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zoom RSS 明治期の長府毛利邸と三吉慎蔵邸の変遷

<<   作成日時 : 2014/06/30 14:49   >>

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6月27日、東京にて、明治時代の長府毛利邸と三吉慎蔵邸の跡を訪ねてきた。
長府毛利家当主元敏公は、明治4年9月から、明治23年まで東京に詰め、
家扶であった三吉慎蔵は元敏に随従し、東京に同じく20年住む。
慎蔵は、明治10年に宮内省に出仕するが、長府毛利家との関わりは維持している。
その足取りを訪ねてみた。

写真は訪ね歩いた順番で、
各写真説明での家宅の番号は、長府毛利家邸、三吉慎蔵邸各々の何回目の引っ越しかを表す番号である。

長府毛利 麻布市兵衛町邸 F 
明治14年3月3日〜明治24年6月7日
旧:芝区麻布市兵衛町1丁目14番地
現:港区六本木1丁目10番地あたりで、王立スウェーデン大使館とその周辺

大使館の東側に隣接して、三吉慎蔵邸 Fがあった。
明治17年10月9日〜明治21年2月20日
旧:芝区西久保城山町9番地
現:港区虎ノ門4丁目3番地あたり
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大使館には、事前予約なく訪問した
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教えていただきたい内容を書いて提出したが、
30分ほど経って、セキュリティ上から即答できないので、
改めて〇〇宛てに文書で依頼願いたいとの尤もな返事を頂いた。
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長府毛利邸 赤坂溜池 元大垣藩邸 (6,291坪)A
明治2年8月22日〜明治4年3月14日

この屋敷を賜う前には、外神田 元中村藩邸 @が 最初の東京での長府毛利邸。
この元大垣藩邸は古く修理が嵩むため、芝区西久保秋月三郎家宅 Bに転居している。
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元大垣藩邸は、現在のアークヒルズからANAインターコンチネンタルホテル東京を含む広大な敷地だった。
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ANAインターコンチネンタルホテル東京
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三吉慎蔵邸 B
明治9年5月30日〜明治10年3月1日
旧:西久保桜川町9番地(本田家長屋)

現:港区虎ノ門1丁目22番
  ミツヤ虎ノ門ビル周辺
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ミツヤ虎ノ門ビル
ビルオーナー会社の総務部を訪問し確認したが、ビル購入前の履歴は不明であった。
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長府毛利家 愛宕下邸 B
明治4年3月14日〜明治8年6月24日
旧:芝区西久保秋月三郎邸
  愛宕町1丁目2番地
現:港区愛宕1丁目1番と2番周辺

写真奥に愛宕山が見える

三吉慎蔵は、明治4年9月19日から、愛宕下邸の長屋に単身で住み、@
明治5年3月に家族を長府から呼び寄せ一緒に暮らす。A
明治9年5月30日に、西久保桜川町9番地本田家長屋 Bに転居する。
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斜めから愛宕下全体を見る
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長府毛利愛宕下邸の向かいには、いまは虎ノ門ヒルズが建っている
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三吉慎蔵邸 森家邸内 C
明治10年3月1日〜明治11年2月16日
旧:愛宕町2丁目1番地森邸内
現:港区西新橋3丁目1番地周辺
路の向かいには、愛宕神社への参道がある(階段ではない坂道の方)
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愛宕神社参道入り口
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愛宕神社
三吉慎蔵は、長府毛利家愛宕下邸に勤め、愛宕山周辺に7年ほど暮らしていたので、
何回も訪れたはず
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桜田烈士愛宕山遺跡碑
慎蔵がいたときはもちろんこの碑はまだないが、
安政七年の3月は参勤交代で江戸に来ており、その事件の影響を身に染みて知っているので、愛宕山上で何か想うことがあったとは思う。
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愛宕山参道
よくこんな急な階段を馬で登れたものだ
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近くに、たまたま僕の母校がある
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ついでにおまけ
三吉慎蔵の娘トモの母校
香蘭女学校は、麻布区永坂町一番地島津忠亮伯爵邸内を一部借用して開校する。
トモは、明治22年1月31日に、前年から在校していた明治女学校を退校し、香蘭女学校の一期生七人の一人として入学する。
そして明治25年5月に、創立以来第1回目の卒業生なる。このとき卒業生はトモ一人だけだった。
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三吉慎蔵邸 G
明治21年2月20日〜明治23年7月1日
旧:麹町元園町1丁目16番地
現:千代田区一番町25番地  
日本写真家協会の入るJCIIビル、日本カメラ博物館のある一番町JCIIビル、その隣のもとダイヤモンドホテルがあった真如院友心院のあたり。
慎蔵が、故郷の長府へ永住するため東京を離れる時の最後の邸宅があった場所。
慎蔵の売却先は不明だが、後に山縣有朋が入手している。

写真は一番町JCIIビル
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JCIIビル
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貝坂
この坂の下に、楫取素彦邸があり、三吉慎蔵は長屋を借り、後に敷地内に自宅を建築する
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楫取素彦邸は、現在のホテルルポール麹町とその隣の全国都市会館のあたりにあった。
旧:麹町区麹町平川町6丁目22番
現:千代田区平河町2丁目4番街区

慎蔵は、
明治11年2月16日〜明治12年12月1日まで、楫取素彦敷地内にあった素彦の次男久坂通時(道明のこと)住所長屋に居住し、 D
明治12年12月1日〜明治17年10月9日迄、楫取素彦敷地内に建てた自宅に住む E
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全国都市会館
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全国都市会館横の公園
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慎蔵は、明治10年9月〜明治23年3月まで宮内省御用掛として、北白川宮曾雌久親王に御付・家令として仕えた。
北白川宮能久親王邸は元紀州藩上屋敷にあったが、楫取素彦邸は道路を挟んで隣接していた。
北白川宮邸は、能久親王薨去のあとは高輪に移り、元の地は李王家の東京邸となる。
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李王家邸は戦後、ホテルとして増築し利用されてきたが、今は増築部分を撤去し、なるべく竣工当時の姿に戻す工事を実施している。
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絵は三吉慎蔵と坂本龍馬です

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