会津紀行その2

7/3  3日目 
12時に待ち合わせ予定があるため、それまで以下の史跡めぐりをした。
ホテル近辺から天寧寺までと、武家屋敷から飯盛山までは時間の都合でやむを得ずバスを利用した。

天寧寺(萱野権兵衛・郡長正墓、近藤勇墓)→ 武家屋敷(西郷邸、佐々木只三郎墓)→ 飯盛山 → 滝沢本陣 → 妙国寺

・天寧寺の萱野権兵衛と次男郡長正の墓は、何折れかの坂を登った山の中腹にある。昨日の雨でぬかるんでいる坂道を慎重に登った。坂道は石などで整備されておらず、斜面は雨が降ると極めて滑り易い。
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・近藤勇の墓は、土方歳三によって建墓されたと語り伝えられている首塚。戒名は容保の筆との説あり。写真内の右の木碑は土方歳三の慰霊碑。墓と慰霊碑はちょうど見ごろの紫陽花に囲まれた山の中腹にある。途中の坂道は雨でもぬかるむことはなかった。
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・武家屋敷の奥にある佐々木只三郎の墓は、かなり傷んでいる。紀州紀三井寺よりこの地に運んだ時には既に傷みが進んでいたらしい。
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・飯盛山
飯盛山には昨日初めて行ったが驚いた。これほど観光化されているとは思ってもみなかった。飯盛山登り口にはエスカレータまでありしかも有料だ。昔の別の登り口の方が白虎隊には相応しいのではないだろうか。今の参道と登り口は、佐藤一男氏によれば、ローマ市の寄贈塔建造に合わせ造られたという。
飯盛山は上に古墳がある。山の持ち主は飯盛家で、本家と分家があり、山麓の家が本家らしい。おそらく昔の飯盛山の姿の絵図・写真などを持っているのではないだろうか?明治時代の白虎隊19士の墓が造られた当時の山の姿が見てみたいものだ。

白虎隊士の通った戸の口堰洞穴
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白虎隊士自刃の地といわれる場所
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白虎隊士の墓、19墓はイロハ順に並ぶ
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唯一蘇生した飯沼貞吉の墓
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白虎隊と共に戦った郡上藩凌霜隊の碑
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その他、飯盛山には以下の様々な墓や慰霊碑、顕彰碑があった。中でも松平健雄掲題の頌徳碑は珍しい。
●士中一番・寄合一番・二番・足軽隊戦死者墓
●思い出の碑
●少年武士慰霊碑
●会津藩殉難烈婦の碑(山川健次郎などの建碑)
●松平容保弔歌の碑(八田宗吉などの建碑) 
 幾人の涙は石にそそぐともその名は世々に朽じとぞ思う 容保
●白虎隊碑 松平容保掲題
●白虎隊詩 漢詩は会津藩士佐原盛純作、歌謡詩は詩人 島田声也作
●ローマ市寄贈の碑
●フォン・エッツ・ドルフ氏寄贈の碑
●白虎隊殉難詩 馬島瑞園 
(附 千代までとそだてし親のこころさへ 推しはかられてぬるる袖かな 容保)
●顕彰碑 松平容大掲題 
●記念碑 松平勇雄掲題
●顕彰碑 松平容大掲題
代表して、 白虎隊とは関係ないが、珍しいので松平健雄掲題の頌徳碑を揚げておく
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・滝沢本陣  滝沢街道を出陣する白虎隊を容保が見送った場所。
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・妙国寺  自刃した白虎隊士の仮埋骨地。また会津戦争後、容保が謹慎した場所としても知られる。
  白虎隊士の慰霊碑                      
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 仮埋骨や容保謹慎などを記した記念塔
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この妙国寺より、12時待ち合わせ場所の会津若松駅まで徒歩で向かう。


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