朝ドラ「あさが来た」10月7日放送 お雛様

今回の朝ドラで気になったことは、やはりお雛様
ひな壇の準備をしている場面が出てきたので、ときは桃の節句の3月3日かその前のことになる。
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お雛様を箱から出して、いよいよひな壇の空いている上段にに置くところなのだが、何故か内裏様の右側に置くようだ
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描いている年代は、前回の放送では、慶応元年(1865年)と表示していた。
慶応の元号といえば、元治2年が4月7日に改元し、慶応元年4月7日になるのだが、ドラマではどうも1月1日から慶応としているようだ。
慶応元年は4月7日より始まるので、その意味では慶応元年にひな祭りは無く、元治2年のひな祭りがあるのだが・・・・・。
(ところで、元治2年3月3日は、西暦では1865年3月29日)

ドラマでは、ひな壇を準備しているこの日に、薩摩藩第一次英国留学生の案内役の五代才助より、主人公のあさ宛てに英国発信の封書が届く。

英国への留学生一行は、元治2年1月18日に鹿児島城下を一旦出発したものの、便船の都合により二か月ほどの待機を経て、3月22日(1865年4月16日)に薩摩郡串木野郷羽島村の港からトーマス・グラバーの持ち船のオースタライエン号にて密航で出国した。英国に到着したのは、慶応元年5月28日(1865年6月21日)で、案内役の五代はその年の年末に帰国する。

従って、出港が3月22日であることを踏まえると、五代からの封書は、英国からではなく、国内から出したことになってしまう。

仮に無理にひな祭りに焦点を絞れば、
英国滞在中に出した封書が、五代の年末の帰国後よりも遅れ、翌年の慶応2年ひな祭りの頃に届いたということにすればよいのかもしれない。
ただそうすると、主人公が17歳で嫁入りした年(慶応元年)と合わなくなる。

ま、あくまでもドラマのことなので、目くじらを立てることでもないのだが、
それよりも僕にとって問題なのは、京都今井家(三井家)のひな壇のことだ。

時は幕末の京都。この時代は、英国騎士道の影響はまだ受けていない。
まだ日本中が陰陽の影響を受けている。

陰陽の考えでは、北を背に南を向くと、左側の東は太陽の上る陽、右側の西は太陽の沈む陰となる。
陽は男性で陰は女性であり、
従って、お雛様と内裏様の配置については、北を背にして内裏様は東(左)、お雛様は西(右)にする。
つまり正面から見ると、右に内裏様、左にお雛様の並びでなければならない。
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なにかと話題の多い大河ドラマ「花燃ゆ」でも、昔からの伝統を守って描かれていた
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この配置に移動が起きたのは、
明治期になって皇室で、右手に剣を持って左側の女性を守るという英国騎士道の様式に倣い、お雛様の配置を変えことが原因している( 即位の礼の際に、大正天皇が洋装の西洋スタイルで皇后陛下の右に立たれた事からこの風習が広まったとの説もある)。
正面向かって、内裏様を左にお雛様を右にという皇室の配置が、全国に広まってしまったのだった。
写真は、大正時代に撮影した東京の北三井家の雛飾り
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ただ、明治期以後主流になってしまったのこのお雛様の配置も京都では行われず、今でも京都だけは伝統を引き継いでお雛様の配置を守っているのは素晴らしいことだと思う。


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この記事へのコメント

いた
2015年10月10日 08:40
京都のお寺で男雛を左に置いてる寺あります。なんでも、男雛を御所に向かって置くらしいからとか(その寺は御所より東側)
寸心
2015年10月10日 17:33
ご教示ありがとうございます。なんか珍しいお寺ですね。

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