宣教師シドッチの遺骨発見

昨日(4/4)、「最後のバテレン」と称されるイタリア人宣教師シドッチの遺骨発見のニュースが飛び込んできた。先祖縁者が、このシドッチと顔見知りだったので、とても驚いた。
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鎖国時代に外国人宣教師らが収容されていた東京都文京区の「切支丹屋敷」跡地の発掘調査で出土した遺骨が、1708年に屋久島に上陸して幕府に捕らえられたシドッチのものとみられると、文京区が発表した。
  屋久島では毎年、町主催の「シドッチ 祭」を開催(写真はインターネットから拝借)
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調査に携わった早稲田大の谷川章雄教授(考古学)は「外国人宣教師の遺骨の身元が分かるのは初めてではないか。日本のキリスト教史にとって極めて重要な発見だ」としている。

文京区などによると、シドッチは博識だったため、1709年に切支丹屋敷に身柄を移された後、当時の幕府の実力者で、儒学者でもあった新井白石が直接尋問したことで知られる。4回の尋問で広範な知識を得た白石は「西洋紀聞」などを著述した。
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このとき新井白石の尋問に、通詞とした立ち会ったのが、今村源右衛門
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今村源右衛門から5代あとに、関東大震災を予言し、地震の神様と呼ばれた地震学者・今村明恒がいる。明恒の5男昇に、高祖父母・河島由路・鋹夫妻のひ孫春子が入嫁している。
     右端が5男昇
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今村家は、薩摩藩士の家系だが、もともとは長崎のオランダ通詞の家系でもある。
今村明恒は、地震研究以外に、父明清から聞かされていた先祖の調査を大正6年(1917)から始める。
この時点では、祖父明麗、曾祖父真胤(長崎の通詞)まではわかっていたが、それより先は分かっていなかった。
たまたま、妻義子の兄が長崎市長であることを幸に、長崎今村家の子孫を調査し、今村家の墓の探索を行って、大音寺に墓碑を発見する。
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その碑文の中に、明恒から遡って五世の祖である明生らに関する事跡を見出した。
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さらに、碑文を頼りに明生の父、六世の祖に当たる英生(ひでしげ)が、新井白石の「西洋紀聞」に出てくる、有名な今村源右衛門英成であることを突き止める。
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明恒はさらに長崎今村家の系図もみつけ、自家に伝わる系図と合せて体系化し、「出島蘭館日誌」にて今村家の事跡を調査し、1943年に「蘭学の祖今村英生」として出版する。
このとき、「出島蘭館日誌」を読むためにオランダ語を独学にてマスターしている。
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今村英生は、寛文11年(1671)11月5日に通詞より一段低い家格の内通詞今村市左衛門公能の次男として長崎で生まれた。幼少の時から父親からオランダ語とポルトガル語を学び、少年時代出島のオランダ商館医師に奉公し研鑽を積む。
1690年、20歳でドイツ人医師ケンペルに師事し、鎖国下において日本に関する情報収集という法律違反の手伝いをする。2年に及ぶ奉仕の結果、抜群の語学力と医学・薬学、博物学の知識を獲得する。
この英生の献身によって、ケンペルの名著「日本誌」が後に生まれる。後世に多大な影響を与えたこの本は、日本来航の前にペリーも熟読したことで知られる。
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      日本誌に載った江戸の地図(wikipediaより)
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英生は25歳でオランダ通詞に採用され、たちまち頭角を現し、オランダ貿易の仲介者として中心的役割を果たすようになる。
小通詞を10年、年番、江戸番を三回ずつ経験し、37歳で大通詞、最後は通詞目付にまで昇進した。

新井白石が、布教を目的に屋久島に潜入した司祭シドッチを尋問した際、英生がオランダ通詞として立ち会ったのは、宝永6年(1709)の39歳の時だった。

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