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zoom RSS 河井継之助の歩いた道2

<<   作成日時 : 2012/12/08 00:48   >>

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河井継之助の歩いた道を辿ってきた。
今日は、前回時間切れで打ち切った伊丹から、生瀬まで
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まず伊丹で腹ごしらえをしてから、13時前に出発した。
コースは、
伊丹-->(有馬街道東廻り)-->大鹿-->瑞ヶ池-->鴻池-->(姥ヶ茶屋)
鴻池-->荒巻-->今里-->中山寺-->
(巡礼街道)-->売布神社-->清荒神-->(有馬街道)-->宝塚-->生瀬

伊丹は小西酒造から出発する。
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伊丹からは、豪商鴻池の発祥の地・鴻池を目指す。
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大鹿を通り、
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途中で、瑞ヶ池を見学する
瑞ヶ池公園の説明で、ポトマック河畔の桜は伊丹から贈られた桜であることを初めて知る。
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有馬街道東回りを進むと、鴻池で天王寺川にぶつかる。
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本来は、鴻池を過ぎてすぐ右に折れ、天王寺川沿いの中山寺への街道を進むべきだが、
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直進して、有馬街道東回りと西回りの街道が一本になる姥ヶ茶屋を確認のため見に行ってきた。
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この姥ヶ茶屋は、神崎の渡しで船を降りたあとで東回りと西回りに分かれた街道が、また一つになる所。一つになった道は、小浜宿から米谷を通って、清荒神で巡礼街道と繋がっている。
左が東回り、右が西回り

わざわざ見に行ったため往復15分ほどロスしたが、姥ヶ茶屋から鴻池に戻って、天王寺川沿いの街道を中山寺へと向かった。
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鴻池という地名は、村の背後の大池(くろ池)にこうのとりが群れをなして飛来したことから、池の別名を鴻池とし、それを村の名前にした。
この鴻池村には、尼子の勇将山中鹿之助の孫、山中幸之が居を構え、伊丹有岡城の荒木村重に仕えていたが、故あって町人となり、酒造りを生業として、屋号は土地の名をとって鴻池屋と号した。
その酒造業鴻池屋で、大珍事が起こる。
濁酒を貯めていた大桶(約30石入り)に、誤って灰(炭の粉ともいう)が入り、困り果てていたが、翌朝になってみると、香味絶佳の澄酒(清酒)となっていた。この方法で清酒を大量に造り、たちまちにして巨万の富を得る。大坂の今橋に本店を設け、江戸にも店を張り、その盛況は日本随一の財力を成し、酒造のほか、両替、廻船なども商い、大名にも金を貸し、その経済力は幕府財政に及んだ。明治になり鴻池銀行、更に三和銀行、そして今の三菱東京UFJ銀行へと到っている。

途中で、荒巻の天日神社に寄る。
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中山寺を拝見し、巡礼街道を売布神社へ向かう
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そして清荒神から、有馬街道を通って、生瀬橋へ到り、
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今日の目的地・生瀬には15時半に到着した。
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30年ぶりに訪れたが、全く変わってしまっていて、今は宿屋は一軒もない。また江戸時代からの古い家が軒を並べていたが、阪神大震災で殆ど全滅し今は一軒しかない。
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昔の家の佇まいや宿場町としての面影がなくなり、観光客はほとんど来なくなったという。そのため、少しずつ家を復元し過っての面影を取り戻す運動を始めていた。
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震災でかろうじて残った一軒には、かっての面影を写す古い写真を所蔵しているとの話だったのだが、御主人が留守で拝見できなかったため、また近々改めて出直すことにした。


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
二時間半で歩かれたとは随分と健脚ですね、何キロあったのですか?
タキじー
2012/12/11 21:12
だいたい10キロ強だと思います。山中から清荒神の間だけ一部登り下りがありますがほとんどが平地です。伊丹から生瀬の街道は歩き易いですね。
寸心
2012/12/12 07:21

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