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zoom RSS テーマ「戊辰戦争」のブログ記事

みんなの「戊辰戦争」ブログ

タイトル 日 時
白虎隊剣舞の詩歌
白虎隊剣舞の詩歌 白虎隊墓前祭では、春と秋の年2回、会津高等学校の剣舞委員会により、白虎隊剣舞の奉納が行われる。 ...続きを見る

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2017/03/24 14:26
旧東海道を歩く 16日目 12/8
旧東海道を歩く 16日目 12/8 箱根宿から、箱根旧街道(東坂)を下り、小田原宿まで歩く ...続きを見る

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2017/01/18 11:09
旧東海道を歩く 13日目 12/5
旧東海道を歩く 13日目 12/5 府中宿から、江尻宿、興津宿を通り、薩埵峠を越えて由比宿に入り、蒲原宿まで歩く。 いろんな意味で薩埵峠が楽しみなコース。 ...続きを見る

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2017/01/13 22:25
海舟と西郷の会談
海舟と西郷の会談 慶応4年の鳥羽伏見の戦いのあとから江戸開城までに、二人の間で書簡の交換や会談は何回かおこなわれる。 ...続きを見る

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2015/12/15 17:54
品川沖の榎本艦隊その2
品川沖の榎本艦隊その2 「榎本艦隊最後の雄姿」との題で写真が載っている「別冊歴史読本ビジュアル版」(昭和63年)を入手した。 ...続きを見る

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2015/10/04 21:57
品川沖の榎本艦隊
品川沖の榎本艦隊 『幕末・明治の日本海軍』に掲載されている写真がある。 榎本艦隊が沖合に停泊している様子を撮影したものとされる。 Wikipedia「榎本武揚」などにも、同じ写真が掲載されており、手前に浜辺らしきものまで写っているのでWikipediaの掲載写真の方がオリジナルに近いと思われる。 ...続きを見る

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2015/08/08 23:04
『 雨窓紀聞 』と『 麥叢録 』との関係について
『 雨窓紀聞 』と『 麥叢録 』との関係について 先日、ヤフーオークションに『雨窓紀聞 下』が出品されのをfacebookの投稿で知った。 確認すると、商品説明は以下の通り、 [題名] 雨窓紀聞 下、[著者] 竹陰穏士(小杉雅之進) 咸臨丸蒸気方 江差奉行並、 [発行所・発行年] 北畠茂兵衛 明治6年、 [仕様] 木版本 本の大きさたて22cm×よこ15cm 総二十丁 [状態] 少汚れ・少落書き・少イタミあり ...続きを見る

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2015/07/07 22:43
東軍戦死者慰霊碑の副碑 (田邊太一撰文)
東軍戦死者慰霊碑の副碑 (田邊太一撰文) 明治40年に京都にて東軍慰霊四十年祭が行われ、のちにその報告書として「戊辰東軍戦死者四十年祭典及墓標建設報告書」が関係者に配られた。 ...続きを見る

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2015/04/14 14:46
妙教寺による東軍戦死者の回向
妙教寺による東軍戦死者の回向 京都妙教寺では代々御住職が毎年2月4日に、鳥羽伏見の戦いの激戦地である千両松(八番楳木)と愛宕茶屋堤防とで慰霊を行い、本堂で法要を営んで来られた。 東京からの新選組関係者9名と京都会津会6名とで参列してきた。 ...続きを見る

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2015/02/05 00:59
京都法伝寺の東軍戦死者霊名簿
京都法伝寺の東軍戦死者霊名簿 京都法伝寺では、鳥羽伏見で勃発した一連の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵されており、毎年8月には慰霊祭が行われている。 ...続きを見る

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2014/11/17 11:54
第22回東軍慰霊祭に参加して
第22回東軍慰霊祭に参加して 今年で第22回になる戊辰役東軍殉難者慰霊祭は、京都淀の妙教寺にて行われた。 ...続きを見る

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2014/10/14 12:06
第22回戊辰役東軍殉難者慰霊祭
第22回戊辰役東軍殉難者慰霊祭 またそろそろ東軍慰霊祭の季節がやってきた 今年は楽しみなことがある。 第22回目の慰霊祭は、久しぶりに京都での開催が企画され、10月4日に淀の妙教寺にて行われる。記念講演は『古絵図でたどる鳥羽伏見・淀の激戦』と題し、妙教寺ご住職がなされる。 ...続きを見る

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2014/09/02 18:35
静岡2日目 東軍関係史跡めぐり
静岡2日目 東軍関係史跡めぐり 「戊辰役東軍殉難者慰霊祭」のイベントとして企画された東軍関係の史跡めぐりに参加した。 コースは、宝台院-->浮月楼-->山岡・西郷会見之地碑-->宝泰寺-->臨済寺      -->鉄舟寺-->船宿末廣-->壮士之墓-->清見寺-->座漁荘-->万象寺      -->宝台院別院 なかなか盛り沢山の内容で、歴史研究家の佐野明生氏に案内いただいた。 郷土の歴史についてきわめて博識で、教えられるところが多々あった。 あり... ...続きを見る

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2013/10/04 23:37
京都における東軍慰霊碑の変遷
京都における東軍慰霊碑の変遷 戊辰戦争は慶応4年1月に鳥羽・伏見に於いて勃発した。 その京都には東西両軍の慰霊碑・記念碑があるが、東軍側の慰霊碑と戦死者埋骨碑は明治30年から40年にかけて建立された。 京都守護職の本陣が最初に置かれた京都黒谷の会津墓地にも、明治40年に會津藩士の慰霊碑 「慶應之役伏見鳥羽淀会藩戦死者碑」が建立されたが、今回東軍全体としての慰霊碑と埋骨地碑の建立の経緯を調べてみた。 ...続きを見る

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2013/09/01 10:38
京都における東軍慰霊碑と霊名簿
京都における東軍慰霊碑と霊名簿 京都南禅寺の金地院と、伏見の御香宮は、鳥羽伏見の戦いで亡くなった東軍戦死者の霊名簿を所蔵しており、その土地の東軍戦死者慰霊碑の前で個別に慰霊祭を行っていた。黒谷金戒光明寺にある会津藩の慰霊碑とは異なり、会津藩を含めた東軍戦死者全体をカバーしたものだった。 ...続きを見る

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2013/08/02 23:41
東軍慰霊祭雑感
東軍慰霊祭雑感 毎年、戊辰戦争で亡くなった東軍戦死者の慰霊祭が、京都から東の各地の激戦地や遺骸などを葬ったお寺などで個別に行われている。 年間に行われる法要・慰霊祭の数はかなりの数に上る。 ...続きを見る

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2013/05/30 00:21
彰義隊士と魚屋さん
彰義隊士と魚屋さん 日暮里に行くと、ランチは決まって谷中ぎんざにある鮨屋さん「魚て津」でいただく.。 この店には、安くておいしいランチも目当だが、店内に大事に飾られている「魚て津の今昔由来」の由緒書きを確認しに行くのも目的のひとつ。ここのご主人は、湯島天神下の中坂下にあった「魚て津」で修業し暖簾分けしてもらい谷中で同じ名前で店を出したのだが、本家が店をたたんだあとで、この由緒書きを譲られている。 ...続きを見る

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2012/10/14 19:19
京都にある東軍慰霊碑と埋骨地碑
京都にある東軍慰霊碑と埋骨地碑 戊辰戦争で戦死した東軍将兵の墓は、薩摩藩や長州藩などの西軍とはその建立の経緯に大きな違いがある。 また、慰霊碑に至っては京都でも明治後年まで建立されてこなかった。 ましてや鳥羽伏見の戦いで散った東軍将兵の名を刻んだ墓をみることはほとんどない。 ...続きを見る

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2012/07/07 07:21
二人の勇士
二人の勇士 英公使パークス襲撃事件とは関係はないが、この事件からいつも想起することがある。 林田衛太郎と三枝蓊は、公使一行を護衛していた騎馬兵12名と第九連隊第二大隊分遣隊を始め前後も含め大勢の守備兵の中へたった二人で襲撃を敢行した。これとよく似た二人だけの突入襲撃事件が、同じ慶應4年に京都から遠く離れた東北で半年ほど後に起きている。 ...続きを見る

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2012/04/21 20:31
ディアナ号の大砲
ディアナ号の大砲 最近、幕末のロシア軍艦ディアナ号の名前をよく目にする。 ディアナ号は、幕末に日露交渉のためにプチャーチン提督一行を乗せて日本にやって来たが、交渉場所の下田で東海沖地震に遭い、発生した津波で被害を被る。 ...続きを見る

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2012/04/15 22:47
西郷の相棒 山岡鉄舟
西郷の相棒 山岡鉄舟 昨日、小生が尊敬する人物の一人、山岡鉄舟が歴史秘話ヒストリアで取り上げられ、西郷隆盛の相棒として紹介された。 ...続きを見る

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2012/02/02 21:39
京の桜と講演会
京の桜と講演会 4/10の日曜日、桜見を兼ね講演会を拝聴してきた。 休日が満開の時期と重なり、京は桜見物の人、人、人で大変な賑わいだった。 名所の一つ丸山公園の桜もちょうど見頃で、花見客が春を楽しんでいた。 ...続きを見る

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2011/04/13 00:19
函館・木古内・江差・松前の旅  (最後は空の旅)
函館・木古内・江差・松前の旅  (最後は空の旅) 9/24 旅の締めくくりとして空から、戊辰戦争の激戦地を終結した場所より逆に辿る。 ...続きを見る

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2009/10/11 10:56
函館・木古内・江差・松前の旅その5 (函館)
函館・木古内・江差・松前の旅その5 (函館) 9/23  函館市内の史跡・博物館めぐりをしてきた。回ったコースは以下の通り。 ...続きを見る

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2009/10/10 23:56
函館・木古内・江差・松前の旅その4 (松前〜木古内)
函館・木古内・江差・松前の旅その4 (松前〜木古内) 9/22昼  松前を出発し、福島経由木古内へ向う ...続きを見る

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2009/10/10 08:05
函館・木古内・江差・松前の旅その3 (松前)
函館・木古内・江差・松前の旅その3 (松前) 9/22 開陽丸の子孫の会の皆さんと、江差〜松前〜木古内〜函館までをバスで旅する。     江差町のご好意により町がバスを提供され、休日なのでボランティアで運転された。     小林会長、小杉さんとは、ここ江差で別れる。10月に逗子でまたお目にかかる予定。      江差・函館の親戚の方々とも、再会を期してお別れする。 ...続きを見る

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2009/10/09 22:36
函館・木古内・江差・松前の旅その2 (江差)
函館・木古内・江差・松前の旅その2 (江差) 9/21昼 咸臨丸子孫の会の小林会長、小杉事務局長と同道で木古内から江差に着く。 駅の改札を出た所で江差・函館の親戚の方々の出迎を受けた。 初めて会う河島家・干場家の人たちで、戊辰戦争・上野戦争から140年の再会といってもよい。 駅には開陽丸友の会の輪島副会長も来られた。今回江差で親戚であることの確認をして頂いた方で、大変お世話になった。感謝しております。 ...続きを見る

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2009/10/05 23:24
函館・木古内・江差・松前の旅その1 (木古内)
函館・木古内・江差・松前の旅その1 (木古内) 9/20〜9/24まで、箱館戦争関連の旅をしてきた。 ...続きを見る

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2009/10/05 00:40
鴉〜KARASU〜 04
鴉〜KARASU〜 04 4月24日に標記の演劇を鑑賞した時のこと。劇場内でカメラを持っていると、「関係者の方ですか?」 「そうです。」 問うた方は演劇・マスコミ関係者かと思い、答えた方は細谷の縁者として答えた。この勘違いをあえて気にせずに、幕に描かれた鴉と刀とのデザインを、記念に数枚撮らせていただいた。この写真は公開できないので、代わりにポスターをあげておく。 ...続きを見る

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2009/05/06 18:23
岐阜県本巣市の「淡墨桜」
岐阜県本巣市の「淡墨桜」 国の天然記念物に指定されている岐阜県本巣市の「淡墨桜」が今年も観光客らの人気を呼んでいる。ヒガンザクラの一種で、高さ約16メートル、幹の周りが9メートル余り、広げた枝は50メートルにも及ぶ。推定樹齢は1300〜1400年で、満開の頃になると次第に花びらが淡い墨色になる。 ...続きを見る

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2009/04/12 22:30
ヨドコウ迎賓館
ヨドコウ迎賓館 芦屋にあるヨドコウ迎賓館で、「2009年雛人形特別展」を」拝見してきた。 建物はフランク・ロイド・ライトの設計したもので、有名な帝国ホテルの設計はこれより3年早い。 灘の山邑酒造の8代目山邑太左衛門の依頼を受け1918年に別邸として設計した。 ...続きを見る

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2009/03/08 22:57

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