会津と長州の出会い

一昨日、京都で講演会を拝聴した。
京都府庁旧本館を活用するため数年前より旧本館を会場とした講座が何回か企画されてきたが、今回は「幕末秘話 会津、長州、土佐」と銘打っての3回連続講座。
今回の1回目の会津編は、「生き残り白虎隊士の孫が語る”逆境の克服”」と題し、白虎隊事務局長 飯沼一元氏の講演。
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会場は元々は80人を定員としていたが、希望者が多く、椅子を増やして100名で打ち切ったほど、盛況であった。
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2回目の長州編は、「幕末殉難志士を弔祭した霊明神社」 洛東霊明神社八世神主 村上繁樹氏
3回目の土佐編は、「龍馬と酢屋」 京都酢屋十代目 中川敦子氏
が予定されている。

飯沼氏は、
会津藩は戊辰戦争で敗北し、厳寒不毛の斗南に集団流罪となりすべてを失った。この逆境を乗り越えて立ち直り明治時代に活躍した会津人は少なくない。その中で、飯盛山で集団自決した白虎隊士で唯一生き残った飯沼貞吉も、生き恥を晒すことに堪え、逆境を克服していく。その過程には何があったのか、これまで調査研究した結果を分かり易くまとめられた。

講演全体のシナリオは以下の通り。
1.はじめに (時代背景と飯沼家)
2.白虎隊の出陣と敗戦後の会津藩
3.自刃後の貞吉の足取りと長州滞在説
4.貞雄 貞吉改め)と京都
5.貞雄(貞吉改め)と故郷会津
6.おわりに (白虎隊の会と 海の会)
貞吉は会津降伏後、東京に護送されるが、責任者であった長州藩士楢崎頼三により更に長州美祢へ連れて行かれる。その地で養育されまた勉学の機会を与えられて、当時最新技術であった電信技術を学び、電信技術者として大成していく。
 貞吉の恩人楢崎頼三  フランス留学中の写真(一部拡大)
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飯沼氏の話を拝聴するのは3回目だと思うが、毎回新らたな内容が追加され充実していく。今回は、楢崎家系図、貞吉を援助した楢崎家の人々と貞吉との関わり、貞吉の京都来訪時のこと、飯盛山にある貞吉の詩碑とその謂れなど、新たな調査内容と解釈・推論が披露された。

この講演会で非常に驚いたのは、楢崎頼三の曾孫に当たる方の突然の登場だった。
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飯沼氏の京都講演を知った曾孫の方が東京から会場に駆け付けて来た。飯沼氏とは初見の方で、講演後、会場で劇的な対面があった。
しかも、別途設けられた記者会見の席で長州養育説を裏付ける関係者ならではの初めて耳にする重要な話をされた。この話は、長州において楢崎頼三が貞吉を養育したという決定打にもなるため、今後の慎重な検証を待つことになる。事実の解明を期待したい。
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講演の最後に、東日本大震災の被害にあった子弟の学業を支援し、復興ビジョンを企画推進する活動、「海の会」の発足の報告と実際に支援する若者の紹介があった。
「海の会」の目的は、
幕末明治期や戦後の混乱期に、使命感を帯びた若者達が中心となって、次の新しい時代を切り開いてきた。今、日本はこれらに匹敵する国難に直面している。この危機に情熱をもって立ち向かう東北の若者達を発掘し、支援し、復興への道筋を構築することにある、としている。
http://www.uminokai.jp/index.html
主旨に賛同の方には、是非「海の会」の支援にご協力をお願いします。


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