京都法伝寺の東軍戦死者霊名簿

京都法伝寺では、鳥羽伏見で勃発した一連の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵されており、毎年8月には慰霊祭が行われている。
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門前左側には、 「戊辰東軍戦死之碑」の刻まれた巨大な慰霊碑が建っている。
揮毫は空海の書法を究めた名筆家として知られた宮小路康文
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この碑は、京都で初めて東軍慰霊祭が大々的に行われた明治30年の三十回忌の年に建立されている
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ちなみに同じ明治30年には、京都南禅寺・金地院の東照宮の傍らと、旧伏見奉行所跡にも慰霊碑が建立された。
南禅寺金地院の慰霊碑
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伏見奉行所跡の慰霊碑 (撤去されて今はない)
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慶応4年(1868)正月3日に鳥羽伏見で戦いが勃発し、鳥羽伏見の一連の戦いで戦死した東軍士卒の氏名は
①金地院所蔵の「戊辰伏見鳥羽之役 東軍戦死者人名録」
②御香宮所蔵の「戊辰東軍戦死者霊名簿」
③法伝寺所蔵の「霊名簿」
にその大凡を見ることができる。
①金地院所蔵 「戊辰伏見鳥羽之役 東軍戦死者人名録」
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②御香宮所蔵 「戊辰東軍戦死者霊名簿」
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①金地院所蔵と ②御香宮所蔵の霊名簿は、
両書とも幕府側の子孫で組織した京都城南会が作成した名簿で、明治30年の京都での東軍戦死者三十回忌の開催に向け各旧藩が担当し調査整理し纏められ、京都東照宮のある金地院と、伏見の戦場近くの御香宮に奉納された。

この両霊名簿を比べると、
霊名の人数は283名で同じであり、記述順も同一で、「佐藤次郎八」(会津藩の掘隊)、鈴木直人(見廻組か新選組)の二人が重複記載されているのも同じである。
重複を除くと、両霊名簿の記載は実際には281名となる。
ただ、両霊名簿には4名の姓名が各々一文字づつ違いがあり、いずれも書き写し間違いと思われる。
金地院と御香宮に一旦奉納されたが、京都城南会などによってその後も改訂が続けられ、金地院と御香宮とも大正15年1月の完成版を保存しておられる。

ところで、③法伝寺所蔵の「霊名簿」については、
『幕末維新京都史跡辞典』(石田孝喜著)の「171 法伝寺」の項に、
法伝寺所蔵の東軍戦死者の「霊名簿」について調査した川西正隆氏の報告書が引用されている。235名の氏名のみから、所属、戦死の場所を調査した、川西氏の労作である。 
この法伝寺の霊名簿の特徴は、鳥羽伏見の戦い以後の、奥州での戦いの戦死者が97名含まれていること。
石田氏によれば、同姓同名の重複4名を除くと実際は231名であり、内訳は、京都付近以外での戦死者97名、京都付近での戦死者122名、詳細不明12名としている。
京都付近での戦死者とは、鳥羽伏見淀橋本などでの戦死者の謂いである。

③法伝寺の霊名簿に記載の、この「京都付近での戦死者=鳥羽伏見淀などでの戦死者」122名は、
①金地院所蔵と ②御香宮所蔵の両霊名簿の281名の中に、すべて記載がある。

ただ、僕のみるところ、
この③法伝寺の霊名簿と、①金地院所蔵霊名簿(=②御香宮所蔵霊名簿)とをマッチングさせてみると、
石田氏は言及していないが、詳細不明とされている「岡本藤太」は、桑名藩致人隊の「岡本蔵太」と同一人物で重複記載と思われるので実際は230名とみてよいようである。
従って内訳は、京都付近以外での戦死者は97名、京都付近での戦死者122名、詳細不明11名となる。

鳥羽伏見の戦いでの戦死者について、金地院・御香宮の霊名簿との大きな違いは、
法伝寺の霊名簿には、記載した組織に偏りがあり、またその組織内の戦死者数も少ないことである。

違いを以下に記しておく。
数字は、金地院・御香宮の霊名簿から、( )内は法伝寺の霊名簿からで、
幕臣      41名(  3名)
京都見廻組      3名(  3名)
見廻組      30名( 20名)
遊撃隊      4名(  2名)
伏見奉行支配   2名(  0名)
元鉄砲奉行組    3名(  0名)
新撰組      23名(  1名)
陸軍奉行大久保主膳正家臣 3名(0名)
歩兵差図役      9名(  0名)
会津藩      129名( 82名)
桑名藩       12名( 11名)
大垣藩       10名(  0名)
浜田藩        6名(  0名)
岡崎藩        1名(  0名)
小浜藩        1名(  0名)
淀藩        2名(  0名)
高松藩        2名(  0名)
 計      281名(122名) 

ここから明らかなことは、
法伝寺の霊名簿については、京都見廻組、見廻組、遊撃隊、会津藩、桑名藩などの組織はかなりの調査ができてはいるが、それ以外は殆ど把握していないということ。
このことから、法伝寺の霊名簿の成立過程がみえてくる様な気がする。

記載されている霊名は、正月3日から6日の間での戦死がほとんどであり、戦死した場所は鳥羽、伏見、淀、橋本等広範囲にわたっているので、時と場所の点では、金地院・御香宮の霊名簿とそれほど違いはない。
従って、相違の要因は、霊名簿を作成するときに、各旧藩が調査した戦死者資料をすべては採用せずに、主要なものだけを参照したことにあるようである。
そして、たとえば会津藩、桑名藩の霊名が金地院・御香宮の霊名簿と数字が一致しないのは、旧藩が戦死者を調査したある一時期(おそらく明治30年の三十年祭のとき)の調査資料をもとに作成したが、それ以後、金地院御香宮の霊名簿については大正15年まで霊名の見直しをした様には、改訂作業をしていないためではないかと思われる。

法伝寺では、下鳥羽地域の遺族の方々が参列し、毎年お盆前の8月10日までに東軍慰霊祭を行っている。関係者以外の名簿は必要ないのかもしれないが、できれば是非、霊名簿を充実され、法要の際に供えていただければと思う。


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