貴重な写真

先週、小生には貴重な幕末明治の頃の写真を7葉、譲り受けた。

1)彰義隊に参加した幕臣(A)の写真一葉
2)Aの妻(B)の弟たちとその家族の集合写真一葉
3)Bの弟の写真一葉
4)Bの姪とその夫の写真一葉
5)A・Bの孫(C)とその母の写真二葉

また、
6)長府藩士の妻と孫(D)、妻の親類の集合写真一葉

上記の写真は、戦後、小生の祖父母である(C)と(D)夫婦の一家が住んでいた家が近所の火事で類焼し、その焼跡の中から探し集めた写真で、写真を納めていた駕籠の中に僅かに焼け残った写真である。
中には、2)や6)などの集合写真は、一部が焼け焦げていて何人かの人物は特定が難しいものもある。
火事の前、駕籠に一杯あった写真の中には、坂本龍馬と長府藩士とのツーショット写真もあったという。
祖父母が大切に保存してきた写真だったが、残念ながら、焼け跡から取り出せたのは上記の7葉の写真だけで、多くの貴重な写真が失われてしまった。どんな写真があったのか知る人もだんだん少なくなってきた。

画像

これは4)の写真で、写っている二人は久能山東照宮宮司を務めた男性と、その妻で本郷小町と評された女性である。男性の父は京都守護職を務め、女性の父は幕臣で晩年は最後の将軍の静岡時代にその謡の相手などをしていた。

その他の写真については、講演会など別の機会での紹介に譲りたい思っている。


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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

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この記事へのコメント

森重和雄
2011年02月01日 04:40
ぜひ松戸市戸定歴史館の斎藤洋一先生の方へ連絡して、できれば寄贈してくださいませ。
寸心
2011年02月01日 12:12
森重さん、こちらでは初めまして
アドバイス有難うございます。いずれどこかに寄贈したいと思っています。
まだ完全には人物判定ができていない写真もありますが、近々終える心算でいます。河島とし・小杉直吉・小杉雅之進之の兄弟姉妹、細谷十太夫の三男辰三、三吉慎蔵の妻の親戚、慎蔵が晩年住んでいた家の土塀など、小生にはどこか懐かしい感じの写真です。
ゴンちゃん
2011年02月04日 10:29
三吉家サイトでこのブログ偶然見つけました。
平成9年の記事、「乃木家と三吉家・・」中の事で乃木大将の家族構成で弟がいた事はご存知でしょうか。
 長府藩士 子孫より
寸心
2011年02月04日 13:49
ゴンちゃんさん、初めまして
ご存じのように、希典には兄に源太郎と次郎、弟に真人と集作がいます。真人は慶応2年8月12日に玉木文之進と養子縁組し正誼と改名し玉木姓となり、集作は明治39年に9月18日に大舘甚五左衛門と養子縁組し大舘姓となっています。
玉木文之進の養子になった経緯などは以下の通りです。
乃木家と玉木家とは、江戸初期の頃、長府乃木家の伝庵の子春政が分家し改名して萩で玉木家をおこした関係にあります。文之進の息子彦助が高杉晋作に従って藩軍と戦い慶応元年に戦死。翌年親族の乃木家から希典の弟正誼を養子として迎えました。
しかし正誼は明治9年萩の乱で戦死(この時、希典は官軍。正誼は賊軍)。文之進は前原一誠なぢ師弟が参戦した萩の乱の責任を取り、明治9年11月6日に玉木家の墓前で自刃してしまいます。
集作が大舘家に養子になった詳細は承知しておりません。
森重和雄
2011年03月29日 01:34
(4)の写真は、静岡県の写真師・徳田幸吉撮影の写真というのがいいですね。
寸心
2011年03月30日 11:14
さすが良く分かりましたね。
健雄は久能山東照宮宮司は明治29年1月から33年9月まで勤めていましたので
慶喜が孝吉から写真技術を学び盛んに写真を撮っていた頃、孝吉がスタジオで撮影した写真です。
なお、慶喜は東京へ帰る年明治30年11月13日に久能山に参拝し昼飯を食べていますので、健雄にそこで会っているはずです。また前の月10月24日には小杉直吉を呼び、記念写真を撮っています。写真は見ていませんので、撮影者は慶喜か孝吉かは分かりませんが・・・
森重和雄
2011年05月04日 23:18
故・前田匡一郎先生の『慶喜邸を訪れた人々』を見てみると小杉直吉がよくでてきますね。
慶喜公に能楽を指導していたんですね。
お墓は静岡の蓮永寺にあるんですね。
同書にお墓の写真も掲載されていました。
寸心
2011年05月05日 22:18
ご紹介の本では、明治30年に初めて小杉直吉が出てきますが、もっと前からの知り合いです。
よくご存じの弟の雅之進は、鳥羽伏見の戦いの後、慶喜・容保が開陽丸で江戸へ帰る時に機関長をしていましたが、この時の信頼関係から、直吉の三女すえが容保の次男健雄に入嫁します。
前田氏の本には、健雄も良く出てきますね。初出は、明治29年2月5日に宮司に就任した時ですが、最後は明治30年11月13日に慶喜が久能山を参拝したお礼に15日に暇乞いに来邸の記録があります。
森重和雄
2011年05月09日 22:49
小杉雅之進といえばずいぶん前に、合田一道 編著、小杉伸一 監修『小杉雅之進が描いた箱館戦争』(北海道出版企画センター、2005年)を読んだことを思い出しました。
寸心
2011年05月11日 12:15
一昨年9月に同じ主人公をテーマにした本「咸臨丸還る 蒸気方小杉雅之進」を読み、疑問点を解消するため小杉伸一氏に連絡を取り、ご紹介の本を持って氏と咸臨丸の沈んだ北海道木古内で会い、そのあと木古内・江差・松前・函館を巡ったことがあります。
http://hananomichi.at.webry.info/200909/article_1.html
従ってご紹介の本は私には記念すべき一冊になっています。
雅之進は、慶応元年横浜で撮影した武士の姿と、晩年の写真が掲載してありましたが、面長の顔が印象的ですね。
森重和雄
2011年09月29日 07:00
あるいは日本カメラ博物館の谷野先生の方へご寄贈くださいませ。
よろしくお願い申しあげます。
寸心
2011年09月30日 23:48
関係のある遠縁にあたる方々に、1年に1回ある何とかの会などで、見ていただいています。一巡したら連絡を取ろうと思います。

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