河井継之助の歩いた道3

今日は、河井継之助が、安政6年(1859)7月10日に生瀬宿から有馬の湯まで歩いた道を辿ってきた
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コースは以下の通り。
生瀬-->一本松-->座頭谷-->蓬莱峡-->船坂-->白水峡-->有馬
生瀬から船坂まではほぼ一本調子の登り坂で、約6.5km、
船坂から有馬まではアップダウンと平坦な道が交互に続き、約2.5km。
生瀬を11時に出発し、途中寄り道して、有馬の奥の坊に13時半に到着した。

生瀬の出発前に、宿場町の風景を取り戻す運動の一環で改修している家を確認しておいた。
伊丹から生瀬まで歩いた二週間前と比べると、屋根の工事に取り掛かっているところだった。
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かって生瀬宿で活況だった通りを抜け
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宿はずれにできたJR生瀬駅を過ぎる。この駅は近くに僕が住んでいた30年ほど前は無人駅だったが
今は立派な駅舎になり駅員が3人いる。
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ついでに生瀬の隣の住宅地にある、昔5年半ほど住んでいた家を眺めてきた。
上から見ると正四角形の家で、住宅地の外れにあり武庫川の流れに面しているため、二辺全体に床から天井まで大きなガラスを嵌め込んだ見晴らしの良い家だったが、今の住人はそのガラスをはめ込んだ一辺に隣接して増築し、見晴らしが台無しになっている。ま、住む人のライフワークと考え方なのだが・・・
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道を戻り、有馬への道を行く。
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蓬莱峡にさしかかる手前にある、砕石場の建物
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その近くにいた野兎
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蓬莱峡にある座頭谷
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蓬莱峡の景色
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振り返ると、登ってきた生瀬、宝塚方面がかすんでみえる
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船坂では、船坂山王神社にお参りした
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境内にあった愛嬌のあるカッパの像
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白水峡を横に見てしばらく進むと
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時々食事に来る店の前を通る
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有馬に着くと、最初は秀吉にちなんだ太閤の湯が目に入る
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しばらく進むと、継之助が宿泊し、何回も湯に入ったと日記に記している奥の坊に到着
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奥の坊は、日帰り客の入浴は15時からとのことで、
ま、同じ有馬の湯だからよしとして、近くの「金の湯」で入浴する。
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この近くに、「茶人太閤像」が鎮座していた
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そしてここにも何故かクリスマスの雰囲気を漂わすカッパの姿が
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帰りも生瀬・宝塚まで歩く予定だったが、残念ながら雨が降る予想だったのであきらめ、
時間の都合で電車で帰宅した。
奥の坊では確認するのを失念したことがあるので、また近々立ち寄ろうと思っている。


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