 
  御頼迄如此御坐候、頓首
    三月十四日
  〆
  安房守様    西郷吉之助
      拝復

田町の蔵屋敷の場所は、田町の駅から三田側へ下りて、北東に並ぶ徳栄ビル、三菱自動車工業本社ビルの辺り。

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前身は、徳栄ビルは製紙会社の倉庫で大きなロール状の製紙置場。三菱自動車工業は三菱重工自動車部がありトラック置場があった。
この二つの会社倉庫の間に、3部屋に別棟で風呂がある平屋建の家があって、そこに僕は家族と小学校6年から中学3年まで住んでいた。
ま、薩摩藩蔵屋敷の真ん中と云ってよい。ひょっとしたら海舟と西郷が会談したまさにその場所かもしれない。

蔵屋敷の跡地に建つ会見の碑にも思い出がある。
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この碑はもともとは、より南西の、徳栄倉庫(今の徳栄ビル)の入り口に建つはずだった。
しかしオーナーの山田徳三(僕の遠い縁戚)が、倉庫に出入りするトラックの邪魔になるといって、設置を断った。これを三菱重工自動車部の総務の方が聞きつけ、それではこちらにと云って、現在の場所になったという経緯がある。

新聞記事は最後に、
「4月11日、無血開城が実現。旧幕府勢力のうち彰義隊がしばらく抵抗するものの、江戸の市中は戦火に見舞われることなく、新時代へと向かう。」で終わる。
次の記事はいよいよ彰義隊であろうか? 彰義隊に参加した幕臣の高祖父・河島由路が黒門詰めにて銃撃によって戦死している。


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