赤松小三郎の墓石(再)

昨日、調べものに大阪府立中央図書館へ行ってきた。
府立図書館は、中之島図書館と中央図書館に分かれているが、幕末関係の史料は両方に分散されている。小生の住む宝塚から東大阪の中央図書館は遠いため、調査のテーマを貯めておき、行くときは複数の調査を一度にすることにしている。

金戒光明寺の、墓標のない現在のお墓
画像

                       
今回はたまたま鹿児島県史料に目を通したため、ついでに赤松小三郎の関係をみると、忠義公史料第四巻に3つの資料が入っている。


「426 雇教師赤松小三郎建言 松平慶永宛」
有名な龍馬の所謂船中八策よりも早い、慶応3年5月付の議会制度の
提言
資料の内容は省略する


「512 赤松小三郎暗殺セラル」
「赤松何某トテ、本信州浪人ニテ、砲術ニ達セシモノニ
 テ、此方ヨリ段々門人モ多ク、有名ノモノニ候処、是
 ハ幕府ヨリ間者之聞ヘ有之、中将公御出立前夜打果候
 ヨシ、」


「369 赤松小三郎横死ニ就テ本藩受教者碑文」
「先生、姓源、諱某、赤松氏称小三郎、信濃上田人也、
 年甫十八、慨然志於西洋之学、受業同国佐久間修
 理及幕府人勝麟太郞、東自江戸西至長崎遊、方
 有年、多所発明、後益察時勢之緩急、専務英
 学、於其銃隊之法也尤精、嘗訳英国歩兵練法、
 以公于世、会我邦兵法採用式旦夕講習及、聘致先
 生於京邸、所其書更使校之原本、而肆業焉、
 今歳之春、
 中将公在京師也、召是賜物、先生感喜益尽精力、
 而重訂書成十巻、上之 公深嘉称、速命刻〇、    
 将少有用於天下国家也、蓋先生平素之功、於是乎
 為不朽、可不謂懿哉、不幸終遭緑林之害、而
 死年三十有七、実慶應三年丁卯秋九月三日也、受業
 門人驚慟之余、胥議而建墓於洛、東黒谷之塋、且
 記其梗概、以表追哀意云尓、
            薩摩
             受業門生謹識」

注:「刻〇」は版木に刻んで刷るの謂いだが、相当する漢字を見つけられなかった。 


鹿児島県史料には、薩摩藩だけでなく他藩の史料も収集されてはいるが、最後の2つの史料は、文章内容から薩摩藩の史料と分かる。

「512 赤松小三郎暗殺セラル」については、
この史料の日付と出典を明記していないが、日付は、前後の史料年月日からみると慶応3年10月の頃と判定しているようだ。
これを聞いてメモした者は薩摩藩士であるらしく、この時の討ち果たしの実行者が薩摩藩士であることを知っている。半次郎の「京在日記」では散策中に偶然に見つけて討ち果たしたと書いてあるが、「中将公御出立前夜打果候ヨシ」からは何となく計画的なにおいもする。


「369 赤松小三郎横死ニ就テ本藩受教者碑文」については、
同じく出典を明記していないが、史料の日付は、前後の史料の日付から、慶応4年正月と判定している。
本文は、文章の区切りと返り点が付いていて、読者の理解を容易にはしているが、碑文とは文字が異なる部分と文字脱落とが、最低3か所はある。文書の区切りにある誤りも含めて史料作成時のイージーミスなのかもしれない。
印刷された書物にはありがちなミスだが、このことは、一次史料である実物の碑文を見ずに二次史料だけで物事を論ずることの怖さを示している、一つの例といえる。


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