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zoom RSS 寺田屋からの逃走ルート2 材木納屋

<<   作成日時 : 2017/07/21 21:19   >>

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龍馬と慎蔵が避難し隠れた材木納屋を確認したい。
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二人が隠れたという材木納屋があった辺りの写真。左側に大手橋(昭和15年11月竣工)が見える。

東京大学史料編纂所所蔵の写真。左側にも納屋がみえる
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龍馬は書簡に、
寺田屋の裏の住家を破ってから、「町に出て見礼バ人壱人もなし。是幸と五町斗りも走りしに、・・・・、つひに横町にそれ込ミて、御国の新堀の様なる処に行て町の水門よりはひ込ミ、其家の裏より材木の上に上り寝たるに」と書き、

慎蔵は日記に、
「走る途中一寺あり此囲を飛越んとするに近傍多数探索するの様子有之、甚た切迫に付路を変し走出て川端の材木の貯積を見付け其の架際に両人共密に忍込み」と綴る。

司馬遼太郎は寺田屋一件で三吉家にも取材し、逃走についても小説「竜馬がゆく」に書く。
その小説を参考にもした伏見の人吉田酔痴の「伏見史話」(昭和54年)に以下の記述がある。
「二人は捕吏からのがれ裏梯子から裏の家の塀を破り露地づたいに車町から阿波橋方面に向かって逃げた。途中周防町の西教寺の塀を飛び越え中に入ろうとすると御用提灯が激しく往来したので川岸の木材倉庫(江崎木材置場、現北川本家びん詰工場)に難をのがれた。・・・・。(この材木置場は明治の終り頃まで「坂本竜馬遭難の処」と記した木標が建っていたと古老はいっている)」
と、材木置き場について詳しい。
材木置場を江崎材木置場とし、現在の北川本家びん詰工場と特定し、明治末まで遭難場所を示す木標もあったという。

ところがこの話が平成20年に裏付けられる。
土佐藩の京都藩邸史料が発見され、その中に伏見奉行所から京都所司代への報告書の写しの、土佐藩邸の控えが含まれていた。
その慶応2年1月24日当日の奉行所の報告書に、
「・・・、扨今朝巳後處々探索仕候処、当地村上町財木渡世、近江屋三郎兵衛財木納屋ヘ龍馬手疵を受候侭立入・・・」とあり、捕吏方は、二人が隠れた材木納屋を見つけ、材木納屋の持ち主も近江屋三郎兵衛と確認している。

この奉行所報告史料の存在によって、「伏見史話」の話が裏付けられ、二人が逃げ込んだ材木置き場が特定されたことになる。

村上町の土地台帳をみると、「伏見史話」に記述の江崎姓は、いくつか出現する。
江崎三郎兵衛は、364番地、367番地、368番地、369番地、370番地
江崎権兵衛は、393番地、396番地

このうち、370番地がまさに、現在も北川本家ビン工場を含む場所だ。
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最初の所有者は、大字村上に住所を置く江崎三郎兵衛であり、
明治26年12月1日に、大字過書の江崎権兵衛が買い取っている。
この年の5月27日に、江崎権兵衛が寺田屋旧蹟地といわれる南浜町262番地の地所を買い取ってもいることも注目してよいのだろう。

そして、この場所は、昭和12年3月12日に現北川本家が所有することになる。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

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