京都における東軍慰霊碑の変遷

戊辰戦争は慶応4年1月に鳥羽・伏見に於いて勃発した。
その京都には東西両軍の慰霊碑・記念碑があるが、東軍側の慰霊碑と戦死者埋骨碑は明治30年から40年にかけて建立された。
京都守護職の本陣が最初に置かれた京都黒谷の会津墓地にも、明治40年に會津藩士の慰霊碑 「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」が建立されたが、今回東軍全体としての慰霊碑と埋骨地碑の建立の経緯を調べてみた。


①「渋沢栄一伝記資料 第28巻」の「第八章 其他ノ公共事業」、「戊辰東軍戦死者追悼碑」には、京都有志より地方人士の義捐金を募り、東軍戦死者追悼碑を京都東照宮傍らに建立したいとの発議があったことが記されている。
金地院所蔵の「戊辰伏見鳥羽之役 東軍戦死者人名録」の後記 (御香宮の「戊辰東軍戦死者霊名簿」の後記も同じ)には、「此霊名簿ハ明治二十四年六月以後伏見桃山麓記念碑計画ニ付調整す」とあり、東軍慰霊碑の計画は、明治24年6月頃に発議されたらしいことが分かる。

②京都有志とは、おそらく、家康の亡くなった日にちなむ京都十七日会、鳥羽伏見淀などで戦死した遺族でつくる京都城南会のメンバーが中心であろうが、慰霊碑建立の提案を受けて、戊辰東軍戦死者追悼碑建設準備の為に発起人を募り、東京の静岡育英会事務所内に碑建立の事務局が設置されたらしい(「渋沢栄一伝記資料」)。

③そして、この頃に鳥羽伏見淀などにおける東軍戦死者の人名調査が具体的に始まったらしい。

④明治29年1月になって、戊辰戦死者追悼碑建設の募金の為、趣意書が作成される。 但し元々の提案にあった建碑の場所は京都東照宮傍らであったが、趣意書に添えられた附言には、戦場でない洛東よりも鳥羽伏見淀の史跡の場所が適当とある。
そして、この趣意書が作成された時には、初期の戦死者人名が趣意書の別紙として纏められている。 (「渋沢栄一伝記資料」)

⑤計画では明治30年の、戦いが勃発した1月3日を以て碑の竣工式と三十年祭を執り行う予定であったが、英照皇太后の具合が悪く1月11日に崩御され、国喪に際したため、榎本武揚の発意で百日後まで延期される。  (日出新聞明治30年5月4日)

⑥明治30年2月に、金地院内東照宮傍らに「戊辰伏見鳥羽之役東軍戦死人追悼碑」が建立される。大谷派本願寺門主大谷光瑩が揮毫している。
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同じころ、 旧伏見奉行所跡地(工兵第十六大隊兵営の東方)に「戊辰東軍戦死者之碑」が建立される(「伏見町誌」)。碑の上には徳川の馬印(金扇)が見える。こちらは、子爵榎本武揚の揮毫になる。
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 (なお、下鳥羽法伝院にも、同年1月に「戊辰東軍戦死之碑」が建立されているが、同じ時期に建立しているので2碑との関係がないか現在調査中)

⑦明治30年5月8日に、金地院にて三十年祭が挙行される。
日出新聞 明治30年5月4日二面の「●戊辰東軍三十年祭」の項に、南禅寺金地院東照宮廟畔に追悼碑また伏見観月橋北に記念碑を竣工したので、5月8日に金地院にて法会を営み、9日に伏見にて記念祭を営む予定、記念祭には発起人総代として赤松海軍中将、榎本子爵臨席の予定とある。

⑧明治30年5月9日に、旧伏見奉行所跡地の「戊辰東軍戦死者之碑」前にて竣工式と記念祭が行われる。
日出新聞 明治30年5月11日一面の「●建碑竣工式」の項に、5月9日の記念祭の報道記事が載っている。式典の様子が詳しく紹介され、発起人総代として榎本子爵による祭文朗読とその祭文全文が記載されている。
この時までに戦死者人名簿が一応作成され、名簿の最初には榎本武揚の祭文が収められて、この人名簿は金地院と御香宮に夫々奉納される。なお、戦死者人名はモレが多いので、旧藩ごとに責任者を割り当て大正15年まで見直しが続く。
            御香宮の戦死者名簿
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            金地院の戦死者名簿
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⑨明治31年7月に、副碑(文は田邊太一)が旧伏見奉行所跡地(工兵第十六大隊内)に建立さる。(「伏見町誌」)
 工兵第十六大隊東方に建立された「戊辰東軍戦死者之碑」とは離れて設置されたらしい。 
 また、この時おそらく、金地院にも、ほぼ田邊太一同文の副碑が建立されたはず。 

⑩明治35年に、旧伏見奉行所跡地の「戊辰東軍戦死者之碑」前にて三十五年祭が行われる。

⑪明治40年4月7日、旧伏見奉行所跡地の「戊辰東軍戦死者之碑」の前にて、四十年祭が行われる。
 子爵榎本武揚が臨席している。(「戊辰東軍戦死者四十年祭祭典及墓標建設報告書」)

⑫そして明治40年11月までに、京都十七日会により、四十年祭を記念し、榎本武揚揮毫の「戊辰之役東軍戦死者之碑」と埋骨地碑が建立されていく。
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なお、「戊辰東軍戦死者四十年祭祭典及墓標建設報告書」に納められている「戊辰伏見鳥羽淀之役東軍戦死者之碑及埋骨地建標」の地図に、明治40年に建立された「戊辰之役東軍戦死者之碑」3か所と埋骨地碑11か所の設置場所が記されている。
また地図の真ん中下側には、明治30年に伏見奉行所跡地に建立された「戊辰東軍戦死者之碑」の場所が明記されている。
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⑬このとき、金地院内東照宮傍らにあった副碑が置き換えられ、榎本武揚揮毫の「戊辰之役東軍戦死者之碑」の在り場所三か所が背面に刻まれた副碑(文は田邊太一)が建立される。
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⑭昭和36年頃、国道24号線の拡張工事の為、旧伏見奉行所跡地の「戊辰東軍戦死者之碑」と副碑は撤去される。碑上の徳川の馬印 (金扇)は、金地院に移る。
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碑の石は石屋に売却され、「戊辰東軍戦死者之碑」の文字を彫った銅表は現在行方が分かっておらず、追跡しているところだがとうに鋳つぶされているような気もする。
なお、国道拡張の範囲にあるとして早くに碑は撤去されたが、碑のあった敷地は工事をしてみると結果的には道路拡張にわずかにひっからない場所だったという.。
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いずれにしろ、平成30年(2018)は戊辰戦争150年になる。過去の慰霊祭を踏まえ、戦争が勃発した京都にて東軍慰霊祭を大々的に挙行したいもの。


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