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zoom RSS 旧東海道を歩く 15日目 12/7 その1

<<   作成日時 : 2017/01/16 14:12   >>

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沼津宿から、三島宿を通り、箱根宿までを歩く。
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沼津はもともと中世では漁村で、その地名のごとく蓼草(たでくさ)の生い茂った洲で、蓼原と呼ばれていた。この蓼原の東北に三枚橋の里があった。この地に人家が漸次に発達して沼津となる。元禄以前は三枚橋と称し、元禄初年に沼津宿というようになる。
沼津宿は、戸数1,234戸、人口5,346人(うち男2,663、女2,683)、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠55軒から成っていた。

0812沼津宿を出立
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明治維新後、沼津城二の丸跡地に沼津兵学校が設立され、城岡神社に沼津兵学校の碑があるが、旧東海道から外れているため残念ながら拝見できない。近代軍制の創始者といわれる大村益次郎も兵学校の視察に訪れている。

0821沼津一里塚跡を通り過ぎる、 江戸まで31里。
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0823沼津宿を離れる
江戸側の宿入口近くには、「日本三大仇討ちの一 平作地蔵尊の由来」の説明板がある。
忠臣蔵、曽我兄弟の仇討と並ぶ、伊賀越えの仇討に貢献した沼津の平作ゆかりの場所
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0830下石田村(現沼津市大岡)の絵図説明板
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0839沼津藩領を抜け、天領に入る。
沼津藩領傍示石
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この辺りから黄瀬川までは、沼津に宿が移るまで繁栄した黄瀬川宿があった。

0847黄瀬川を渡ると、松並木がある
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0851八幡神社を過ぎる
ここには、挙兵した頼朝と奥州より駆けつけた義経が涙の対面をした黄瀬川見参の地で、対面の時に座った石がある。
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0912玉井寺の一里塚(江戸時代のもの)と、その対の宝池寺の一里塚を通り過ぎる。江戸まで30里。
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0917秋葉常夜燈
遠州秋葉山は、火除け(火伏せ)の信仰として、全国的から参詣が盛んであった
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0919千貫樋
駿河と伊豆の国境の境川に架けられた樋
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0920三島宿に入る。
西見附跡
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三島宿は、戸数1,025戸、人口4,048人(うち男1,929、女2,119)、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠74軒から成る。
三島は古くはこの地に伊豆の国府があり、地方行政の中心地だった所で、伊豆国府と呼ばれていたが、南伊豆の白浜から三島明神がこの地に遷座されたことから、その門前町として始まり、江戸時代になって箱根の関所を控えた大きな宿場町として発展した。

0930三島宿樋口本陣跡
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0938頼朝が旗揚げをした三嶋大社を参拝
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1004新町橋を渡り三島宿を抜け、箱根宿をめざす。
ここは富士が展望できる場所であるが、残念ながら雲で見えない
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                 < 次の記事につづく >


参考: 風人社発行「ウォークマップ ホントに歩く 東海道」
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です。

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