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zoom RSS 旧東海道を歩く 6日目 11/28

<<   作成日時 : 2016/12/29 15:33   >>

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熱田(宮)宿を出立し、鳴海宿を通り、池鯉鮒宿まで歩く。
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広重の浮世絵では、白文印は「熱田神宮」として、6月21日に行われる馬追祭の勇壮な景を描いている。
熱田(宮)宿は、戸数2,924戸、人口10,342人(うち男5,133、女5,209)、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒から成る。「宮」は熱田の宮の略称であるが、旧藩時代は「宮」と呼ばれていた。
はじめは熱田神宮の門前町であったが、慶長6年(1601)に東海道の宿駅の制度が置かれて宿場町として、さらに名古屋が大城下町となるに従って、港町として、また遊楽の地としての性格を持つにいたった。

0822まずは熱田神宮を参拝
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0854七里の渡しを見学
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近くの「家康幼児幽居地」(熱田区伝馬2-13-3)は、道中から外れているため残念ながら見学はできなかった。
天文16年(1547)、父松平広忠が今川義元と同盟を結び、6歳の竹千代は今川方の人質となるところ、義理の祖父の裏切りに合い、敵方の織田信秀に銭百貫で売り飛ばされ、熱田神宮近くの豪商・加藤図書助順盛の邸宅に幽閉されていた場所。

0941山崎川を南に渡る
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川の北は名古屋市瑞穂区で南側は南区、、川を渡ったところに山崎橋の親柱が建っている。

1007長楽寺前を通る,
宿駅制度制定400年記念碑(平成13年建立)が建っている。
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長楽寺は、慶長8年(1603)、家康の4男勝平忠吉が病気の平癒祈願を行い無事回復した場所。
お礼として、本殿、書院が建てられた。
このあたりに塩付街道があり、星崎塩田の塩を信州に運んでいた。

1016笠寺観音
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境内の宮本武蔵顕彰碑
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「人質交換之処」碑
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天文18年(1549)11月9日、織田家に幽閉された竹千代(家康)と今川家の囚われの身となった織田信広の人質交換交渉が成功。 東海道沿いの笠寺観音で人質交換が行なわれ、竹千代は駿府、今川義元の元に送られることになる。

1026笠寺一里塚(日本橋まで88里)を通り過ぎる。
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片側しかないが、名古屋市に唯一残る一里塚。

1040三王山交差点の辺りで、歴史仲間池田氏が合流。有松まで一緒に歩いていただく。
丹下町常夜燈の前にて
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この常夜燈は現在地に移転しているが、ここから東の永代常夜燈との間が鳴海宿になる。戸数847戸、人口3,643人(うち男1,792、女1,851)、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒
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1102鳴海宿本陣跡
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代々西尾家が務め、幕末は下郷家が継いだ。敷地は東海道から扇川まで及び、かなり広かったという。

1122永代常夜燈
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鳴海宿の東の入り口

1137間の宿・有松に入る
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有松は、池鯉鮒宿と鳴海宿と間に、慶長13年(1608)に間宿として開かれた。

1227昼食をとった後出発し、有松・鳴海絞会館を訪ねる
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ここでは、広重が描いた「名物有松絞」のハンカチを土産にGET
広重が東海道53次の図の組み物の中でその地の名産を紹介しているのは、この絞りと、水口の図の干瓢に限られる。
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1237出発し、
1250豊明市に入り、桶狭間の古戦場伝説地に寄る
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古戦場の所在には2説あり、もう一つは旧東海道から外れた南の、名古屋市緑区の桶狭間古戦場公園(田楽坪)。

1342阿野一里塚(日本橋まで86里)を通り過ぎる。道の両側に残っているのは珍しい。
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1401尾張と三河の境である境川を渡る。
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1425常夜燈と、芋川うどん(きしめんのルーツ)発祥の碑
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1453池鯉鮒宿の西木戸辺りに到着。
西木戸は知立神社の出口にあるが、知立神社の神主永見氏の娘が、家康の側室お万の方で、家康の次男・結城秀康を産んでいる。毎年5月15日に上野の彰義隊慰霊祭に末裔の方が参加されているので、来年の慰霊祭では訪問した話をしてみたいと思う。

池鯉鮒宿は、戸数292戸、人口1,620人(うち男876、女744)、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠35軒
広重は、53次の浮世絵では池鯉鮒について、「首夏馬市」を描いている。『東海道名所図会』には、「池鯉鮒馬市  毎年4月25日より始まりて5月5日に終わる。駅の東の野に駒を繋ぐ事、四五百にもおよべり。」とある。
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常夜燈
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知立神社多宝塔(重文)
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知立城跡
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池鯉鮒は知立とも書くが、その昔は八橋といった。この八橋は、呼び名が歌枕として優雅な都人に愛誦され、富士山とあふみのみ(近江の海、琵琶湖)とこの八橋が東海の三名所に讃えられていた。
在原業平にちなむ『伊勢物語』では、「橋を八つわたせるによりてなん八橋といひける。・・。。その沢に燕子花(かきつばた)いとおもしろく咲きたり。それを見て、あるひとのいはく、「かきつばた」といふ五文字のかみにすえて、旅の心をよめ」と云ひければよめる。
    唐衣 きつつ馴れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人かれいひのうへに涙おとしてほとびにけり」
と記している。この業平の五文字を折句とした歌の蓋
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参考: 風人社発行「ウォークマップ ホントに歩く 東海道」
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です。

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