幕府軍艦・咸臨丸の写真

咸臨丸の写真は、あるとも、ないとも言われているが、明確ではない。
取りあえず調べたことを中間報告としておきたい。

咸臨丸については、文倉平次郎が半生をかけて調査し纏めた名著『幕末軍艦咸臨丸』がある。
文倉は、これが咸臨丸だとして、本編巻頭に絵を載せている。
     <写真1 巻頭の絵>
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この絵について、「第二編 第十三 咸臨丸の艦型論議さる」にて、「幕府軍艦絵巻の中に描かれた咸臨丸を画工が書起して写真にしたもの」と説明している。
従って、文倉は実際の咸臨丸を撮影した写真は出版時点では見ていない。見ていれば、実際の咸臨丸の写真を巻頭に掲載したはずなのである。
また、「第十三 咸臨丸の艦型論議さる」の文章最後で、桑港に咸臨丸記念祭の挙行に際し咸臨丸の写真を寄贈し、また帝国軍艦写真帖を出版した時に初めて咸臨丸の正しき写真が載せられたと、記述する。ここでいう写真とは、上記の、咸臨丸を画工が書起して写真にしたものの謂いである。
ただ、咸臨丸記念祭は昭和11年開催なので、寄贈した写真は上記の写真ではなく、以下の明治44年発刊『日本近代造船史』に掲載の詳細な絵を写真に撮ったものとした可能性も高い。

文倉のいう「幕府軍艦絵巻」は未見だが、『幕末軍艦咸臨丸』の口絵より詳細な絵は、幾つか見ることができる。
『幕末以降帝国軍艦写真と史実』に掲載の絵は、船の全景を描き、絵の中に船首のバウスプリット(斜めマスト)と船尾が各々ちょうど収まっている。
     <写真2 iijima氏のFB投稿より引用>
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『勝海舟 写真秘録』(昭和49年)に掲載の絵は、船首の斜めマストと船尾の日の丸が各々欠けている状態である。
著者小沢健志の説明では、「明治以来伝えられた静穏の海にいこう咸臨丸の加筆写真」とある。
     <写真3  加筆写真>
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「加筆写真」の意味は不明であるが、文倉のいう「幕府軍艦絵巻」から書き起こして写真にしたものの意味かもしれない。

『幕末・明治の日本海軍』(2010年)に掲載の絵は、船の全景以外に、前後に空間的に大分余裕がある。
上記の絵の写真よりは最もオリジナルの絵に近いと思われる。
ところで、 掲載の写真はバックに文字が透かして見えている。例えば第一マストの右の文字は、「 神戸海軍操練所・・・」と読める。

<写真4 『幕末・明治の日本海軍』 、これは、『日本近世造船史』の絵を撮影>
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つまり、『幕末・明治の日本海軍』に掲載するため、明治44年発行の『日本近世造船史』のP64の見開きの左ページの挿画第十六図をそのまま写真撮影したことが分る。1枚めくった次の見開くの左ページの文字がそのまま写真に透かして写っている。
    <写真5 『日本近世造船史』P64と見開きの第十六図>
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  <写真6 『日本近世造船史』P65と見開き、第十六図の位置>
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文倉は、『日本近世造船史』に掲載の咸臨丸の絵について、編集段階で誤って、赤松大三郎から受け取った開陽丸の写真(絵)を咸臨丸としてしまい、2枚の絵を、開陽丸を咸臨丸、咸臨丸を開陽丸に取り違えて、テレコにして『日本近世造船史』に掲載している、と指摘している。
『日本近世造船史』では、咸臨丸の絵について、「此図の原本は、木村芥舟の所蔵に係る」としている。
以下の写真の場合に、「咸臨丸」を「開陽丸」に手書き訂正しているのはそのためである。
このテレコは、、『日本近世造船史』発刊後も疑問視されていたが、文倉などの指摘まで、そのまま間違って引用されていくケースが多くなる。
      <写真7 咸臨丸とされた、開陽丸の絵>
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『日本近世造船史』に掲載された、この咸臨丸と開陽丸の絵は、構図もほぼ同じであることから、同じ画工の手になったものではないかと、考えている。
また、『幕末軍艦咸臨丸』の口絵の絵は、『日本近世造船史』に掲載されたこの咸臨丸と全く同じ構図であり、なぜ文倉が『日本近世造船史』の詳細な絵をそのまま採用しなかったのか、これについては記述がない。

咸臨丸と間違って伝えられ広まった話として、文倉が『幕末軍艦咸臨丸』にて指摘していることではあるが、
昭和元年にサンフランシスコにて「在米日本人発展史料展覧会」が開催された折、「1860年桑港碇泊中の咸臨丸」という題名で満艦飾を施した船の写真が出品されたが、明治20年にサンフランシスコに来た初代筑波艦の写真であることを、本人と複数の証言をもとに確定している。
     <写真8 満艦飾の筑波艦>
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また唯一、咸臨丸と推定できる写真として、『幕末・明治の日本海軍』に記載の、5隻が遠くに浮かぶ「品川沖の榎本艦隊」を映した写真があるが、あまりにも小さく、船の構造からの推定になる。

従って今現在の結論としては、
よく知られた咸臨丸は、『日本近世造船史』に掲載の第十六図の説明では「原図は海軍中将男爵赤松則良の所蔵にかゝる」とあるが、木村芥舟所蔵が出所の「絵」であり、
実際の咸臨丸と確定できる写真は、まだ見つかっていない、ということになる。

参考: 『日本近世造船史』 造船協会編
    『幕末軍艦咸臨丸』 文倉平次郎
    『勝海舟 写真秘録』 尾崎秀雄、小沢健志
    『幕末・明治の日本海軍』 中川務、阿部安雄編集

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