武市半平太寓居跡

昨日、大阪龍馬会主催の墓前祭に出かけてきた。
今年の11/15の龍馬の命日は土日から外れているため、、料亭ツアーと史跡巡りを組み込んだイベントは日曜の11/13に設定された。

史跡めぐりで回ったコースは以下の通り。
八坂神社--> 霊山護国神社(龍馬・慎太郎・藤吉墓参)--> 霊明神社(講演と参拝)-->幕末志士達の葬送の道-->料亭「金茶寮」(食事)-->池田屋事変殉難志士墓所跡-->龍馬お龍「結婚式場」跡-->土佐志士寓居跡(大仏アジト)

今回の目玉は、昼食を摂った料亭「金茶寮」。
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ここは、幕末、木屋町三条上ル東側にあった旅籠丹虎跡で、武市半平太が離れ座敷に仮住まいした。
四国屋とも呼ばれていた。
池田屋事件の際は、土方歳三率いる別働隊が踏み込んだといわれるが、今では疑問視されている。
但し、ここから池田屋とは100mほども離れていない。

龍馬会のイベント墓前祭は龍馬・慎太郎・藤吉の墓参りがメインではあるが、やはりめったにいけない丹虎跡での食事とあって、参加者は37名と多い。
「金茶寮」は日曜は営業しないが、特別に開けていただいた。

武市半平太は、土佐勤王党を組織し藩論を尊王攘夷へ傾けることに成功すると、文久2年(1862)閏8月1日に山内容堂に従って上洛した、その折に、丹虎を住居とする。
三条実美の随行員として江戸に同行した10月から12月までの期間を除くと、文久3年4月帰国するまでの約半年間滞在することになる。
その間、応接役として各藩の尊王派の志士達と交わり、あるいは岡田以蔵に暗殺を命じたともいわれる活動拠点でもあった。

入り口から京都特有の細い路地を通り、玄関に向かう。
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玄関を開けると、小さな中庭が目に入る。
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食事は2階の大広間でいただいた。鴨川に面しており、部屋から東山のすばらしい景色が見える。
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食事のあと、武市が住んでいた部屋を見せていただいた。部屋は改築されているが、
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床柱と床板は武市が使っていた当時のままで、床柱は南天、床板はもみじを使っている。
共に今ではなかなかこれだけの木は手に入らない。
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今回のイベントでは、新たな収穫もあった。
金茶寮での食事の前に、霊明神社に参拝し、霊明神社と霊山との関係について村上神主の説明を拝聴したが、その際に明治期に京都演武場で剣術を教えていたある人物について、重要な御教示をいただいた。
これからじっくりと調べてみたいと思っている。
いつもありがとうございます。


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この記事へのコメント

あこ
2011年11月15日 08:21
金茶寮の歴史、目の当たりにしました。武市半平太の一生も悔やまれますね。やはり、京都の歴史に爆撃を受けなくて良かった、本当に感謝です。
寸心
2011年11月16日 20:21
京都は過去に何度も大火にあっていますが、いずれにしろ爆撃を免れ京都の文化遺産が残ったのはよかったですね。
記事で肝心なことを書き忘れていました。金茶寮の食事ですが、京都らしい会席でした。関西各地のの旬の味を取り入れた季節に敏感な京料理です。

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