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zoom RSS 横須賀史跡めぐり

<<   作成日時 : 2010/10/04 21:08   >>

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遣米使節150周年記念事業の翌日9/26に横須賀の史蹟巡りをし,記念艦「三笠」を見てきた。
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9時に京急汐入駅で案内役の毛利氏と待ち合わせ、米軍基地前を通り、三笠公園通りを経て、記念艦に向かう。
米軍基地前では、立入禁止の黄色線を超えてゲート付近にある大きな錨を見て写真を撮ろうとすると、ゲートから門番が飛んで来て撮影は禁止と注意を受ける。尖閣諸島問題で米軍もピリピリしているのか、二人とも怪しげな中国人と間違えられたのかもしれない。

三笠公園通りには、様々なオブジェが設えられている。
中でも、日本丸が1984年に浦賀で建造されのを記念し設置された、マスト中心に1/3スケールにした日本丸がまず目につく。
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しばらく進むと音符が刻まれた碑がある。茶木滋作詞、中田喜直作曲の「めだかの学校」碑。汐入出身の茶木に因んで建てられたらしい。
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記念艦「三笠」は、中学の修学旅行以来であり、40年ぶりになる。
三笠保存会の豊崎課長に艦内隈なく案内頂いた。
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三笠の全長は122m、幅23m、乗員860名。小生の場合、海王丸との比較が分かり易い。
海王丸は全長110m、幅14m、定員199名。
あの海王丸でも随分狭いと思っていたが、三笠の乗員はほとんどが任務場所でハンモックでの就眠のため、余り場所は取らないが、それはそれで結構大変な生活だったと想像する。

                三笠は、菊の御紋を飾った船首を皇居に向け、据え付けられている。
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                         参謀秋山真之中佐の居室のあった場所で
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                         「三笠」艦橋の東郷大将の位置で
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                         東郷大将の書
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正確な日時は聞き忘れたが、近々、乃木希典の展示会うを艦内で行うとのこと 
                         乃木希典の書
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                夏休みの課題だろうか、小学生の作成した船が多数展示してある
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三笠で気になったのが、日本海海戦で重要な役割を果たした36式無線機の開発者木村駿吉と飯沼貞吉の縁。

木村駿吉は、咸臨丸の軍艦奉行だった木村摂津守喜毅の三男だが、仙台二高の物理学教授の頃、自力でアンテナを建て無線電信の開発に当たり、後海軍技師として36式無線電信機の開発を担った。

木村摂津守は奥医師桂川甫周の妻くにの弟で、その桂川甫周の実弟に、陸軍総裁勝海舟を支えた参謀役として知られる副総裁藤沢次謙がいる。

飯盛山で自刃し唯一人蘇生した飯沼貞吉(後、貞雄と改名)は、長州に連れて行かれそこで電信技術を学ぶ。その後、明治4年〜5年にかけ、藤沢が沼津兵学校の教務主任をしていたとき書生になり、勝が上京したのに合わせて藤沢と共に上京し工部省(後の逓信省)に入る。

木村駿吉が無線電信の開発に当っていた頃は、貞雄は逓信省仙台電話交換局長であり、木村教授と接触があったと思われる。ただ、日露戦争で活躍した36式無線機の開発に、貞雄が関わりがあったか否かは伝わっていない。


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