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zoom RSS 旧土地台帳からみる三吉慎蔵

<<   作成日時 : 2017/03/31 23:51  

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〇三吉慎蔵の生家・小坂家

下関市の長府城下町にある横枕小路の端に、代々、小坂家が住んできた。
幕末時は、長府藩剣術指南役・小坂土佐九郎(9代)が暮らし、慎蔵もここで土佐九郎の次男に生まれている。
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真ん中縦に横枕小路が走り、その横枕小路の上左端に「小坂土佐九郎」とある
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この地は、その後以下の変遷を辿る。
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土佐九郎の長男・住也(10代)は慶応4年6月22日に家督を継ぎ、明治9年7月14日に長男・直三(11代)に家督を譲る。
ところが、直三は明治14年10月9日に17歳にして死去してしまう。
土地台帳の記述は、直三の跡を相続した実弟・義作(12代)から始まっている。
義作は明治31年9月25日に病死し、実子なきため、実父・住也が13代として跡を相続する。
そして最終的には、啓輔の子住男の代の大正9年12月15日に、1650年頃から小坂家が代々暮らしてきた土地を離れていることが分る。
離れた理由は不明だが、大正9年は、小坂住男はまだ山口師範学校2年生のときであり、母イトの都合であったかもしれない。


〇慎蔵が養子に入った三吉家

小坂慎蔵は、安政4年(1857)3月1日に、三吉家の養嗣子となる。
養父の十蔵は、前年10月9日に死去し、養祖父の三吉半治も翌安政4年1月18日に死去している。
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真ん中あたりに「三吉半次」とみえる、  弘化3年(1846)屋敷割図より
 
現在の松岡医院の場所になる
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慎蔵が三吉家の養嗣子になったのには理由があるはずだ。
実父小坂土佐九郎は、三吉半次の娘を妻に迎えたが、のち離別する。理由は伝わっていない。
土佐九郎は、その後、慎蔵を生む津原かつ子を後妻にする。
おそらくこの時の縁が、小坂家と三吉家の何らかの誼になっており、慎蔵が三吉家の養嗣子になる要因になっていると思われる。

慎蔵は、ここで養母喜久と暮らし、翌年1月に正村喜三郎の3女・伊予を妻に迎え、明治4年まで住む。
慶応2年以後は、坂本龍馬が度々尋ね、暗殺後はお龍とその妹紀美を預かった場所でもある。
ただ残念ながら、土地台帳によれば、区画整理をしたため、それ以前の慎蔵が明治4年に上京した折、また家族を東京に呼び寄せたあと、この土地がどうなったのかの記録は残されていない。
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上京した後の、長府での留守宅は、長府村大字豊浦村第315番地の栢俊雄宅(妻・伊予の縁者)としていたらしい。


〇長府へ戻ってからの三吉慎蔵

江下の慎蔵宅があった場所
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(第10番)、第11番、第12番、分筆前なのでかなり広い

慎蔵は、東京にて宮内省に出仕している間に、毛利元敏公に従い長府に戻る事に決していたため、戻る1年前の明治22年3月28日に江下(長府村十一番地)に土地を購入している。
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所有者の板垣直貞からの購入交渉は、妻伊予の縁者・栢俊雄に任せていた。
同じ年8月、慎蔵は、松山に駐屯中に容態の悪化した品川氏章少将のため、大阪の緒方医師を伴って松山に寄った後、長府へ出向き、3週間滞在している。
その際、購入した土地の検分を行い、建物の位置を決めている。
また、以前より交渉していた隣の土地(長府村十二番地)を9月5日に梶山官兵衛より購入し、地所を広げている。
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たまたま、その翌日、品川少将は死去している。
同年11月に土蔵が完成し、翌明治23年1月9日に、建物が棟上したことが、栢俊雄から東京の慎蔵に報告がある。
そして明治23年3月23日に宮内省を退官し、長府に戻り、江下で暮らし始める。
ただなぜか、明治29年7月26日に小島虎蔵方(長府村816番屋敷)を借り、転居している。
この場所がどこかは今はまだ調べきれていない。
明治30年10月19日には、江下の本宅の庭の手入れの検分に出かけているので、しばらくは使用していないようだ。
明治27年5月1日に生まれた慎蔵の孫・梅子によれば、泳ぎに行くのに家から浜辺まで自分の敷地だったという。この本宅の事とみてよいようだ。


〇乃木神社の土地一部を三吉慎蔵が所有

現在の乃木神社の敷地
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長府乃木神社の北側の亀の甲町に、三吉慎蔵の実兄・小坂住也が地所223坪を所有していた。
所有していた地番は、亀の甲、1844番
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住也の次男・保三(慎蔵の甥)は、江本家の養嗣子になり、江本泰三と名乗る。住也は、この次男・江本泰三に、明治28年7月4日、この亀の甲の土地を譲渡する。
ところが、翌明治29年11月5日に、江本泰三は以前からの病がもとで死去てしまう。実子はなかった。
そこで、実兄住也は、江本家相続人として血統を考慮し、慎蔵の孫・梅子(このとき2歳)を戸主にできないかと、慎蔵に相談をする。
12月29日に、慎蔵は熟慮の上、梅子の相続人を断り、親戚の小野ではどうかと答えている。
ただどうも決着がつかなかったのか、翌明治30年1月22日に、養父江本弾作が一旦家督相続する。
慎蔵は住也に1月18日に屋敷を売却するときは連絡するように頼み、4月22日に坪1円での購入を住也と内決する。
7月10日には江本弾作から坪1円、計223円にて購入し、10月23日に登記を済ませている。
慎蔵は、明治34年2月16日に死去するが、この土地は同年12月12日に中島太作に所有権が移転している。
その後、所有者が何回か変わる。
大正3年に長府に乃木将軍記念会が結成され、乃木の旧家が復元され、大正8年に隣接して乃木神社が造営される。
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翌大正9年7月7日に、乃木将軍記念会が、この土地を買収し、翌8日に現在の乃木神社に贈与している。

参考:昨年の「下関長府山口の旅 その1」を、タイトルを替え再掲


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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です。

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