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zoom RSS 咸臨丸子孫の会静岡旅行 1日目

<<   作成日時 : 2011/10/31 23:21   >>

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咸臨丸子孫の会総勢38名の静岡旅行に参加し、静岡、清水、戸田、韮山など、咸臨丸ゆかりの史跡巡りをしてきた。
各々の箇所で、専門の方にガイドいただくという誠に贅沢な旅であった。

10/29からの一泊二日の旅程は以下の通り
10/29は、宝寿院(海舟の家)--> 浮月楼(旧徳川邸)--> 清水中央図書館(徳川文庫閲覧)-->清水次郎長の船宿(末広)、次郎長生家、壮士の墓--> 清水港 -->土肥港
10/30は、戸田造船郷土資料館-->、韮山反射炉--> 江川邸(江川文庫閲覧)

第1日目は、
10時の静岡駅での集合から始まる。
駅南口には、大正4年に300目年祭を記念し奉斎会により建立された「久能山 東照宮」碑が立っている。
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明治29年2月2日に宮崎健雄(翌年2月松平姓に)が久能山東照宮宮司に就任した地であり、今回の旅程コースに入っていないため前泊してじっくり拝見たかったのだが都合により叶わず、東照宮は次回ゆっくりと回ることにした。

この日は、元静岡市駿府城天守閣調査主席調査員で郷土歴史研究家の黒澤脩氏に、チャーターしたバスの中で駿府の歴史、家康の功績などを拝聴し、行く先々の史跡を案内いただいた。
最初に、徳川亀之助にお供して静岡に移り住んだ海舟ゆかりの家(海舟庵)のある宝寿院を訪ねた。
駿府藩幹事役の勝安芳は鷹匠町に居を構えたが、美しい自然の門屋村が気に入り、名主・白鳥惣左衛門から土地を譲り受け母信子の隠居所を作る。
しかし母信子は1月後に病死し隠居所住まいは叶わなかった。
その後も勝はこの家を密かに要人と会うためなどに使用していたが、明治中頃白鳥家に譲り渡される。家屋は白鳥家内に移築されるが、さらに昭和32年に同家裏の宝寿院に寄付され同境内に再度移築された。
        海舟庵の室内
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        白鳥家所蔵の勝海舟のピストル
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        若いころの写真
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        海舟の御子孫と白鳥家の方
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ついで、東海の名園といわれる浮月楼を訪ね、昼食を摂った。
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もともとこの敷地は、徳川幕府の代官屋敷であったが、慶喜の駿府移住を知った渋沢栄一が予め購入し、慶喜の居住用に用意したといわれる。
慶喜は明治元年7月23日、水戸から駿府に移り宝台院の一室に暫く閑居の後、翌2年10月5日にこの代官屋敷に手を入れて遷居した。
5キロ南の海岸まで間は田畑のみで、海岸の松が借景になっていたという。
東海道鉄道開通のため、その喧噪を避けて、市内西草深の新邸に転居する明治21年3月6日まで、およそ20年間住んでいた。
のちに静岡市有財産となった旧慶喜邸は明治23年7月名跡保存を条件に払下げとなり、「浮月亭」という料理屋となったが、翌25年1月9日の大火で全焼する。
ただちに2階建ての復興建築を行い、その年の6月「浮月楼」と銘打って開業する。その建物も昭和15年の静岡大火により建物は消失する。
従って、建物は当時のものではないが、庭園は昔の儘で何ら損傷することなく今日に至る。
作庭は当時随一と言われた京都の庭師小川治兵衛の手になる。
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          庭での記念撮影
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清水中央図書館は、徳川慶喜が所有していた膨大な「徳川文庫」6500点余りを所蔵している。これらの書籍の中には、全国でもここにしか無いとされる史料が90点余りある。
中には天皇陛下に天覧されたことを意味する判が押されている史料もある。
一部には、江戸幕府の昌平坂学問所が所蔵していた印がある書物も保存されている。徳川研究のため、貴重なコレクションとしてこれから広く注目される書籍である。
今現在精力的にデジタル化を進めているとのこと。
この図書館では特別に、主に所蔵している勝海舟関係の史料・書籍を拝見させていただいた。
         史料の説明をいただいた黒澤脩氏
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「海軍歴史全9巻」、「万延元年第一遣米使節日記」、「もくろく勝伯爵家・花村家所蔵品入札」、「松農した露」、「城山陥落 勝海舟先生初校」、「流芳遺墨 附:追賛一話(完)」など10点の史料。
「松農した露」は天璋院追悼歌集であり、天璋院が亡くなったあと、幕臣が追悼にうたった歌が収められている。余りに数が多く、時間も限られていたため、残念ながら先祖親類の歌は見つけられなかった。



清水では、
次郎長の船宿、生家跡を見学したあと、巴川にかかる港橋近くの川沿いにある、次郎長が葬った咸臨丸乗組員の「壮士墓」と刻んだ墓に詣でた。
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字は山岡鉄舟が書いている。
今回の一行には、戦死した咸臨丸副艦長春山弁蔵の御子孫は参加されておられなかったが、渋沢栄一に縁のある、生き残った御子孫の方が参加しておられ、貴重なお話を伺うことができた。


その後、咸臨丸が砲撃・銃撃を受けた清水港にから駿河湾フェリーで、土肥に渡った。
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晩は、宿泊する土肥温泉旅館「湯の花亭」で、盛大に懇親会を催した。
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今日は盛り沢山の1日であった。

翌日の静岡新聞に掲載された、当日の一行の記事
http://kanrin-maru.org/press/2011/press2011image/111030shizuokanp.jpg


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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
立派な子孫の会が存在することに驚かされました。
慶喜のその後の、住まいが分かりました。
あこ
2011/11/01 09:41

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