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zoom RSS 下関長府訪問 2日目

<<   作成日時 : 2011/10/26 00:21   >>

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本日は、
長府功山寺にて、三吉家の墓地に参ったあと五卿潜居の間でご住職の話を拝聴し、
長府博物館に隣接の万骨塔で行われる霊石除幕式と平和祈念祭に臨んだ。
式典のあと直会に参加してから市内の史跡を巡り、晩は長府の友人と一献酌み交わした。
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                 山川健次郎霊石の前にて、山川健次郎子孫と二人の三吉慎蔵子孫



式典が始まる前に、まず、功山寺の三吉墓地に参る。
右から、慎蔵妻イヨ、慎蔵、次女友子
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墓石とそこに刻まれた文字は、実は様々な情報を教えてくれる。
たとえば、慎蔵の次女友子の墓石を例にとると、
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慎蔵が病死した時に、三吉家は旧藩主長府毛利家から毛利家墓所横に墓地を賜り、慎蔵はここに埋葬された。
したがって、父慎蔵より1年4か月前に亡くなった次女友子の墓石は、「妙法」の文字から菩提寺である日蓮宗の法華寺からその時に慎蔵の墓の横に改葬されたと分かる。
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友子の夫の名前が「三吉」であることから、友子は分家し婿を迎えたこと、また、わざわざ「初代」と刻んでいるので友子が亡くなった時、慎蔵や玉樹は分家が継続するとみていると想像できる。
余談だが、小生の曽祖父の三吉玉樹は、その婿入り話を持ってきた桂弥一と兄弟の義を交わしており、弥一は乃木希典と幼馴染で、後に、本日の式典発祥の長門尊攘堂と万骨塔を建造する。



功山寺の歴史について、有福孝岳住職から簡単に創建から今日までの変遷と逸話を拝聴した。
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創建は古く鎌倉時代末期の1327年で、長福寺と号したのが始まり。
幕末では、三条実美始め五卿の滞在と高杉晋作の挙兵が名高い。
五卿の功山寺への移動について家老職の三吉周亮の決断が大なることを縷々説明頂いた。
功山寺での高杉晋作の挙兵が成功したため、維新への回天はこの功山寺から始まるとも言われる。

潜居の間には、功山寺所有の三吉慎蔵あての龍馬の書簡のコピーが展示されていた。
       五卿の居た居間
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       慎蔵あての龍馬の書簡
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いろは丸事件に際して、何かあった場合にお龍の後事を慎蔵に託した龍馬の遺書といわれる書簡。
なぜこの慎蔵宛の書簡が功山寺の所有になったのか、その謂れはつい聞き忘れてしまった。 



10時に、万骨塔にて山川健次郎霊石の除幕式が執り行われた。
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除幕は、向かって左に長府博物館友の会会長金田満男氏、白虎隊の会下関支部長吉井克也氏始め地元下関の方々、
右に飯沼貞吉子孫の飯沼一元氏、山川健次郎子孫の木下健氏、霊石を用意された佐藤一男氏・石田明夫氏、山川健次郎顕彰会柏木隆之助氏など会津関係者の方々で、行われた。
山川健次郎霊石が安置された場所は白虎隊士19人の霊石のほぼ真上にあたり、長州の地で、白虎隊士が再会したことになる。健次郎も自刃した白虎隊士も再会をさぞや喜んでいることだろう。
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長府の万骨塔については、その存在、ましてや万骨塔の目的とするところは、世間にあまり知られていない。
同じ山口の萩ですらその存在自体を知る人は少ない。
長府の桂弥一は、親友の品川弥二郎の遺志を継ぎ、昭和8年10月20日、長門尊攘堂を竣工開館し、同時に隣接して万骨塔も建造した。
万骨塔は、幕末から明治にかけて活躍した全国の先人を、東軍西軍分け隔てなく慰霊するために造られた。
いわゆる賊軍を祀ろうとしない靖国神社と違い、立場は違えど国のために尽くした先人は等しく祀りたい、との桂弥一の人間の大きさが見て取れる場所である。

今回、山川健次郎の霊石が安置されたのには、理由がある。
昨年、萩藩士の楢崎頼三に命を救われ養育されたと言い伝えられる白虎隊士飯沼貞吉の孫、飯沼一元氏が、長州・会津友好の旅の一環として長府を訪れた。
その際、万骨塔の存在を知り、飯沼貞吉の霊石を安置したいとの希望を述べられた。
しかし白虎隊士19人の霊石がすでに安置され、そこに飯沼貞吉の名が刻まれていることが判明した。
依頼を受けた博物館友の会では、会長金田満男氏始め理事の方々の協議の結果、飯沼貞吉のいとこの山川健次郎は、長府藩士の乃木希典を尊敬し、少年期には萩藩士の奥平謙輔に養育されるなど長州との関わりが深いことなどから候補とし、今回の霊石安置の実現を見た。

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霊石には、「会津白虎隊士 山川健次郎霊位」と刻み、白虎隊の会の印がある。
会津松平家墓石と同じ会津磐梯山石を用い、刻印文字は山川健次郎直筆の書簡から写している。


序幕式のあと、毎年行われる平和祈念祭が執り行われた。
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博物館友の会会長金田満男氏による山川健次郎の事績の紹介があり、来賓の挨拶、山川健次郎子孫・木下健氏、飯沼貞吉子孫・飯沼一元氏の挨拶が続く。

金田会長の挨拶の場面。ご高齢でありながら健次郎の事績を詳細に正確にメモなしで話された。
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木下健氏の霊石安置に対するお礼の挨拶
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飯沼一元氏の霊石安置の意味について
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式典が終了し、最後に関係者の記念撮影を行った。
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直会のあとは、いくつかの菩提寺に参った。
晩は、2001年に長府博物館で「三吉慎蔵と坂本龍馬」展が開催されたときに一度会っただけなので10年振りになる、長府の知り合いの方と酒を飲み交わした。
お互いの情報交換。霊石安置に至る経緯等、話が尽きず、時の経つのも忘れるぐらい有意義なひと時を過ごさせていただいた。
ありがとうございます。

翌日の山口新聞の記事
http://www.minato-yamaguchi.co.jp/yama/news/digest/2011/1021/6p.html
白虎隊の会下関支部の会報
http://byakko1868.web.fc2.com/album04.html

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
寸心さん、お疲れ様でございました。
幕末散歩の記述、ありがとうございました。
あこ
2011/10/26 08:22

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