第22回戊辰役東軍殉難者慰霊祭

またそろそろ東軍慰霊祭の季節がやってきた
今年は楽しみなことがある。
第22回目の慰霊祭は、久しぶりに京都での開催が企画され、10月4日に淀の妙教寺にて行われる。記念講演は『古絵図でたどる鳥羽伏見・淀の激戦』と題し、妙教寺ご住職がなされる。

このお寺は明治40年に京都で挙行された慰霊祭の報告書(「戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書」)を持っておられる。(写真は、京都の区図書館蔵の報告者)
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これは、旧伏見奉行所跡地に建立された「戊辰東軍戦死者之碑」の前において、子爵榎本武揚が臨席し、明治40年4月7日に四十年祭が行われたときの報告書。
この報告書のなかに「戊辰伏見鳥羽淀之役東軍戦死者之碑及埋骨地建標」と題した地図が収められている。この地図は、四十年祭を記念して、明治40年11月までに京都十七日会によって建立された、榎本武揚揮毫の「戊辰之役東軍戦死者之碑」3か所と、埋骨地碑11か所の場所を明示している.。また、地図の中ほど下には、三十年祭の時に伏見奉行所跡地に建立された「戊辰東軍戦死者之碑」も示されている。
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確認はしていないがおそらく、四十年祭に当時の妙教寺ご住職も参列され、また境内に「戊辰之役東軍戦死者之碑」のひとつが建立されたこともあり、報告書をお持ちなのだと思う。

今年6月8日に京都会津会主催の法要が終ったあとに、会津のお酒を抱えて、お寺にお伺いした。
何回か訪ねたことがあり、ご住職とも顔見知りとなってはいるが、これまで境内にある「戊辰之役東軍戦死者之碑」については話題にすることはなかった。
実は明治40年の四十年祭の前に、明治30年に三十年祭が挙行されている。このことを知る人は地元京都の関係するお寺さんでもほとんどおられず、忘れられている。そこで、もしやと思って明治30年当時の三十年祭を報じた新聞コピーと、先年に調査しまとめた資料などをもって、訪ねた次第。

伏見奉行所跡に三十年祭の時に建立された「戊辰東軍戦死者之碑」
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南禅寺金地院(京都東照宮)に三十年祭で建立された「戊辰伏見鳥羽之役 東軍戦死人追悼碑」
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大谷派本願寺門主大谷光瑩の揮毫になる
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金地院の慰霊碑の近くには、明治40年建立の、田邊太一撰文の副碑がある
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副碑の背面に、「戊辰之役東軍戦死者之碑」3か所の場所が刻まれている
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やはり、代が何回か替わっているため、「戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書」から出発し、そこから慰霊祭が始まっていると思われておられ、それ以前の慰霊祭について初めて耳にするとの事だった。
今度の講演の中で、京都で最初に挙行された明治三十年の慰霊祭に触れられれば、かって東軍慰霊祭を始められた先人達もさぞかし喜ばれることと思う。


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この記事へのコメント

としぼー
2014年10月01日 18:01
上田の三吉治敬さん等が監修した坂本龍馬の手紙の本が出版されるみたいです。新聞広告にのっていました。それについてコメントを。昨日京都の二年坂にいきました。三年坂のお寺に小生の恩師の墓がおるのでお参りし、龍馬のお墓までいこうとしましたが、よめはんがしんどいといっていかずです。また、

中山義弘



中山敏弘

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